少し混み合っていた電車から大量の人間が降りていき、残った面々が一息つく。
そんな都内でなくともありふれたようなワンシーン。夜久もまた息苦しさからの解放に息を吐き出した、そんな時だった。
耳をつんざくような、とまではいかないものの、確かに耳まで届く泣き声。
お母さん。つっかえながらも聞こえた言葉に、夜久は窓の外を眺めていた目をその言葉の方へ向けた。
自分が立っているドアの1つ隣。丁度ドアとドアの間、言ってしまえば通路のど真ん中に蹲っているのは新しい鞄と服を身に付けた小さな男の子だった。
小学一年生か、恐らくは私立の入学式か何かなのだろう。先程の大きな駅に降り立つ人の流れで母親とはぐれてしまったのか、しゃくりあげながら何度もお母さんと呟く幼子に車内に戸惑いが浮かぶ。
が、動く者はいない。携帯に視線を戻す者、イヤホンをし目を瞑る者。座席も空いているスペースの方が多いような人口密度の中で、都会の無関心さが表れていた。
一瞬戸惑ったのは確かだ。
何を隠そう、自分も今日入学式であって。余裕はあると言えど同じ制服を着ている人も車内に結構見かける時間帯、もし何かあって遅刻することは避けたい。
ただ、夜久という人間は男気と行動力を持っていた。困っている人は助けなければならないと思う心、そしてそれを実行に移せる力があった。
ドア脇の手摺を掴んでいた力を緩め、男の子の方へ行こうと身体の向きを変える。
が、夜久が一歩踏み出すよりも先に動く影。
(…女子?)
夜久の視線の先、丁度蹲る男の子がいるドア。
壁に寄り掛かりひたすらにスマホを操作していた1人の女子。夜久と同じ学校の真新しい制服に身を包む彼女は同じ新入生だろうか、今気付いたかのように男の子の姿を見てきょとんと2、3度瞬いた。
否、恐らく本当に今気付いたのだろう。女性が使うにしては些かゴツいヘッドフォンを素早く頭から外しそのまま首にかけると、足元に置いていたスクールバックを持ち上げ男の子の前へ移動する。流れるように自然な動作だった。
すとん、とその子の前にしゃがんだ姿に思わずドキッとしてしまったのは健全な男子高校生として許してもらいたい。見えそうで見えないところが、だなんて思っていない。断じて。
「僕、どうしたのー?お姉ちゃんに話してみない?」
にっこりと。人懐こい笑顔と明るい声色に、いいな、と思った。
多分これが好感というものなのだろう。そんなことを思っている間にも、夜久の視線の先で同期生となるのであろうその女子は男の子を泣き止ますことに成功していて。目を真っ赤にしながらもたどたどしく笑顔を浮かべる子供の頭を満足そうに笑いながら撫でている。
「お母さんが、はぐれたらもう会えないよって…」
「ふふーん、実はね、お姉ちゃんは僕より大人だからお母さんを探すことが出来るんだよ」
「ほんと!?」
「ほんと!」
「おねーちゃんすごい!あ、でも、知らない人についてっちゃダメって…」
「おぉ、僕しっかりしてるね」
なんとも微笑ましいやりとりが続く中、次の駅名のアナウンスが流れ電車が減速していく。
上手く言いくるめられたらしい男の子は差し出された手をぎゅっと握り、それに微笑んだ女子が立ち上がるその時、ちらっと腕時計を気にしたのを夜久は見逃さなかった。
先程自分も思ったことだ。今日は入学式、余裕をもって到着したいというのが普通だろう。
電車の中を見渡してもほとんどの生徒は親が同伴していない。それは新入生には式の前に説明会やら色々あり、故に親は後から合流するからだ。彼女もまた1人でいるようだった。
高校生とはいっても義務教育を終えたばかりの歳、慣れない土地でイレギュラーな行動を当たり前のようにとれる者がどれだけいるだろう、などと言うのは大袈裟すぎるか。
彼女を追いかけ次の駅で降りたのは反射だった。
男の子の手を引いた彼女は駅員室に向かおうとしていて、だが実際はその子の母親から既に連絡が入っていたらしい駅員がホームに待機しており、思ったよりも早く事態は解決した。次の電車に乗った母親が到着するまで男の子は彼女の手を離さなかったが。
ぺこぺこと何度も頭を下げる女性に頭を下げ返し、ばいばいと無邪気に手を振る男の子には鞄から出した飴玉をあげて。
そして電光掲示板を見上げて、少しだけ眉を下げた彼女に。思わず声をかけてしまったのはお節介だったと自分でも思うけれど。
「あの、音駒の新入生…ですか?」
「え?」
「俺はそうなんですけど」
振り返った彼女は、突然声をかけたことに驚いていた表情を柔らかくした。
そうです、と返ってきた返事にニカッと笑う。俺、夜久衛輔っていうんだ!夜久の笑顔に彼女も笑顔で自分の名前を返す。
佐藤楓と名乗った彼女は、恐らく夜久の真意に気付いているのだろう。迷惑だったかな、と頬を掻く夜久に、彼女もまた少し気恥ずかしそうに小さく笑った。
「実は、私都会に引っ越してきたばっかで…。電車とかあんま分かんなくて不安だったの。ありがとう」
「…ならよかった!次の快速は音駒の最寄駅止まんねぇから、その次の乗ろうぜ」
「そうなの?ありがとう夜久くん、助かったー」
にっこりと笑ったその笑顔に。
やっぱりいいな、なんて。そんなことを思った。
20170126