ふぅ、と一息ついた時には既に時計の短針は記憶よりも随分と進んでいた。
特に珍しいことではない。こうして夜時間を削ったときには明るいときにちょくちょく転寝をしているし、そうでないときはきちんと夜に眠っているから特に睡眠において問題は無いと個人的には思っている。
一部からは女の子なんだからと怒られるけれど。ただヤムライハにおいては全く同じ言葉を返したい、彼女は一度没頭すると徹夜で研究だなんてしょっちゅうだから。
ふわりと漂う香りは朝日が昇るころには食堂に訪れる人々を包み込むことだろう。一日の始まりに、優しく、それでいて底力のある朝食を。楓のモットーの1つである。



カチ、コチ。楓が息を潜めれば、この場には秒針の音しか存在しない。
それすらも吸い込んでしまいそうなこの静まり返った空間には、何故か今まで心細さを感じたことは一度も無かった。
同じ建物に眠っている人たちがいるからだろうか、それとも昼間のシンドリアの明るい気配が残っているからだろうか。それは分からないが。



(そろそろ寝ないとかな)



眠気で朝頭が働かないのはよくない。寝坊なんてもってのほかだ。
だが直前までこうして作業をしているとどうにもすぐには眠れないもので、楓はいつものようにミルクたっぷりのカフェラテを作り始めた。ホットミルクの方がいいのだろうとは思うのだが、彼女はこちらの方が好きだから。
そういえば、前に一度寝惚けて食堂までやってきたアラジンにホットミルクを差し出した。小さな彼は、始終目を擦りながらも嬉しそうにそれを受け取ってくれた。
白色の中に混ざる濃い色。くるくると溶けて、じんわり薄く染まっていく。



温かいカップを両手で包み、ほぅ、もう一度息をついたとき、ふいにこちらに向かう足音があることに気付いた。



このとき一瞬だけ、後悔にも似た焦りのような感情が掠めたのは否定できない。
しかし、それでもやはり。己の感情に非常に素直な表情筋は、顔を覗かせた人物に対しとても穏やかに緩むのだ。



「お疲れ様です、王よ」
「おう。こんな時間まで仕込みか?」
「少し欲張ってしまいました」



うっすらと隈を浮かばせたシンドバッド。仕える身として、王に対して、言うべきことではないが、珍しく真面目に仕事をした結果の夜更かしのようだ。
恐らくは逃げ出してきたわけでもなくきちんと終わらせたのだろう。後ろからジャーファルが追いかけて来ないから。
大きな欠伸をしながら当然のように1つの椅子へと腰掛けるシンドバッドを視界の端に、楓は一等控えめながらも上品な輝きを持つカップを手にとる。
カモミールに、ほんの少しのブランデーを。



「ん、いい香りだ」
「ジャーファルさんには内緒ですよ。少量とは言え、苦い顔をされてしまいますから」
「じゃぁ今度は俺もアラジンのように砂糖たっぷりのホットミルクを頂戴しに来るか」
「ご存知でしたか」



丁度自分も思い出していたところだ。
無邪気で、それでいて落ち着いた、不思議な空気を持つアラジン。今のところ、二度目の逢瀬は訪れていない。
そもそも、何故あんなにも小さな子が離れた食堂まで迷い込んできたのか未だに疑問なのだけれど。ただ、アラジンとの時間はとても優しいものだったのを覚えている。



自分も腰を下ろして、少し冷めたカフェラテを1口。
相変わらずこの空間は静かなものだ。人が1人増えたからといって、互いに口を閉じればそこには時計の音が響くのみ。



「うん、よく眠れそうだ。さすが楓だな」
「ふふ。光栄です」
「お前はまだ眠らないのか?」
「もう少しだけ残っていますので」
「はは、これは寝坊出来ないな。それだけ気合いの入った朝食を食いっぱぐれてしまう」
「そうですね、王の姿が見えなかったらアラジン君に差し出してしまうかもしれません」



悪戯に微笑む彼女だが、作業などもう残ってはいない。
残っていないが、どうやらカフェラテの効果は期待できそうにないのだ。今夜も自分はアルコールの力を借りてしまうかもしれない。
だからと口にした言葉だったが、会話とは裏腹に目の前の王は席を立とうとはしなくて。会話が続く度に、体温が上がり、鼓動が早くなっていく。
お互いのカップには、それぞれ色の違う液体が入っていて、温度を失ったそれらはしかしまだ底を表そうとはしない。
ちゃぷんと音をたてる砂時計の砂。手を動かし口にしなければ減っていかないその砂は、まだまだ落ち切るのには時間がかかりそうだ。






3時のお茶会は甘い香り
(それは人工甘味料のような薄っぺらいもので)







20140615