「よー、楓じゃん。」
「結也さん」
よっ、と片手を挙げながら近付いてきた人物に、先程大量の資料を提出し終わり軽くなった肩に息をつきながら歩いていた楓は、良い意味でなんとなく気が抜けて小さく頬を緩めた。
自分と同じく、というよりは自分が彼と同じく、と言うべきなのだろう。特殊な事情故にこの歳で警視庁勤務なヒグチと楓は、親近感からか出会えば一言二言交わすくらいには親しい仲だ。
この環境に入ったばかりの頃、大人ばかりの環境の中でよく構ってくれたヒグチを楓は慕っていたし、ヒグチもまた同年代がいることが嬉しかったのだろう、笛吹に怒られながらも勤務中にすら楓と話しにきていたから。
今も休憩中なのか、それとも仕事から抜け出してきたのか。
どちらかは残念ながら分からないが、なんだかんだ言いながらいざというときは凄まじい集中力を発揮する彼の能力は確かなもので、また人間性も手伝ってか少なくとも楓が気にすることは無かった。
まぁ笛吹は毎日胃を痛めないのかというくらいに説教をしているが。それについては毎度大変だなぁと思っている。
「なんかお疲れじゃん。どーしたの?」
「そうですか?いつもこんな顔ですよ」
グビリ。
手に持った缶コーヒーを一口飲んで苦笑のような笑みを浮かべた楓に、あぁまぁ確かになとヒグチは内心同意する。
暇さえあればブラックのコーヒーを口にしているこの少女は、刑事科の某有能な男と雰囲気がよく似ているのだ。
いつも眠そうな顔をしているし、目の下の隈が取れたところを見たことがない。
「休憩中?」
「はい。丁度さっき一息つきまして」
「へぇ、おつー。じゃあさ、茶でも飲もーよ」
普段通りの軽い誘いに特に断る理由がある筈もなく、楓はヒグチと共に通いなれた屋上へと足を運んだ。
休憩室は煙草の香りが非喫煙者には少々キツいのだ。まぁヒグチはどちらかといえば気にしないタチだし楓も慣れているといえば慣れているので、そんなものは建前で恐らくは笛吹に見付かりにくいからなのだろうが。
カコンとゴミ箱に空き缶を捨てて新しくコーヒーを買い、ベンチへと腰掛ける。
なんとなくヒグチが呆れた視線を寄越しているのには気付かないフリだ。
え、また楓入院したの?今度はなんで?
カフェイン中毒だってさ。だからそんなに飲むなって言ってんのに
「あーもう、警視庁爆発しないかな。か弱い少年こき使いすぎでしょ」
「あはは、でも私も思ったことありますよ。雷落ちて全機能停止しないかなとか」
「…それ、俺が駆り出されるフラグじゃね?」
「あらま」
既に買ったばかりのコーヒーを飲み干そうとしている楓に、数週間ほど前に笹塚と交わした会話が思い出される。
だが本人は恨めしそうなヒグチの視線にもどこ吹く風で、またカコンと空き缶を捨てると新しい缶を手にしていた。毎回同じブラックで飽きないのだろうか。
他愛もない言葉たちがお互いの間を飛び交う。1日国民全員休みとかどうだ、地盤沈下で建物崩壊、いや寧ろ全員インフルエンザとか。
聞く人が聞けば、それこそ例えば笛吹などにでも聞かれたら全力で説教されそうな冗談を言い合っているうちに、そういえば、と楓が溢す。
「もし明日世界が終わるなら、みたいなのありましたよね。地球が滅ぶとか」
「あー、あったあった。もしそうなら今すぐこんな場所飛び出すね」
「最後の日くらい好きに過ごしたいですよねぇ。」
グビリ。
また一口コーヒーを飲んで笑いながらそう言う楓に、ヒグチもそりゃそうだと笑って。
少し強めの風が吹く。屋上ならではの気持ちよさだ。
「…言いたいことは言っとかないとさ、死にきれないね」
「…そう、ですね。」
一瞬風に浚われた髪に隠された楓の表情を読み取ることは出来なかったが、ちらりとヒグチが視線を寄越した時には彼女は眉を下げて笑っていた。
確かに自分たちはこんな場所で働いているとは言え、そんなに命の危険を感じる部署ではないけれど。
少し重くなってしまったか。そう思うも、相も変わらずコーヒーを飲む楓は特に変わった様子もなくて、ヒグチもようやく手に持っていた紅茶の缶を開けた。
(すごいコーヒー飲んでたって笹塚さんに言い付けよっかな)
(じゃぁ私は笛吹さんのところに)
(ちょっ、冗談だって!)
20120128