瞼の裏の明るさを感じると共に夢の世界にいた意識が掬い上げられる。
相変わらず寝室のカーテンは少し短い。隙間から差し込んでくる朝日に睡眠を邪魔される度にどうにかしようとは思うものの、朝一の寝惚けている間の記憶などあってないようなもので、つまりはカーテンの丈が改善されることなく今に至る。
いつだかのベルモットとかいう愉快犯に睡眠を邪魔されたときとは違い、七時間きっかり眠った今朝は至って快適な目覚めだった。開けたカーテンの向こうはいい天気だ。
(……あれ、)
ベッドから降りた先、寝室とリビングを繋ぐ扉。聞こえてくる人為的な音は今や慣れ親しんだ色をしていて、目に入る温かな色たちに頬を緩めた澪はぐぐっと身体を伸ばしてのんびりと着替え始めた。
「おはようございます」
「おはよう。もうすぐ出来るから顔洗っといで」
香ばしい朝食の香りと共に振り返ったのはこれまたこの部屋に慣れ親しんだ降谷で、警察庁帰りやポアロ出勤前などに気紛れで現れる。そして彼の趣味である料理を心ゆくまでしていくのだ。時間があるときは勉強会も継続して開いてくれている。
今朝はシンプルな格好を見るにポアロの日なのだろう。今まさに巻かれている卵焼きから香る出汁の匂いが空っぽな胃を刺激してきた。
「いつからいらっしゃったんです?」
「そんな前じゃないさ。そこそこ遠慮なく動き回ってたと思うんだけど、起こさなかったみたいで良かったよ」
「……殺意は無さそうだったので?」
「ははっ!懐かしいな」
炊飯器の表示を見るとあと三分で炊き上がる。味噌汁の具はなんだろうか、降谷のことだからきっとこの前話したあおさとシジミのことを覚えてくれているだろう。
テーブルの上に次々と並べられていく皿たちは彩り鮮やかで、ほかほかと湯気を立てていたり瑞々しかったり。
いくら降谷がたくさん食べるとはいえ、それでも二人で食べきれないほどの料理が並ぶのもいつものことだ。澪の家はいつからか常備されているタッパーの数が増えた。蓋をしたままレンジでチンできる優れものである。
「んん、鮭美味しい……粕漬け最高……」
「君最近魚食べてないだろう。冷蔵庫に幾らか入れといたからちゃんと食べるように」
「ありがたき幸せです。肉じゃがも美味しい。何と言っても出し巻き優勝」
「そう素直に褒められると作り甲斐あるよ」
ぱくぱくと食べては美味しさに浸る澪の様子に笑いながらも、澪以上のスピードで箸を進める降谷。安室のときは気付かなかったが、彼は素だとガツガツ食べる。所作ひとつとっても演じ分けているのだと感心したものだ。
人が自分の為にご飯を作ってくれて、一緒に食べることができて、美味しくて。あぁ幸せだなと、そう思う瞬間が増えてきた。
きっと、澪の人生は幸福なものではないけれど。決して不幸ばかりなわけでもない。そう思えるのは降谷のおかげで。
恵まれているなと、素直にそう思う。
「はい、お茶」
「ありがとうございます」
ほんのり梅の香りを漂わせる湯呑は温かい。
優しい色に囲まれたこの部屋の中で、確かに今、澪は幸せだった。
20200616