その腹の傷を見た瞬間、降谷の中で散らばっていた違和感が1本に繋がった。
腹いっぱいに広がるその痛々しい傷跡が示すもの。怪我でなければ、考えられるのは確かな技術を持っているわけではない人間がその腹を掻っ捌いた証拠。何故腹を開くのかなんて理由は1つだ。
違法な臓器ビジネス。必要なのは中身を取り出すことであって、後はどうなろうと構わない。故に昨今の医療技術の進歩からは考えられないくらいに傷跡は大きく乱暴になる。


(……僕としたことが、見落としていたな)


捜索願いや整形リストは隅々まで探した。しかし彼女はその中にはいなかった。
それもその筈だ。彼女は既に死亡したものとして処理されていたのだから。
調べてみればすぐに見つかった。数年前に組織に父親を殺され、彼女自身も闇ブローカーへと売り飛ばされ中国にて臓器ビジネスに巻き込まれ死亡。死体は見つかっていなかった。
ジンの信頼を勝ち取り、ベルモットに可愛がられ、組織の中で地位を築き上げていたカルーア。彼女が組織にいるのは彼女自身の意思だという確信があった。だから組織の被害者関連は軽くしか目を通さなかったし、死亡者リストともなれば尚更だ。


違和感はあった。彼女に関われば関わるほど。
最初の印象は、組織の幹部にしては随分と甘い女。そして次に、思っていたよりも侮れない存在。
確かに組織に染まっていたカルーアという人物は随分とアンバランスだった。侮れないことに違いはない、ただ、やはり甘いことも事実で。犯罪を犯す姿は犯罪者でしかなく、しかし安室に教えを請い料理を食べる姿は無邪気すぎた。
事情を知った今となっては、彼女の言った「生きたい」という言葉が重みを増す。きっとそれは彼女にとってたった1つだけの、どこまでも純粋な願い。
突然家族と生活を奪われ自身の生命をも脅かされた彼女は、自分を殺すことで今日まで必死に生きてきた。決して正しい方法ではない、しかし間違っていると言うことなど降谷には出来なかった。
#水元#澪は、守られることの無かった被害者だ。


***


「詳しいことは言えないが、僕の本来の所属は警察だ。……君はきっと、この言葉が嘘かどうか分かるんだろう」


その言葉に、澪はそっと目を伏せた。やはりか、という思いが頭を占めていく。
薄々感付いていた。ずっと目を逸らしてきた。安室の言葉はいつだって正義の色が眩しくて、それに気付かないふりをしてきたのは自分の落ち度であり甘さだ。
生き残る為。そう言いながらも犯罪者に堕ちる自分に耐えられなかった心のどこかが、いつでも真っ直ぐな安室の正義の色に惹かれた。もしかしたら彼なら自分を組織から救い出してくれるのではないか、一瞬でもそう思った。
安室が組織を暴く時が来たら、自分にも終わりが訪れるのに。ここにいるのは#水元#澪ではない、カルーアなのだから。
#水元#澪はあの日に死んだ。死んだ、その筈の澪がずっと叫んでいる。
私は、真っ当に生きたいのだと。
どんなに耳を塞いでも、どれだけ現実に目を向けても。平和な世界で生きていた夢見る少女は願うのだ。
そんなもの、叶う筈ないのに。


警察だと安室は言った。その言葉に嘘は無い。
ならあの小さな少女はきっと無事家に帰れただろう。怪我はしていなかっただろうか、怖い思いをして夜眠れなくなっていないだろうか。
ただの自己満足だ。自分の代わりに、あの子だけでも日常へと帰したかった。


(……せっかく、上手く生きてきた、のになぁ……)


カルーアは澪を殺しきれなかった。敗因はそれだけ。


安室が自身のことを明かしたということは、このまま澪を組織に戻すことはしないだろう。
刑罰はどうなるだろうか。少なくとも暫く牢から出られないことは間違いない、そもそも捕まったことが組織に知られたら次の日には自分の命は無いのではないか。
考えることが多すぎて頭がぼうっとする。いや、どうしようもない現実を前に諦めているだけかもしれない。
諦めたくない。自分はまだ生きている。そう思うものの、どうにも身体は重いし傷は痛む。痛み止めが切れてきたのか腹の中を掻きまわされているかのようで、息が少しずつ上がってくる。
諦めるな、思考を止めるな。必死で念じてみても身体は言う事をきかない。
安室が何か言葉を続けているが、音としてしか認識出来ずに右から左へ零れおちていく。目を開けているのが辛い。


一度口の動きを止めた安室が、また何事かを呟く。
次いで伸ばされた彼の腕に抗う術など今の澪には無く、ぎゅっと瞑った目の上にそっと乗せられたのは彼の温かな手のひらだった。
宥めるように分け与えられるその体温に、限界まで張りつめていた緊張の糸はとても容易く切れて。澪の意思とは裏腹に休息を求めている頭と身体は、ぷつりと意識を泥沼に沈めていった。




20190501