泣き疲れたのか目元も身体も熱くて怠いが、頭は痛むことなくどこかすっきりしていた。優しい温度がずっと撫でてくれていたからだろうか。
ぼやけた視界の先、眩しい金色の持ち主が目元に濡れたタオルを当ててくれる。冷たくて気持ちいい。
「君は僕を最大限に利用すればいい、僕も君を利用する。罪悪感も全てお相子といこうじゃないか」
これでも中々堪えてるんだ、なんて言いながら、降谷と名乗った男は苦笑する。堪える?と澪が小さく首を傾げるとその苦笑は困ったように歪んだ。
「組織を探るのに近付いた対象が、ただ必死に生きてるだけの女の子だったんだ。思うところくらいある」
「……随分と綺麗に表現してくださるんですね」
「事実を言ったまでさ。僕は一を捨てて百を救うのが仕事だ、でも何も感じないわけじゃない」
言い訳に過ぎないけどね、と肩を竦める降谷は随分と人間臭かった。丁寧な態度を崩さない安室とも、隙の見つからないバーボンとも違う。
これが彼の素なのかもしれない。そんな澪の思考が伝わったのか、オフレコと言っただろう、と降谷は小さく笑う。
「君は望んで犯罪者になったわけじゃない。そんな君を僕は、僕らは助けられなかったし、助け出すことも出来ない。君の主張は正しい。君には僕を責める権利がある」
「……私の事情だけを考えたら、そうなりますね」
「確かに君が犯罪を犯してきたのは事実だ。だが君が色々考えるようにこちらもそれなりに堪えてるんだ。僕は君を見逃す、君は僕に手を貸す。シンプルにいかないか」
悪いようにはしないと約束する。
いつかも聞いたその言葉は、やはりどこまでも眩しい色をしていて。それを見た瞬間張りつめていた糸が一気に緩むのが分かった。頭の奥の方が熱くなり、収まった筈の涙がじわりと目尻から流れていく。
その雫を拭ってくれる手の持ち主は困ったように笑っていて、澪の身体から力が抜けていく。大きく息を吸って、吐く。随分と久しぶりに息が出来るような気がした。じんわりと指先に血が通っていくのを感じびりびりと痺れているかのようだ。
「……降谷さんに、もっと早く出会えたらよかった」
「そう言ってもらえて光栄だよ。……話しすぎたな、一度休もうか?息が上がってきている」
「お気遣い、ありがとうございます。大丈夫です、ジンさんに掻っ捌かれた時に比べれば」
「待て待て待て」
少し重くなりすぎた空気を軽くしたくて砕けた感じに言ってみれば、それを感じ取ったのか降谷の雰囲気も軽くなる。ただ聞き逃せない話だったのだろう、笑って流す気は無いようだ。
正確にはジンに捌かれたわけではないのだが、まぁそこはご愛嬌だ。身の上を一から話しておこうと澪は父親の件からぽつぽつと語った。借金のこと、取り立てに来たジンのこと、命と引き換えに組織に入ったこと、直後一度中国に渡ったこと。他人事のように語ってみるとまるでフィクションみたいだった。
言葉を発するほど身体が疲れていくのが分かりどうしても話が途切れ途切れになってしまったが、降谷は相槌をうちながら聞いてくれた。促すようなそれに安心感を覚えて話し終えた頃にはすっかり息が上がってしまい、差し出された水を有り難く飲み込む。
「共感覚?……刺激に対し複数の感覚が生じる現象は確かに存在するが、大体は音に色を伴う色聴と呼ばれるものだ。感情が見えるというのは……いや、音に色という点は同じか……」
片手で顎を支えるポーズがこんなにも似合う人がいるだろうか。そんなふざけたことを考えている澪の視線の先では降谷が真剣に考え込んでいる。
興味深いのは分かるが、澪にとって共感覚と呼ぶのが正しいのかどうかも分からないこの感覚は生まれた時からの付き合いだ。自分のものとして最初から受け入れていたものに今更疑問に思う事など無く、なんとなく温度差があって申し訳ない。
「興味本位で申し訳ないんだが試してもいいかな」
「どうぞ」
疑っているというよりは、未知のものを解き明かしたいという好奇心の方が強い降谷の言葉は、なんとなく無邪気な少年を見ているようで面白かった。
「降谷零というのも実は偽名なんだ」
「嘘ですね」
「好物はセロリ」
「本当に好きなんですね、珍しい」
「家にギターがあるんだ。友人に教える程度には得意かな」
「……ギターがあるのは本当。友人の件は、んー、嘘だけど……教えるんじゃなくて教わったとかですか?」
「……凄いな、細かいニュアンスまで分かるのか。人の声はそこまで繊細なものなのか、それとも実際は声意外の細かい情報も拾って総合的に判断しているのか……しかしここまでの精度を毎回出せるとなると推測では難しい、単純に色を読み取っていると考えた方が納得できる」
「楽しそうですね?」
「悪いがとても興味深い」
「とうとう謝罪が上辺だけになりましたね」
「本当に凄いな」
楽しそうに笑う降谷から感じるものはとても強い好奇心で、そんな彼の態度が澪には気楽だった。緊張も警戒もどんどん溶けていく。
彼曰くオフレコモードが続いているのは澪の為だろう。打算の色は安室の時よりも随分と少ない。無いとは言わないが。それよりも気遣いの色がとても濃い。
そう言えば安室の頃から澪の警戒を解く為にあまり嘘を言わない人だった。今はそれ以上に気を遣ってくれているのだろう、心地良い色ばかりの言葉に頬が緩んでいく。
そんな澪の様子に降谷が安心したように小さく息をついた。やっぱり優しい人だ。
20191028