さすがに目の奥が痛くなってきて、パソコンに向かっている間だけかけている眼鏡を外して眉間の辺りを親指と中指で揉みこむ。机の上にぞんざいに放り出された茶色いフレームのそれは巷で話題のブルーライトをカットするものだ。
一度目を閉じると今までの疲れが一気に圧し掛かってくるようで、澪は眉間に皺を寄せたまま後ろに大きく仰け反った。
ギシ、と限界まで背凭れが曲がる。肩や腰、そして背中が痛いような気持ちいいような。なるべく正しい姿勢を保とうと日頃から意識はしているものの、少し画面と向かい合う時間が長すぎたようだ。
自分が今だらしない体勢だという自覚はあるが、このフロアに彼女以外残っている者はいない。日付が変わろうかという時間帯、デスクの灯りとパソコンの画面以外は暗く静まりかえっていた。
(あー……)
だらん、と。全身を弛緩させたまま椅子に座り込んでいれば指の一本すら動かすのが億劫になってくる。
帰る前に片付けたい書類たちがデスクの上で存在を主張している、しかし一度休息してしまった頭と身体は働きに戻ることを拒否していて、澪はそのまま突っ伏した。片手を伸ばしてパソコンにロックをかけることだけは忘れずに。職場内なら安全だとは思っているけれど。
もぞりと収まりのいい体勢を探るとすぐに眠気がやってくる。抗うことなく彼女はそのまま眠りに落ちた。
***
肩にかかる温かさと、ふわりと香るコーヒーの香り。カタカタと響くキーボードの音。人の気配。
もう誰かが登庁してくるような時間なのか。寝過ごしてしまったと罪悪感を抱きながら少しだけ顔をあげると、しかし未だ自分のデスク以外は真っ暗だった。
いや、違う。隣のデスクも灯りがついている。
明るさにつられるようにそのまま隣を見上げると、眩しさに細めた視線の先にいた人物に寝起き故のぼんやりとした思考が一気に覚醒した。
「降谷さん!?」
「起きたか。おはよう」
「おはようございます……?」
どうしてここにこの人が。驚く澪をちらりと見た降谷は数枚の書類で彼女の頭を軽く叩くと、再びパソコンに向き直った。
条件反射でそれを受け取る。目を通せば、片付けるのを渋っていた書類が降谷の字で埋まっていて。
おまけに判まで押してある。最近はあまり課に顔を出せない位に忙しい降谷の判が押されているなんて、中々にレアなんじゃなかろうか。
じゃなくて。
「……すみません、お手数おかけして」
「お前な、雑務は他に任せるってことを覚えろ。仕事が溜まる一方だろう」
「尊敬する先輩が全て自分で片付ける方だったもので」
「それは優秀な後輩が放っといても仕事を奪いに来る奴だったからだ」
「いひゃいです」
もしかしなくても今さらりと褒められたし、肩にかかっているのは降谷の上着だし。どうしてこう、この人は。
礼と共にそれを返し、後は自分で片付けますとパソコンを奪い返そうとしたが軽くあしらわれてしまった。これでも飲んでろと紙コップを渡される。
少しだけ温くなったコーヒー。お前はこのくらいで丁度いいだろうと。
猫舌なのだと淹れたてのそれと格闘していたのを覚えていてくれたらしい。自然と頬がだらしなく緩む。
「未だに僕も認証されるんだな」
ぽつりと降谷がそう呟いた。
仕事が仕事なので澪のパソコンにはそれなりのロックがかかっている。立場が変わってからはさらに厳重になった。
だが、彼女自身と、そして彼女が入庁したてだった頃に色々と面倒を見てくれた降谷だけは指紋認証ですぐにロック解除されるようになっていた。それは今も変わらなくて。
降谷への信頼故なのだが、それで彼が彼女のパソコンを使い仕事を手伝わせてしまうのを可能にしている今、少し考え物かもしれない。それでも#真詞#には降谷の認証を解除することはきっと出来ないのだけれど。
「降谷さん、申し訳なさ過ぎて居た堪れないので返していただけませんか……」
「もう終わる。頭起きたなら帰る準備しておけ」
「……はぁい」
惨敗である。
自分の分と降谷の分、2つの紙コップを持って立ち上がるとパキッと小気味のいい音が腰から響いた。降谷から呆れるような憐れむような視線が送られているのには気付かないふりをしておこう。
ついでに、随分と軽くなっている自身の単純な身体と心にも。
20160701