「……効き過ぎじゃないですかね志保さん……」
カーテンの僅かな隙間から差し込んでくる強い光に目を細めながら呟く。どうせ特に予定もないからとアラームは昼前にセットした。セットしたが、本当にこんな時間まで寝ているとは思わなかったのだ。我が友人ながら薬の効力が良すぎて恐ろしくなる。
しかしおかげさまで久しぶりに随分と頭がすっきりしていた。やはり人間大切なのは睡眠である。
カーテンを開けて、太陽を存分に浴びながら身体を伸ばす。昨日までの僅かな倦怠感もすっかりと消えていて、薬を飲んでちょっとばかししっかりと眠ればすぐに全快するなんて単純な身体だなと澪は苦笑を零した。
携帯を確認してみても急な連絡は入っていない。ならゆっくり朝食兼昼食を作ってからやりかけの仕事を片付けようかと布団から出たところで、澪は覚えのある違和感に襲われた。リビングに繋がる扉の向こう、潜められることのない人為的な音の色。
「……おはようございます」
「おはようございます。もうお昼ですけどね」
「暇なんです?」
「あはは、仕事の伝達に来たんですよ。あとはまぁ、先日少し顔色が気になったので」
でもお昼まで寝たからか大分良くなっているみたいですね。そうにこやかに言った安室は、いつかのように我が物顔でキッチンを使っていた。
よくもまぁいけしゃあしゃあと。連絡なんてこのご時世いくらでも手段はあるだろうに。じっとりとした視線を向けてみても暖簾に腕押し、早々に諦めた澪は溜息を1つだけ送って大人しく洗面所へと向かう。
初めて出会ってから数日もしないうちにバーボンというコードネームを手に入れた安室とはここ最近よく顔を合わせていた。鍵だけでなくチェーンまで無効化されるのも最早日常茶飯事すぎて気にしていられない。
仕事内容や活動範囲が似通っている為かよく仕事を組まされる上、この男はなにかと絡んでくるのだ。同じ日本人だからか、他に理由があるのか。どこに目をつけられたのかは分からないが正直言って非情に面倒くさい。
「うちに鮭なんてありました?」
「動物性タンパク質を摂っていただきたくて。僕も食べてますし、食材くらいは」
「……美味しいです」
「それはよかった」
相変わらず好みの味付けだ。恐らくはキッチンにある調味料から推測しているのだろう、そのくらいのことはやってのけそうである。素直に感想を伝えれば安室は柔らかく笑った。
安室に探られていることも警戒されていることも澪には伝わっているし、その上でこちらが気疲れしていることに向こうも気付いている。だからといって手を休めるつもりは無さそうだが。
初めて一緒に仕事をした際に投げかけたノックか?という率直な問いに、「いいえと答えれば信用していただけるんですか?」と返してきた安室の言葉からは彼がノックかどうか判断することは出来なかった。YESかNOのどちらかの意を含んだ言葉を返されなければ、その真意を見抜くことは澪には難しい。特に安室のような言葉遊びが巧みな相手では。
それをそのままジンに報告すると、ジンはいけ好かない野郎だと毒づいていた。それでもコードネームが与えられたということは、それだけ使える人材だと評価されているということだろう。
組織に報告していないことが1つある。
安室の言葉にいつも乗っている白が、澪の目には眩しくてたまらない。
「カルーア?」
「、すみません。少し考え事を。この教授の研究費用について裏をとればいいんですね」
「……えぇ、お願いします。僕は業者の方をあたりますので」
「結果は安室さんに送ればいいです?」
「それ」
「え?」
会話の途中で緩く折り曲げた人差し指を向けられる。
急にそれと言われても、ざっと思い返した言葉の中に心当たりは見当たらない。一体なんだと視線で先を促すと、小さく苦笑した安室が口を開いた。
「僕は安室さんなのに、貴女をカルーアと呼ぶのも如何なものかと思いまして」
「あぁ、そういえば安室さんもコードネームを持ったのにすみません。バーボンさんとお呼びしますね」
「うーん、まぁそれでもいいんですけど……折角なので貴女の名前を教えていただけませんか?」
「私の?」
きたか。澪は両頬を釣り上げる。
綺麗な笑みを浮かべた安室の口から紡がれた言葉、それを彩る様々な色。目が痛い。
笑え、強気に、完璧に。今ここにいるのはカルーアだ。組織の中で生き抜いてきた、賢く強かな女。
「私にはカルーアという呼び名しか存在しませんよ」
朝月澪は死んだのだから。
20180417