開けた窓からふわりと温かな風が入ってくる。
薄い青色に浮かぶ白い雲たち。穏やかな気候とはまさに今日のようなことを言うのだろう。
手元の白い紙に連なる文字を見て、次いで窓の外の景色を見て。思わず外に出たくなるような陽気に楓はペンを置いた。
少しばかり装飾の施された、だが洒落ているとまでは言えないくらいの白い紙。そこに書かれている文字の色もまた普通の黒色で、そして連なる文字は彼女の祖国のもの。元々勉強が嫌いではなかった楓はたどたどしいながらもこちらの文字を習得していたし、普段は祖国の、つまり日本語は書かないのだけれど。
字を書くのは昔から好きだった。白い紙が自分の文字で埋まっていくのが好きで、なんとなく落ち着く。
ふと思いついたとき。こうして彼女は手紙を書く。
残してきた家族に、友人に。ときには近況報告のように、またときには遺言のように。決して届くことはないと分かっている言葉を彼女は連ねていく。
届けたいと思っているわけではないし、無性に帰りたくなっているわけでもない、多分。薄情だと言われそうだが、世間からは大人と言われる年代になった楓は良くも悪くも冷静に自分を取り巻く現実を受け止めていた。
ただ、書きたくなるときがある。そしてそんな時にこうして文字を連ねていると落ち着く。それが単純に文字を書いているからなのか、それとも心情を書き出しているからなのかは分からない。所謂ホームシックなのではないかと言われても否定できる材料はないだろう。
そして郷愁の念からの行動だとしても咎められることではない、と思っている。しかし駄々を捏ねる子供のように思われるのが嫌で、彼女は今まで誰かにこのことを話したことは無く、引き出しの中には誰に見られることもない手紙たちが眠っていた。
また新しく日の目を見ない手紙をしまって、小さく背伸びをしながら何気なく窓の外を見て。
見知った後ろ姿が歩いていくのを発見し、楓は窓に駆け寄り息を吸い込んだ。
「楽俊!」
「あれ、楓?」
そよそよと髭を動かし、今日休みなのかー?と言いながらとてとてこちらに近寄ってくる楽俊。その姿に楓の頬が緩む。
普段は隣国の大学に通っている為あまり会うことの無い友人が慶にいる理由は幾つか思いつく。もう帰るだけだと言う彼に時間があるか問うと是と返ってきた為、部屋に招いて二つ湯呑を用意した。
雁でのことや、大学で学ぶこと、こちらの近況。楽俊の語り口は心地良く、話題も途切れることがない。故に彼との時間が楓は好きだった。
穏やかに、だが時にはこちらの心に刺さるようなことも口にする。それでもそれを受け入れられるのはきっと彼がどこまでも優しく、そしてただ責めるのではなくこちらのことを考えて正しいことを説いてくれているのが分かるからだ。
万人に好かれることは出来ない、でももしかしたら楽俊なら出来るのかもしれない。そんな馬鹿げたことを思ったことがある。言わないけれど。
「なぁ楓」
「うん?」
「寂しいって気持ちはきっと抜けないよなぁ」
穏やかな日に、穏やかな時間。
それを壊さないままに楽俊は続ける。
「…え?」
「こっちの世界に来てさ、溶け込んで、頑張ってるけど。帰りたいとまでは言わなくても、不意に寂しくなるときはあるんだろうなぁって」
「ふふ、楽俊は陽子が心配?」
陽子。本来ならばこんな呼び方は許されない、だが王である前に友人だと言ってくれた大切な存在。自分にとって、王であり、友人であり、妹のようでもあり。
日本のことを思うことが、こちらの世界で自分に良くしてくれる人たちへの裏切りのように感じる。こちらにも居場所はあるのに申し訳ない。そんなことを陽子と苦笑交じりに話したことがある。同じ海客同士だから零せる事。
別にこちらの世界が嫌なわけではないのだ。もし帰れる手段があるならば帰りたいか、そう訊かれて帰りたいと即答することもないと思う。
ただ、ふと懐かしくなるだけで。僅かに泳いだ視線が手紙のしまわれた引き出しを映す。
「うーん、心配っちゃ心配かな。良くも悪くも前向きだからなぁお前ら」
「…私も入ってるわけね」
「ん。でも多分、大丈夫だと思う。」
大丈夫。もう一度そう言った楽俊は、一口お茶を飲むとゆっくり笑った。
それに釣られて楓も笑う。楽俊の作る空気はいつだって優しい。
この世界で生きていく術を身に付けた、居場所も見つけた。それを肯定されたようで素直に嬉しかった。
20151004