年が明けてから早10ヶ月。つい最近まで万人を苦しめていた焼けるような暑さはどこへやら、やっと過ごしやすい季節が訪れるかと思えば今度は急激な寒さに襲われる時期。
朝の天気予報で気象予報士が真冬並みの冷え込みだと力説していた今日10月31日は、俗に言うハロウィンという日で。
クリスマスやバレンタイン程とは言わないまでも、ある程度世間も活気付くイベント。
ただでさえ何かにつけて人を巻き込んでは騒ぎを起こすことが大得意なあの早乙女が便乗してまた何か仕出かしてくれるのではないかと、主に日向を中心にこの日が近付くにつれ心臓に悪い日々を過ごしていたのだが。
当の本人はといえば腹痛でテンションが上がらないだとかで、なんとも呆気なく早乙女学園は至って平和な1日を迎えていた。



「一ノ瀬君。少し訊きたいことがあるんだけれど、今いいかしら?」
「えぇ、構いませんよ。どうしました?」



人の疎らな休み時間、教室の左斜め後ろ。
1冊の本を覗き込む2つの頭もまたいつもの平和な光景の一部分で、恐らくは以前貸し借りしていたボイストレーニングのものだろう、疑問を投げかける楓とそれに答えるトキヤを微笑ましく見ていたレンはふいに机に顎を乗せ脱力している翔へと視線を移した。



「で、おチビちゃんはなんで不機嫌なんだい?」
「別に不機嫌じゃねーし」



唇を尖らせながら即座に返ってきた言葉に思わず苦笑する。
不満そうに眉を顰めておきながら不機嫌じゃないも何もないだろうに。
それだけの態度と声色にも関わらず否定を突き通す彼の視線の先を追い、先程まで自分が見ていた2人の姿にぶつかると笑みを深めレンは納得したように頷いた。



「この場合はみぞおちの辺りを…」
「なるほど、上級者向きね。もう少し難易度を下げることは可能?」
「それでしたら…」



トキヤが微笑めば楓の頬もゆるりと柔らかく緩む。
珍しい、だがトキヤといる時は度々目にする彼女のその表情にレンが口笛を吹くと同時、ぶすっとした翔の空気が一段と重くなって。
どこまでも分かりやすい。今なら彼の心の中の声を、一言一句違わず、とまではいかなくともかなり正確に汲み取れそうだ。



(会話の内容はおチビちゃんのことなのに、ね。)



くすりと漏れた笑いに反応して睨みつけてくる翔に両手を小さく上げる。
楓が一之瀬に頼るのは大体において歌い手についてのことであり、つまるところ突き詰めれば翔のことを訊いているのであって。
トキヤもそれを分かっているからこそ、そしてパートナーの為の知識を貪欲に深めようとする彼女の姿勢を好ましく思っているからこそ応じ、楓の求める答えを用意するのだ。
まぁそれ以外でも度々雑談に花を咲かせクラスの女子から穏やかでない視線を向けられていることもあり、そこら辺が翔の気に食わない理由になっているのだろう。レンから見れば恋人同士というよりもただの仲の良い兄妹のようだが。
どうやら互いに優等生タイプのあの2人は、何かと話が合うらしい。



「全く、可愛いねホント」
「はぁ!?」
「いいよ、協力しようじゃないか。」
「何がだよ…」



胡散臭そうな顔をする翔にウインクを1つ。
げぇ、と表情を歪められたのはさて置いて、未だ議論を交わしている2人、正確には楓を見てレンは面白そうに口元を上げた。



***



「…楓ー」
「?」



聞こえた己の名前を呼ぶ声に顔を上げる。
耳に慣れたその声を探して視線を寄越せば、どこか微妙な表情をしながら手招きしている翔の姿があった。
小首を傾げ、トキヤと顔を見合わせ。
どうぞ、という促しに甘えトキヤの席から離れて翔のところへと移動しても、彼は困っているというか焦っているというか、やはり微妙な表情をしていた。



「どうしたの?」
「いや…」



煮え切らない返事に楓の瞳がきょとりと瞬く。
彼にしては珍しい。目も合わせず手持ち無沙汰のように頬を掻く姿はAクラスの音也が言いたくても言いにくいことを抱えているときのようで。
一緒にいると行動も似てくるのだろうか。彼らはクラスこそ違うものの仲がとても良いから。
楓がそんなことを考えている間、翔はといえば内心焦りと混乱で爆発しそうになっていた。
もう正直に白状してしまおう、元はと言えばよく分からないことを言うレンが悪いのだ。そう開き直って口を開く。



「あー…実は、レンがさ」
「神宮寺君?」
「急にお前のこと呼んで何か話しろ!とか言い出すから…」
「…あまり良い予感はしないわね。」



だよなぁ、と溜め息をつく翔は、それでもレンの言うことを聞く辺り素直というか何というか。
まぁでもレンのことだ、本気で相手を困らせるようなことはしないだろうと特に気にすることなく譜面を取り出した楓とそれを覗きこむ翔がいつものように会話を始め。
数分もしないうちに先程までのレンに関する疑問などは頭から抜けてしまい、曲のことやたまには関係の無い話などが飛び交う。
思えばもう少し気にしておくべきだったのかもしれない。しかしそう思ったのは事が起きた後で、今このときは楓も翔も確かに油断していた。



そう、油断していたのだ。
少しの衝撃で、身体のバランスが崩れるくらいには。



「えいっ」
「ぅお!?」
「…え?」



ゲシッ
気の抜けた掛け声と些か穏やかではない効果音。
楓の目の前には翔がいて、そしてその更に後にはいつの間にか悪戯に笑うレンの姿があって。
翔が真後ろから、つまりレンからの足蹴りを喰らい、重心のバランスを失って身体が前へと傾く。
当然そのまま楓の方へと倒れ込んでいく訳で、翔の肩越しに心底面白そうに微笑むレンの顔が見えたのも束の間、楓は翔に巻き込まれる形で教室の床と仲良くなることになった。



「…は!?ちょ、なっ、…〜っ!?」
「…来栖君、重い」



咄嗟に頭を庇ってくれたのはさすが運動神経が良い証拠だろう。
だがレンの姿が見えていた楓とは違って真後ろからいきなり押された形になった翔は、気付けば楓を押し倒している自分に思考回路が情報過多で今にも千切れんばかりにパンクしていて。
顔を赤くしたり青くしたりと見ていて忙しい。大丈夫かと問いたいのか、はたまたごめんと謝りたいのか。口がぱくぱくと開くだけで言葉が出てこない。
そんな翔にとりあえず今一番言いたいことを伝えてみれば、一瞬動きを止めた彼はとても素早い動作で立ち上がると手を取り引っ張り上げてくれた。
その顔は、やはり真っ赤なままだったが。



「…神宮寺君、あまりからかっても可哀想よ?」
「おや手厳しい。折角のハロウィンだからね、少し悪戯したくなったんだ」



でもおチビちゃんにはご褒美だったかな?
未だ脳内処理が追いついていないのか固まっている翔を見て片目を瞑るレンに1つ溜め息をついた楓は、付き合ってられないと言わんばかりにスカートの裾を叩くとそのまま教室を出ていく。
だが自分の隣を通り過ぎるその一瞬、金色の髪から覗く耳が赤く染まっていることにただ1人気付いたレンは満足そうに笑みを深めるとくつくつ喉の奥から笑いを零した。






20111130