眠った、というよりは気絶したという方が合っているだろう。ぷつりと意識を落とした澪の表情はお世辞にも安らかとは言い難く、眉間に寄せられた皺と荒い息が彼女の心中を物語っていた。
触れたところから伝わってくる熱は高い。体調を考えても、そもそも初めに目を覚ました時点で医者を呼ぶべきなのは分かっているが、降谷は澪がいいと言うまで他の人間を近付けないという約束を破るつもりはなかった。
敵ではないことを示したい。その為にも、諦めたような顔をした彼女の信頼を得るには悪手を打ちたくない。
解熱鎮痛剤を投与してシーツをかけなおしてやる。ふと彼女の手に触れてみると、いつかの冷たさとは違いこちらも熱を持っていた。
今なら分かる。澪が組織から甘いと評価されていたのは、悪事に手を染めたくないという本音が滲み出ていたから。薄味を好んでいたのは何かしらの内臓を失っている故に身体に負担をかけたくなかったから。手が冷たいのは、普段から極度の緊張状態に陥っているのが普通になっていたから。
#水元#澪は、最大限に強がって気を張って、カルーアという仮面を被ってずっと生きてきたのだ。どこかアンバランスだったカルーアという組織の幹部は、仮面を取ればただの普通の女の子で。
そんな彼女に、ただひたすらに生きたいとだけ願ってきたいじらしい彼女に。もういいのだと、大丈夫だと言ってやることは降谷には出来ない。澪は綺麗な物語のような王子様に助けられる悲劇のヒロインにはなれないし、立場と責任のある降谷も無責任に白馬に乗ることはできない。
それは澪も分かっているのだろう。彼女は賢い。降谷の立場と自分の立場、現状を正しく理解している。
ただ。悪いようにする気がないのも、傷付けるつもりがないのも事実だった。
何かが崩れたように目の色を暗くした澪。彼女の中ではきっともう彼女の願いは叶わないものになってしまった。
さらりと軽く前髪を撫でる。鎮痛剤が効いてきたのだろうか、先程よりも少しだけ表情が落ち着いたように見える。
(まだ諦めたくないんだろう?)
色を失い伏せられた目は、しかし考えることを止めてはいなかった。指先すら満足に動かせない中で彼女は足掻こうとしていた。
童話の中のお姫様にしてやることは出来ないけれど。こちとら悲劇の中に閉じ込めたままにするつもりも無いのだ。
混乱と体調不良が相まって先程は後半ほとんど降谷の言葉が耳に入っていないようだったが、諦めさせる為に話をしたいわけじゃない。対等に話してもらって構わない、その為にこちらの本当の身分というカードを渡したのだから。
決して長くは無い時間、せいぜい20分程度だろうか。時計の長針がそこそこ動いたところで澪の瞼がふるりと震えた。
正直一度席を外すことを考えていた降谷は僅かに驚く。こんなに早く目を覚ますとは思っていなかった。
ゆっくりと目を開いた澪は未だ夢うつつなのか、ぼんやり視線を彷徨わせると疲れたように息をつく。そしてだんだん焦点が定まると部屋の中を見渡し、病室の扉を数秒見つめると一度目を閉じて。
その瞳はなんの表情を浮かべることもなく、だが確かに降谷を真っ直ぐに捉えた。
降谷の口角が上がる。
「……今まで生き抜いてきた君に敬意を表すよ。改めて言う。互いに利となる話をしないか、朝月澪さん」
20190615