泣きながら殺さないでと懇願し、そのまま意識を失った少女を前に降谷は正直困惑していた。
少しばかり空いた時間、職場への差し入れも含め夕飯を作っている最中のことだった。突然甲高い耳鳴りに襲われたかと思うと部屋の中央に白い光が現れ、こちらが警戒するよりも早くそれはどんどん大きくなり。その中から扉が現れたのだ。
どこにでもありそうな、それこそ今降谷がいる部屋の扉と似ているような。普通の扉がどこまでも普通じゃない状況で現れた。
自身の目と正気を疑いたくなるような光景が広がる中、その扉が開いたとき咄嗟に動けたのは最早反射というか本能だったのだろう。扉を開けた誰かがこちら側に入ってきたと同時、たった今起きた現象を理解するよりも先にテリトリーの中に侵入してきたものを押さえつける。
その間にも視界の端では白い光と共に扉が消えていった。一瞬の出来事で、立ち眩みでも起こしていたのかと逃避したくなる思考を現実に戻すのは自身が拘束している存在で。
顔いっぱいに恐怖の色を浮かべ身体を震わせているのは、幼女と呼べる年頃の小さな子供だった。
「……さて、どうしたものか」
ここは降谷の自室である。招いてもいないのに侵入してきた時点で明らかに不審者なのだが、こんな幼い子供にあそこまで怯えられてはさすがに降谷も罪悪感を覚えるというもので。
子供相手に油断をするわけには、とも思うものの、そもそもが異質なのだ。未だに何が起こったのか理解が出来ていないし、もしかしたらこの少女も同じなのではないか。
とりあえず目を覚ましてもらわないことにはどうしようもない。万が一こちらに敵意を向けてきたところでどうとでも対処できるだろう。
警戒心を少し緩めた降谷は少女の身体をそっと抱き上げ、痣になっている首筋と手首にまた内心で罪悪感に襲われた。
***
「……ぅ」
目を覚ました彼女の視界にまず入ったのは見知らぬ天井で、ぼんやりとした頭が一気に混乱へと叩き落とされた。
知らない部屋で、知らない布団に寝かされている。それを理解した瞬間に跳ね起きようとして、上手くいかなかったことにまた彼女はぐるぐると混乱した。
掛け布団が思ったより重い。というより、身体が思った通りに動いてくれない。
なんで。不安と焦りで頭がいっぱいになったと同時、彼女にこの状況を思い出させる存在がひょこりと顔を覗かせた。
「起きたかい」
「っ!」
金色の髪、青灰色の瞳、褐色の肌。それらを持つその人は先程こちらを睨み付けていた人で、苦しいくらい押さえつけてきた人で。
ぎゅっと布団を握りしめる。その手を見ると、自分の手のはずなのに随分と小さかった。なんで、また不安と焦りが生まれる。
知らない場所にいて、知らない人が敵意を向けてきて、自分が自分じゃなくなっていて。夢か、と思うには恐怖が大きすぎた。知らぬうちに歯がガチガチと震え始め、握った布団ごと出来るだけ後ずさろうとするもののやはり身体は上手く動かない。
手に盆を持って現れた降谷は、そんな少女の様子に眉を下げると部屋の入り口にそのまま座り込んだ。盆も傍らにそっと置かれる。
「……先程は申し訳なかった。怖がらないで、と言っても無理だろうけど、僕の話を聞いてくれないかな」
「……」
降谷と少女、両者にとって幸いだったのはこの言葉が少女の耳に入ったことだろう。安室の仮面を被った降谷の声に彼女は身体を震わせながらも、しかし戸惑うようにそっと降谷を窺い見た。
降谷は内心で安堵する。と同時に感心もした。この少女の怯え様は当然とも言えるし演技には見えなかった、にも関わらずすぐこちらに意識を傾けてくれるとは。
これはもしかしたら思っていたよりも随分と話が通じるかもしれない。
「僕は私立探偵をやっている安室透と言います。君の名前を教えてもらえるかい?」
「……朝月、澪、です」
小さいながらもしっかりと返ってきた言葉に降谷は意識して柔らかく笑った。一貫して部屋の入口から動かずに意思疎通を図ろうとする姿勢に何か思うところがあったのか、澪と名乗った少女は力一杯布団を握り締めているものの視線は降谷へと向けている。壁の方に身を寄せて出来る限り距離をとろうとされていることには目を瞑ることにしよう。
「混乱しているとは思うけどお互いに情報交換……知っていることを教え合おう。僕が言えるのは、ここは僕の家で、君が突然現れたということだけなんだけれど」
「とつぜん」
「そう。扉、と言うよりもドアかな。普通のドアが急に部屋の中に現れて、そこから君が出てきたんだ。信じられないかもしれないけどね。何か心当たり……分かることはあるかい?」
「……」
未だに白くなる程握り締められている手だけでなく全身震えているが、それでも澪は降谷の言葉をきちんと聞き入れている。何か考えるように目を伏せた少女を根気よく待っていると、やがておずおずと口を開いた。
「……あの、私の話も、信じられないと思うんですけど……」
小さな声で告げられる内容に、降谷は頭を抱えることになる。
20190830