「カルーア、仕事よ」
「……色々と言いたいことはあるんですけど、とりあえず時間考えていただけますか……」
時計を見なくても分かる。痛む頭、気怠い身体。無理矢理叩き起こされたことによりここまで不快感があるのは、随分と非常識な時間帯である証拠だ。
霞む視界で時計を見てみると午前2時40分。案の定ではないか。
文句を言いつつも仕方なく上半身を起こす。全く勘弁してほしい、こちらはやっと寝付いたところだったというのに。布団の中は温かかったが、手足はまだ冷えたままだった。
そこそこセキュリティのきちんとしているマンションだったと思うのだが、勝手に入られていることには今更疑問は抱かない。文句が無いとは言わないが。所詮澪は雇われの身である。
腹に大きな傷をつくってから数年。
自身の命と引き換えに入った組織は、やはりというかなんというかお世辞にも白いとは言い難いものだった。いや、真っ黒だ。どこまでも犯罪組織でしかない。
共感覚のことを他言しないこと。他に利用しようとする、または排除しようとする輩が現れた場合に澪は対抗手段を持たないから。
直接人を殺めたり傷つけたりする仕事はしないこと。今まで平和に生きてきた自分に向いているとも思わないし、そんなことに割く人手は他にいくらでもあるだろうから自分に合った仕事を回してほしい。
この2つの約束をとりつけた澪は組織の中で必死に生き抜いた。誰よりも賢く、どこまでも強かに。その結果、幹部には酒の名前からとったコードネームが与えられるこの組織で澪に与えられたのはカルーアの名。
それまでは澪個人を表す記号は無かった。朝月澪という人間は死んだし、唯一その名を知っているあの日の男、ジンは覚えてなどいないだろう。いつも小娘と呼ばれていた。澪も自身の生存が漏れないよう一度も自分の名前を口にしなかった。また痛い思いをするのは御免である。
#水元#澪を知っている人間はもういない。今ではカルーアという名前が澪そのものだ。
「起きたかしら?」
「お陰さまで素敵な目覚めですよ、お久しぶりですねベルモットさん。私の貴重な睡眠を邪魔してまで会わせたいそちらはどなたです?」
「そんなに怒らないでちょうだい。怒った貴女も可愛らしいけどね?」
ベルモットが慣れた様子で室内に乗り込んできているのは日常茶飯事なので気にならない。何度でも言うが文句が無いとは言わないが。
ただ今回はその後ろにもう1人、見慣れない顔が並んでいた。ベルモットと共にいるということは危険はないのだろう、特に警戒することはせずに欠伸を噛み殺す。
褐色の肌に明るい髪、海色の瞳。ベルモットと並んでお似合いな程に整った顔立ちと細身にも鍛えられているのが分かる身体つき。
ジンが悪人を具現化したような男だとするならば、この人はイケメンが服を着て歩いていると表現すればいいだろうか。内心でそんなふざけたことを考えながら澪が視線を向けると、彼はにっこりと人好きのする笑顔を浮かべた。
「初めまして、僕は安室透といいます」
「……ご丁寧にありがとうございます。私はカルーアです」
安室透。その言葉に乗る色に澪は数瞬言葉を飲み込んだ。
それを寝起き故のぼんやりとした表情に隠し、こちらもやんわりと笑みを返す。いい加減シャキッとしなさいよというベルモットの言葉には不満気な顔を返しておいた。今何時だと思っているのか。
「この男、もうすぐコードネームを与えられるのよ。顔見せついでに一仕事一緒に熟してきてちょうだい」
「へぇ……ちなみに、その仕事は何時なんです?」
「そうね、今日の昼には出てもらおうかしら」
「私まだ寝れましたよね」
なんでもベルモットが仕事終わりにそのまま安室を引っ張ってきたのだとか。知ったことではないが全てはこの大女優様の都合ということだ。
一仕事。その中には安室の監視も含まれているのだろうことにはすぐに気付いた。何もこれが初めてではない、カルーアにはネズミ獲りの役割もあるから。
それがメインではないものの、普段から組織内の人間には目を光らせるようにしている。これまでにも何人かその言動から炙り出してきた。
コードネームが与えられるということだし、今まで面識は無かったが確認をしておけということだろう。
「じゃ、朝になったら改めて連絡ください。安室さん、これ私の番号です」
メモ用紙にペンを走らせ安室に押し付けると、帰れと言わんばかりに手をひらひらと振る。
暇潰しを兼ねているのだろう嫌がらせは充分に満足したらしく、ベルモットは特に何を言うでもなくにんまりと口元を上げると踵を返した。安室も苦笑を浮かべると、では、と軽く頭を下げてからその背を追っていく。
再び静寂が戻る室内。冷えた身体をさっさと布団の中に戻し、手足を擦り合わせるようにして丸くなる。僅かに残っていた温かさがじんわりと移ってきて、元々重かった瞼は簡単に落ちてきた。
(安室透……)
それが彼の名前なのは本当。でも、本名ではない。
とても真っ直ぐで綺麗な色に乗っていたのは警戒と、僅かばかりの軽蔑。それから使命感といったところか。
(まぁいっか、寝よう)
とろんと意識が微睡んでいく。一度睡眠を邪魔されてしまったのだ、しっかり寝ないと変な疲れが残ってしまう。
ぎゅっと膝を抱えて目を閉じる。指先の冷たさに身体を震わせた。
20180326