喉の痛みと鼻炎。頭の奥が重く感じ、なんとなく全身が怠い。それと少しの悪寒。
「完全に風邪ね」
「やっぱり?」
ずび、と情けなくも鼻を啜りながらへらりと笑った澪に宮野志保は深く溜め息をついた。
「恐らくただの疲労よ。珍しいじゃない、貴女が体調崩すなんて」
「うーん、不覚」
「……忙しいの?」
「そんなことないよ、ありがと志保ちゃん」
花粉症デビューじゃなくてよかったー、などと暢気なことを言う声は鼻声で、マスクの中で不定期に咳き込まれるのを聞く限りではそこまで酷くはなさそうなのだが、如何せん前述の通り澪が体調を崩すのは少しばかり珍しかった。
澪と志保の付き合いはそこそこ長い。少しばかり歳は離れているものの、この特殊な環境の中で同じコードネーム持ち同士、深く付き合うようになるのにあまり時間はかからなかった。
時間があれば澪はふらりと志保のもとを立ち寄る。組織からの監視の命もあるのだろうが、それでも殺伐とした毎日の中で澪と過ごす時間を志保は密かに気に入っていた。
自分と話すときはいつだって笑っている彼女が腹の内で何を考えているのか志保には分からない。知っているのはカルーアというコードネームとそれに纏わる噂のみ、本当の名前すら聞いたことが無いのだ。
年齢も、何故この組織にいるのかも、普段何をしているのかも知らない。それでも志保にとってはなんとなくもう1人の姉のようで。
いつも健康がなんだかんだ食事がどうだと彼女に気遣われるのは志保の方で、澪はと言えばたとえインフルエンザの患者数が過去最大だとか熱中症による死亡者が続出だとか言われる中でもケロッとしていたのだが。
研究所にこもっていることにしか価値を見出されていない自分とは違い、カルーアには組織からもジンからも信用がある。なにか厄介事にでも巻き込まれているのかと心配してみても、澪はやはりへらりと笑うだけだった。
「とりあえず薬は出しておくけど、無理はしちゃ駄目よ。貴女あまり寝てないんじゃない?」
「あれ、そんな顔に出てる?」
「そこそこね、自覚があるようでなによりだわ。寝る時間が無いの?寝られないの?」
「んー、どちらかといえば後者かなぁ」
「はぁ……じゃぁこっちも処方しとくわ」
数種類の錠剤を手渡された澪は、ありがとうと言いながらごそごそ手元の鞄を漁る。
そこから取り出されたのは数種類の焼き菓子で、何れも簡素にラッピングされていた。その包装から市販のものではないことが容易に窺える。
クッキーにマドレーヌにガトーショコラ。バレンタインの王道たちだ。
はい、と両手で無造作に手渡されるのを志保は慌てて受け止める。抱えるようにしないと落としてしまいそうになるそれらは、普通に考えて1人で食べる量ではなかった。
「いつもありがとうの気持ち」
「量を考えなさいよ」
「作ってたらちょっと楽しくなっちゃって」
「……時間あるなら付き合ってちょうだい。この前美味しいハーブティーを見つけたの」
「いいの?あんま一緒にいると風邪うつるかもよ?」
「そこまで柔じゃないわよ」
じゃぁお邪魔しようかな。嬉しそうに笑った澪に志保は内心ほっとする。
この間久しぶりにショッピングモールまで足を運んだときにふと目に入ったカモミールティー。たまたまその香りのハンドクリームを使っていたこともあって興味本位で買ってみたのだが、ほのかな甘さと柔らかい香りがとても美味しかった。
温かいものを飲めば、いつも冷たい澪の指先も少しは温まってくれるだろうか。
これだけの菓子を作れるくらいには夜を持て余しているのであろう彼女の気が少しでも紛れるといい。そう思いながら、志保もまた澪へと笑いかけた。
20180415