頬ががくっと下がっている自覚はあった。多分今自分はとんでもなく仏頂面なのだろう。誰にというわけでもないけれど申し訳ない。
肩から腰にかけて痛いと言えばいいのか怠いと言えばいいのか、気持ち悪いくらいに固まっていて。なんだか寒気がするような変な感覚。
背筋を伸ばしているのが辛くて、歩くのもキツくて、でも止まれば楽かと言われればそうでもなくて。とにかく身体が重くて痛い。
疲れた。腫れぼったく感じる目蓋を頑張って持ち上げて、意味も無くわいてくる苛々をどうにか抑え込みながら澪は足早に歩いた。
お腹がすごく空いていて、でも自分で作る気にはならなくて。買い物も料理も片付けも非常に面倒くさい。
そもそも冷蔵庫の中に何が入っていたかなんて最早覚えていないし、入っていたとしても無事かどうか危うい。そしてこの時間にまだ開いているスーパーはここからだと少し遠くて、車じゃないと行く気にならない。
何故電車で帰ってきてしまったのかと考えて、安全に運転出来る気がしなくて愛車を置いて来たことを思い出した。
もうコンビニでいいかと寄り道をしたのが5分前。なんとなく思い浮かべた食べたいものが置いていなくて、適当に手に取ってレジに向かったはいいもののそこには長蛇の列があって。
なんだかとても苛々してしまってさっさと商品を棚に戻してコンビニを後にした。すごく駄目人間になった気分だ、情けない。いや寧ろ今現在の自分は正真正銘の駄目人間なのではなかろうか。
駄目だ、疲れているからだ。全ての言い訳はそこに持って行くことにして、今日はさっさと帰って寝ようと一度ぎゅっと目を瞑った。
肩を解したくてぐるりと回すとピシッとした嫌な感覚と共に鈍い痛みがじいんと残る。泣きたい。
見てはいないけれど、もしかしたら今日の朝テレビをつけたら星座占いは12位だったのかもしれないな、とどうでもいいことを考えたその時。
「おや、澪さん?今帰りですか?」
「、安室さん」
ひくり、と目元が引き攣ったのが分かった。
咄嗟に取り繕おうと笑顔を浮かべたが、あまり表情筋が上手く動かなかったし、この人の前では無意味だろうとすぐに諦めた澪の頬から力が抜けていく。
一応最後の悪あがきでこんばんはと小さく頭を下げて顔を隠してはみたけれど。きょとんとした表情を浮かべた安室の目が訝しげな色を浮かべている。
あぁ、今この人には会いたくなかったのに。
「こんな時間に女性の一人歩きは感心しませんね。丁度そこに車が停めてあるんです、よろしければお送りしますよ」
「いえ、」
「随分お疲れのようですし。なんなら眠ってしまっても大丈夫ですから、ね?」
おどけた様にウインクをしてきた安室は、有無を言わさず、だがどこまでも丁寧に澪の背に手を添えて近くのコインパーキングへと促してきた。
だから嫌だったのだ。この温かい手は全て分かってくれる。意味も無く泣き出したいくらい疲れているのも、誰とも話したくないのも、でも誰かに寄り掛かりたいのも。分かった上で最大限甘やかしてくれる。
そんなの抗えるわけがない。自分なんか比じゃないくらい日々身を擦り減らしているこの人の負担になんかなりたくないのに。
それでも身体とはどこまでも正直なもので、エスコートされるがままに辿り着いた助手席へと身を沈めれば一気に指の先まで力が抜けてしまった。
人間寒いと悲しい気持ちになってしまうものですよ、だなんて言いながら、どこから取り出したのかもこもこのブランケットに包まれて。スタイリッシュなスポーツカーにどこまでも似合わない。
何も言わずにぽすりと一度だけ頭を撫でられる。
それが無性に嬉しかった。
暖かさと、心地いい揺れと、安心できる空間と。随分と気を抜いてしまっていたらしい。
無言のまま気付けば自宅の前に着いていることに気が付いて、はっとした澪は礼を述べつつシートベルトに手をかけた。
本当は土下座でもしたい気持ちでいっぱいだが、今彼は安室透だ。ただの親しい友人という間柄である澪が送ってもらったくらいでそんなことをすれば不自然極まりない。いや、降谷相手なら自然だということでもないが。
ありがとうございました。そう言おうとして安室の方を見ると、何故か彼もシートベルトを外していた。それだけでなく、右手を下の方に伸ばしたかと思うと座席を一番後ろまで下げている。
澪よりも後ろに位置した安室を振り返ると、彼はこちらを見返して、ん、と両腕を広げてきた。愛想のいい笑みを剥がした彼は安室の顔をしていない。
「おいで」
ふらりと腰を浮かべてそのまま倒れ込むように飛び込む。背に回った腕が痛いくらいに抱き締めてきて、疲れ切った身体にも心にも心地いい。
ぎゅうぎゅうとこちらも思いきりしがみ付けば、お腹の奥底のほうからじんわりと温かくなるような気がした。
降谷さん、と顔を胸に埋めたまま小さく小さく呟く。その意図を察したのか、降谷はぼそりと言葉を返してきた。
「ま、平気だろ。盗聴器も無いし」
「……あー、もー……すみません、ありがとうございます……」
「はいはい、分かったから」
唸り声を上げる姿が可笑しかったのか、小さく零れた笑いが髪を擽っていく。
この人に甘えてしまう自分が嫌で、この人に甘やかしてもらえる自分が誇らしくて。相反する気持ちがぐるぐると渦巻くが、自己嫌悪は後ですることにして今は精一杯甘えてしまおうと狡い自分が勝利する。
それすらも見越したように、お前はよくやってるよ、だなんて頭を撫でられて。頭に、肩に、背中に。じんわりと熱を分け与えられて、凝り固まっていたものが解されていくかのようだった。
「……しかしお前引くほど身体硬いな。いい整体紹介しようか?」
「……私が言うのもなんですけど降谷さんムードって言葉知ってます?」
20180324