『すみません、お手洗いに行ってきます』


届いたメールに、さてどうするかと降谷は顎に手を当てた。
その場を離れる為の言い訳としてトップ3に入りそうな理由である。体調が悪くなったから帰るなどとは言っていない為戻ってくる気はありそうだが。
そもそも女性である彼女には自分には分からない事情もあるだろうし、文面をそのまま受け取るべきなのかもしれない。どこからどう見ても楽しんでいた彼女が気分を害したとも思えない。しかしなんとなく抱いた違和感に、屋台を物色していた降谷は一時道端へと身を寄せた。
ベルモットなどはカルーアは外食をあまり好まないと思っているようだが、外食というよりは味の濃いもの、正しくは必要以上に調味料を摂取することを好んでいないのではないかと降谷は思っている。なのでこってりしたものは出来るだけ避け、なるべく彼女の好みそうなものを探していたのだけれど。
このまま昼食を調達して大人しく待つか、一度彼女の動向を探るか。後者を選択した降谷は足早に彼女との待ち合わせ場所へと戻った。もし何もなければまた屋台に戻り、思っていたより混んでいたとでも言って無駄に待たせたことを詫びればいい。


ベンチが視界に入るところまで戻っても、やはり彼女の姿は見当たらなかった。
彼女が座っていたように腰を下ろしてみる。近くにトイレは無く、ふと視界に入ったから行きたくなったという可能性は無くなった。レストランはあるものの、遠目で見ても混みあっているそこにトイレを借りる為だけに近付きはしないだろう。
と、そこまで考えたところでふいにそちらの方角が気になった。腰を上げ歩いてみる。道なりに進むと人が少なくなっていく、何故ならレストランの入り口は反対側で、こちらは大きな案内板が邪魔をして行き止まりのようになっているから。
行き止まりのようになっている、つまり行き止まりではない。潜り込もうとすれば簡単に潜り込める裏側に、要注意として挙がっていたポイントだなと記憶と擦り合せていたとき。
おもちゃの花火のような音が一発耳に届いた。


(っサイレンサーか!)


人が少なく、またそこまで危険性を感じさせない音な為に興味を示した一般人がいないのが幸いだろうか。建物裏手の更に奥の方から聞こえてきた音に降谷は即座に走り出した。
組織の取引は無い筈だ。カルーアが関わっているのか、もしそうでなければ今度は自分が少し待たせると言い訳をしなければならないかもしれない。そんなことを頭の端で考えながら、明らかに人が踏みしめた形跡のある落ち葉を蹴散らして。
曲がった角の先にいたのは、地面に倒れ伏している男性が1人と、米神を抑えながらも拳銃を構えている男性が1人、小さく縮こまっている少女が1人。
そして、その少女を抱きしめながら腹を真っ赤に染めているカルーアだった。


「な、なんだお前!?」


降谷が現れてもカルーアは拳銃を持った男から目を離さなかったが、男は武器を持っている余裕か女性だという油断か、カルーアに向けていた拳銃を咄嗟に降谷の方へ向けてきた。足元がおぼついていない、もしかしたら軽く脳震盪を起こしているのか。
そんな相手に後れをとる筈もなく、発砲される前に早々に腕を捻り上げた降谷がそのまま鳩尾に拳を入れると呆気なく男は地に伏した。念の為拳銃を取り上げ、元々転がっていた男と2人、纏めてベルトで適当に拘束しておく。この間、僅か1分にも満たない。


「カルーア!大丈夫ですか!?」


降谷が制圧し始めたところで緊張の糸が切れたのだろう、視界の端でずるずると倒れ込んでいくのを確認していた降谷は急いで彼女を抱き起した。彼女が着ていた筈の薄手のカーディガンは小さな少女を包んでおり、カルーアにしがみついているかのように見えた少女は泣き腫らした顔で気を失っている。
ぬるりと嫌な感触のする腹からは未だに血が流れており、シャツがどす黒く染まっている。やはり撃たれたのか。小さく舌打ちして傷を見ようと捲ろうとして、しかし降谷の手は震えるカルーアの手によって止められた。


「……いい、です。この子を」
「この子もきちんと保護しますよ、安心してください。貴女も処置しないと危ない」


カルーアの目は迷うように彷徨っていた。カルーアとしてバーボンの前でどう振る舞うべきかを考えているのかもしれないし、バーボンに少女を預けてもいいものか悩んでいるのかもしれない。
しかし、今はそんなことを言っている場合ではない。少しの苛立ちを感じながら再び手を動かそうとするが、同じように再び抵抗してくる手。
顔色は悪いし、身体は震えている。一刻も早く治療しなければならないのは自身が一番よく分かっているだろうに。自分のことは放っておいてくれと言わんばかりの態度に今度こそ苛立った降谷は力づくで彼女のシャツを胸元まで捲る。


(これは……)


思わず目を見開いた降谷に、カルーアは諦めたように視線を地面へと落とした。
血に染まったシャツの下、血を流し続ける傷口と、その他に。
腹いっぱいに広がる、横腹にまで続くものもある痛々しい傷跡たち。


「……止血しますね、痛むでしょうが我慢してください」
「……すみませんが、私、病院、行けません」
「はい?」
「組織の、人間なんて、そんなものでしょう」


見たことのない目だった。
軽口を叩いたり、文句を言ったり。ころころと表情を変えるカルーアの目はいつだって真っ直ぐだった。人懐こく笑うときも、警戒しているときだって。こんな、薄暗い色をしたことは一度も無かったのだ。
笑っているようで笑っていない。彼女の中で何かが崩れたことだけは分かる、そんな目。


「安心してください、決して悪いようにはしませんから」


降谷零として、1人の小さな少女を守ったのであろう彼女を放り出すことはしない。バーボンとしてだってこのままカルーアを放っておけば組織からなんて言われるか。
後者だけなら彼女も分かりそうなものだが。降谷の言葉に軽く目を見開き眉を顰めたカルーアが何を考えたのかは分からない。きつく傷口を縛る時にも悲鳴1つ漏らさなかった彼女は、疲れたように目を閉じるとそのまま静かに気を失った。




20180702