『才原さん、至急校長室まで来てください。繰り返します、才原さん……』


 先程放課後のチャイムが鳴り、部活に勤しむ者たちが出て行った教室。残った面々が好き好きに過ごしている騒がしい空間に流れた放送は、まるでそれが当たり前であるかのように淡々と繰り返された。
 ぴたりと一瞬ざわめきが止まる。だが、呼び出された名前を耳にすると、あぁまたかと言うかのように誰もが特に気にした様子もなく教室内はすぐ元の騒がしさを取り戻す。
 それは当の本人である祥もその周りも同じで、スピーカーに向けられていた視線たちはにやにやとからかうように祥の方へと向けられた。至って慣れたものである。


「まーた呼び出し? ブラックじゃん」
「言ってやりなよ、今時サビ残なんて流行んないって」
「そういう一人一人の声が大事なんだよ。さぁ今こそ立ち上がる時、皆で私を解放して」
「いまこそそのとーきー」
「懐いなそれ!」
「中学で歌ったわ」


 一瞬で飛んでいく話題。女子高生の会話なんてこんなものである。
 ここまで大々的に呼び出されては無視することも出来ず、いってらー、と手をひらひら振る友人たちに見送られて教室を後にする。先程の軽口に乗るなら放課後になっている時点で大人の世界でいう定時を過ぎているのだからまさにサービス残業なのだが、会社に逆らえないのが社会人なら学校に逆らえないのが学生だ。
 頼まれたら断れない、そんな日本人の特性を存分に発揮しながらあれよあれよと気付けば生徒会長に祭り上げられていた自分が全て悪い。祥は充分に分かっていた。
 帰り道にあるスーパーで毎週水曜日の夕方に行われるタイムセールを目当てに時間を潰していた彼女だが、今週は諦めるしかないだろう。校長室への呼び出しというものは得てしてすぐに終わるものではないのだ。


「失礼します、才原です」


 ドアをノックする。日本では三回がマナーだとか、二回はトイレの空室確認だとか、返事を貰うまでは中に入ってはいけないだとか。中学生のときに受験面接の練習だと何度も繰り返した一連の動作、校長室に入る緊張も今ではすっかり無くなってしまった。
 中に入ると、見慣れた部屋の中でいつも通りにこにこと、少しばかりオブラートを取り払うならば人をイラッとさせる笑みを浮かべた校長の姿。と、視界の端ギリギリに映るもう一人。


「あぁ、才原さん。こちらね、旧校舎を調査してくれる方なんだけど」
「葛尾です」


 幾つくらいだろうか。癖毛の黒髪に細フレームの眼鏡、ひょろりとした体躯。穏やかな笑みを浮かべたその佇まいからは大人の落ち着きを感じるものの、ぱっと見は若く社会人というよりも学生に近い印象だ。
 葛尾と名乗ったその人は丁寧に名刺を差し出してくれた。反射的にそれを受け取る。


(……SPR?)


 SPR日本支部。見間違えじゃなければ名刺にはそう書いてある。
 SPRと言えば真っ先に浮かんでくるのは英国にある心霊調査団体だ。そんな権威ある団体の人間がありふれた私立高校になんの用があるというのだろうか。すぐさまそんな疑問が浮かんだものの。
 ……いや、先程校長はなんと言った?
 祥の学校には、旧校舎と呼ばれる今は使われていない建物が存在する。夜中に窓から霊が覗いているだの自殺した教師がなんだのと、言ってしまえばありがちな噂が飛び交っているのだが、その中に建物を壊そうとすると必ず不吉なことが起こって工事が出来なくなるというものがある。
 嘘か本当かは置いておくとしても、現に旧校舎は今三割程度取り壊されたまま生徒立ち入り禁止で放置されている。早く解体したいのに中々工事が進まないのだと校長がぼやくのを祥は聞いたことがあった。面白がって怪談を噂する生徒も霊なんている筈がないと小馬鹿にする大人も、この学校の関係者は心のどこかで少なからず旧校舎の噂を信じているのだ。
 それにしてもわざわざ調査の為にSPRを呼ぶとは。学校という機関が心霊調査なんて非科学的なものに理解を示すとも興味を持つとも思えないが、この校長のことだ、何かあった時の為にとりあえず調査をしたという事実だけを取り繕ってさっさと工事をしたいのかもしれないなと祥は内心で遠い目をする。
 それにしたってSPRは役不足にも程があるだろう。もしかしたら表面プラズモン共鳴のことかもしれないけれど。略せば共にSPRだ。
 まぁふざけるのはこのくらいにしておいて。


「お世話になります、生徒会長の才原です」
「何かありましたら、この才原に言ってください」


 一連の思考を顔に出すことなく頭を下げると、待っていたかのように校長が口を開いた。これから暫くの調査期間、何かあったらこの子を頼ってくださいと。上機嫌に続けられた言葉に祥は愛想笑いの鉄仮面の下で頬を引き攣らせる。
 主張しておきたい。祥はここに至るまで校長からなにひとつ説明を受けていない。急に呼び出され、急に知らない人間を紹介されているだけだ。いや、知らない人間に紹介されている側かもしれないが。
 一応ちらっと校長に視線を送ってみたが、満足そうな笑みと共に一度大きく頷かれただけだった。何も通じていない。


「じゃぁ才原さん、この方に校内を案内して」


 その言葉で葛尾と共に追い出された祥は、もやもやとしたものを喉の奥に押し込んだ。果たしてこれは生徒会長の仕事なんだろうか、そんな自問自答は幾度となく繰り返し、その度に諦めてきたのだ。大丈夫、いつもの事である。
 ……タイムセールが大層心残りだが。




20190109