街を歩く機会はあまり無い。
料理に使うものは全てその日その日に直接王宮に届くことになっているから買い出しに出ることは無いし、そもそも大量の食材を手で運ぶのも効率が悪い。
ただ、楓個人としてはやはり直接生鮮食品を見に行くのは好きだ。良し悪しを見分けるというのもあるが、店主から食材各々を生かした調理法を聞いたりだとか、その日のお勧めを教えられたりだとか、同じく買い物に来た女性たちと献立について話したりだとか。そういった、人とのやりとりを彼女は好んでいる。
ただ、最初に言った通り楓はあまり街に出ない。この国の民と話をすることを好む彼女は勿論外に出ることを拒むわけではない、出る機会が無いだけだ。
多くはないというだけで、少なくもないと個人的には思っている。ただ、基準をジャーファルにしている辺り随分と低く設定されていそうだが。
故にこうしてたまに外を歩くのはとても貴重な時間で。ゆっくりと辺りを見回してみると、いつも景色が前とは違って見える。
(…あ)
朝から、日の光が弱いなとは思っていたけれど。
ぽつり。頬を伝った一粒に空を見上げてみれば、うっすらとした灰色だったそこは随分と分厚い雲に覆われていた。
「ありゃ、これは強くなるねぇ。楓ちゃん傘持ってるかい?」
「はい、ありがとうございます。これ強くなります?」
「なるさ。毎日見てるとね、分かるようになるんだよ」
これはすぐ強くなるのかなぁ、などと思いながら空を見上げていると、同じように果物屋の軒先にいた女性から声をかけられる。
申し訳ないながらも、こちらが相手の名前を知らなくとも、向こうがこちらを知っていて愛想よく話しかけてもらう機会は多い。せめて、と楓も穏やかに笑いながら言葉を返すと、まるで昔からご近所さんだったかのような、そんな気軽な会話が生まれる。ここはそういう国だ。
彼女の言う通り、分かる人には分かるのだろう。素直にその言葉を聞き入れ折り畳み傘を鞄から取り出すと、満足そうに笑った女性は赤い果実を1つ土産に持たせてくれた。
少しばかり街がざわつく。
ぽつり、ぽつり。地面に浮かぶ模様は少しずつ多く、大きくなっていって。
窓から眺めているのと、実際に雨の中にいるのとではやはり違う。
少しばかり足を速めた楓の耳に、傘にぶつかる雨音に混じって、確かに聞き覚えのある声が届いた。
「シャルさん?」
「おー、やっぱり楓じゃねぇか。発見発見」
それ、この前ピスティがお揃いだっつってはしゃいでたやつだろ。
そう指差された傘は、確かに先日、つい会話の中で傘を持っていないのだと零した自分にピスティが買ってきてくれたものだ。自分も新調したからお揃いだと、そう言って満面の笑みを浮かべてくれた。
シャルルカンの手には、彼に似合う濃紺の大きな傘。濃紺が、と言うよりは大きさが。
彼は、思ったよりも随分と色々なことを覚えている人だ。今回の傘も然り、面倒くさそうに聞いていた会話の内容も、何気なく零した言葉も。
正面から歩いてきて当然のように隣に並んだシャルルカンに、楓の頬がゆるりと緩んだ。
「探してくださったんですか」
「おう。雨降ってきたからよー、ヤムライハと迎えに行く権利を奪い合って、まぁ当然俺様が勝ったわけよ」
「ふふ、過保護ですね?」
「愛されてるよなァお前」
「えぇ、本当に」
隣に並んだシャルルカンはそのまま楓の行く先、つまりは城の方へと歩いているが、彼自身の用事というものは無いのだろうか。
そうは思うも、傘以外に何を手にしているわけでもないところを見ると、本当にただ迎えに来てくれただけなのだろう。
雨が降り出したのを見て、楓が出掛けていることを知り、何とはなしに迎えに行こうかという気分になり、お前に任せられないから自分が行くともう片方が言い出し、そこから口喧嘩が始まり。想像が容易い光景に笑いが零れる。
本当に、自分は愛されているな、と。
もうすぐ夕食の準備を始めないといけない時間だが、きっとヤムライハも食堂で苛々した表情を隠すこともせず待っていてくれている。少し久し振りに3人でのお茶会の時間も設けられるだろうか。
そんな思考などお見通しだとばかりに、ちらりと見上げた先、大きな手で頭をくしゃりと撫でられて。
街の人にはよく、『楓ちゃんはいつも笑顔でいいね、こっちまで癒されちまう』と言ってもらうことがあるが。仕方ない、だって勝手に頬が緩んでしまうのだから。
優しい人たちに囲まれて、嬉しい出来事に囲まれて。毎日をそうして過ごして、胸の中に温かい感情がいつも溢れているのだから。
20140629