「どういう了見だカルーア、バーボンなんぞに借りを作りやがって」
「そう怒んないでくださいよ。下の教育がなってないそちらにも責任があるんじゃないですか?」
「ハッ、てめぇがひ弱なのが悪いんだろうが」
「私がひ弱なのは分かりきったことじゃないですか、そこを考慮した上でマネジメントしていただかないと」
降谷が意外だったのは、澪がジン相手に会話で善戦していることだった。確かにカルーアがジンから信頼を得ているという話は聞いていたが、実際に2人が一緒にいるところを見たことが無かったのだ。
やはり出会った最初の頃に空気を読むのが上手いと感じたのは間違いではない。ジンの怒りに触れないギリギリを攻めているのだろう、言葉を交わすテンポが小気味いい。
今になって考えれば、相手の言葉の色を読むのが日常な彼女にとって人の顔色を窺うことなど朝飯前なのだ。澪の後ろに控えながら興味深いなとやりとりを眺める。
そういえばジンだけは共感覚のことを知っているんだったか。そんなことを考えていると不意にジンの視線がこちらに向く。
「テメェも調子に乗るなよバーボン」
「滅相もない。僕はただカルーアが困っていたので助けただけですよ、こういう時はお互い様じゃないですか」
「ケッ胡散臭ェ。おいカルーア、この男の首輪しっかり握っとけ」
残念ながら自分はすぐさま不興を勝ってしまったようだ。あからさまに対応が違うことで、思っていた以上にジンはカルーアを気に入っているらしいことを知る。
恐らく同じことを言ったとしてもカルーアは許されてバーボンは許されないのだろう。まぁよくあることだ。
肩を竦めてみせると澪からも苦笑が返ってきた。一瞬で引っ込められたそれはジンの目には入っていない。
彼女はそのままジンに呼ばれ小走りで去っていく。後ろ手でひらひらと手を振られたのでついて行かない方がいいという事だろう。
あまり身体を動かしてほしくないのだが。彼女の傷は決して浅くはない、まだ塞がってはいないのだ。
そう思って、そしてこれでは確かにお父さんなどと呼んでくる澪の言葉を否定できないなと自分に苦笑した。
***
苦しくなる夜がある。
澪は布団の中で腹を抱えて小さく丸くなっていた。傷がズキズキと痛んで眠れない。
眠れないと余計なことを考えて、また傷が痛くなるような気がして。暗い部屋の中でただ朝が来るのを待つ。
痛い、苦しい。
今までは大丈夫だった。カルーアという仮面を、上手くは出来ていなかったかもしれないけれど、それでもどんなにぼろぼろでもずっと被り続けてきた。そうすればなんでも我慢出来た。
朝月澪はもういない。そう自分に言い聞かせて、色々なものを見ないふりして。そうして澪はどうにか今日まで生きてきた。生きたいと、それだけをひたすらに願って。
「澪」
だけど、降谷は名前を呼ぶ。捨てた筈のその名前を、もう誰も呼ばなくなった筈のその名前を。
その度に泣きそうになる。そしてその度に、降谷は殊更に優しく笑って澪の頭を撫でるのだ。
布団越しにそっと降谷の体温を感じる。顔を出してみれば、目があった降谷はやっぱり優しく笑う。
「痛むか。走ったりするから」
「見栄をはりたいお年頃なんです……」
「はいはい。そうだな、痛み止めはいつ飲んだ?間があいてるようならもう一回飲んどこうか。食欲はある?」
「夕方飲んだっきりです。食欲は……」
「無さそうだな。夕飯は食べたのか?」
「……」
「こら」
全く、だなんて言いながらもキッチンへ消えていった降谷は相変わらずこの家において我が物顔である。
数分で戻ってきた彼の手には湯気たつマグカップ。甘い香りが漂ってきて、現金にも澪の腹がくぅと小さな音をたてた。
その音に笑いながら身体を起こすのを手伝ってくれた降谷から手渡されたココアが温かい。心なしか傷の痛みも引いてきた気がする。
苦しくなる夜がある。
今までは大丈夫だったのに。大丈夫じゃなくなったのは降谷のせいだ。名前を思い出させたりなんかするから。
20191214