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リハビリに始めました。


 二人の少年少女が乗った馬は全速力で走っていた。
 馬はすでに泡を吹き、目を剥いている。乗っているのは、華奢な少年少女の二人だ。その上に荷物まで乗せているので、馬にかかる負担も半端ではない。
 地面に薄っすらと積もった雪を、下の土ごと蹴ちらし、馬は死に物狂いで疾走している。
 二人のうち、少女が苦悶の表情で馬を操る後ろで若者が悲鳴混じりの声をあげた。
「月珠! これちょっと、やばいよ! 追いつかれそう! しつこいったら、ないよ! 君の元お仲間じゃないだろうね!?」
 若者の年の頃は十代半ば。襟元に獣の毛皮があしらわれた薄青い外套を纏い、その下には目も覚めるような真紅の上質の衣を身につけている。艶やかな長い黒髪から覗くのは、血のような紅玉をあしらわれた黄金細工の耳飾り。
 服装だけ見れば、優雅な貴公子といった風情である。乗馬は裕福な若者の手習いの一つだった。
 しかし、今現在、彼が走っているのはなんの障害もない草原ではなく障害物だらけの山道である。おまけに、見事に馬を操っているのは彼の前に騎乗している少女であった。
 こちらの少女も、花の盛り。十代半ばであった。簡素だが、質の良い衣に身を包み、雪のような銀髪には月下美人をかたどった華美な簪を身につけていた。簪の花のごとき清楚なその美しさは、やはりこの山道には恐ろしく場違いである。
「いいえ、わたくしの一族の者ではありません! それよりも御方様、舌を噛まれるので口を閉じていらしてください!」
「無理! こんな状況、叫んでないと、どうにななっちゃいそう!」
 後方で激しく土塊を上げながら、いくつもの騎馬がみるみる近づいてくる。
 その騎馬たちの正体は少女の主たる若者を狙う刺客だ。追いつかれたらどうなるか考えるべくもないが、こちらが騎乗しているのは最速を誇るという紅州産の赤兎馬である。
 少女が早々に気づき逃げ出したことと、最速の脚がこちらに有利に働いた。
「御方様、奴らを撒きます! 少々、無茶をしますがご安心ください! この玉葉はわたくしが自ら育てた愛娘! 立派に走り抜いてみせますから! それでは、お許しくださいまし!」
「これ以上の無茶って、なんだよ! ぎゃーっ!」
 若者の悲鳴と同時に、馬が嘶いて跳ねた。突然、山道を曲がり急な斜面に向かって飛んだのである。少年は突然の浮遊感に絶叫し、目の前の少女の背中にしがみついた。
 少年は暗転する視界の中、十六歳にして大人気なく家出を決行したことを後悔した。そして原因となったであろうある出来事を思い出していた。




 1




 一族特有の癖のない漆黒の髪。手入れの行き届いた処女雪のように白い肌。ぷっくりとした赤い唇は、やや大きいきらいはあるが、ともすれば肉感的で魅力的だ。鼻はやや低いかもしれないが、長い睫毛に覆われた瞳が大きく、さほど気にならない。
 化粧をしっかりと施したその面は、文句なしの美姫に見える。
 年頃の貴族の子女が、化粧なしに人前に出るのは礼儀知らずにあたる。その点、すっぴんで一心不乱にアルバイターとして日々励んでいるらしい妹は、きっと貴族の姫君としては規格外なんだろう。妹も、化粧をすればこのくらい美少女に変貌するのだろうか。と一瞬考えたが、目の前の少女の美しさはきっと化粧をとっても変わらないのだろう。もっとも、わたしはすっぴん美人が好きなタイプでもないが。
 ナチュラルメイクが好きな男って、面食いも良いところだと思う。女がどれだけ努力して化粧をしているか。
 その点、目の前の姫君は面食いの男にはこれ以上ない美姫なのだろう。薄紅色と抑えた紅色を基調とした衣裳は華やかで、首や腕に施された装飾品も華美だ。まだ年若いので、体つきはどこをとっても可憐だが、数年後には匂い立つような美女に成長しているに違いない。
 少女は目上の者に対する礼儀か、立っている。一方、わたしと末の叔父、紅玖琅は腰掛けていた。当然だろう。叔父は一族の宗家当主名代、わたしは不肖次期当主と目される直系嫡子。
 今日はその嫡子に対する挨拶か何かか、とお茶を啜るわたしに叔父は厳かに言った。
「紹介する。我が第二子、紅世羅だ。紅家次姫として、私が持ちうる全てを持って教育を施している。お前の未来の妻だ、なまえ」
「お断りします( ゚ω゚ )」
 長い真紅の衣の裾を引き払い、即座に立ち上がる。室を出て行こうとする私に、室内に十数人ものむくつけき男たちがなだれ込み、即座にぐるりと取り囲んだ。
 貴族の子弟として、剣技の心得があるとはいえ、その道の玄人に勝てるほどわたしの腕は優れていない。
「どこへ行く! なまえ」
「暫く、貴陽の叔父の元に滞在したいと思います。丁度、貴陽でも事業を拡張したいと思っておりましたので」
「黎叔父上の力を持って、この婚約を破断に持ち込もうという算段ならば、無駄だ。諦めろ、なまえ。紅一族の現状と、お前の未来を考えるならば、これ以上の良縁はない! 伯邑をお前の補佐につけ、世羅をお前の妻とすることで一族内での地位は盤石となる。だから、婚約しろ! なまえ!」
 背後からいつものごとく叔父が命令口調で叫ぶ。事実、命令である。
 国でも一二を争う権勢と歴史を誇る名門紅一族宗家。その先代当主の嫡子にして、叔父の長兄、そしてわたしの実父が凡庸で使えぬ。と廃嫡され、一族から追放されたのはわたしが物心つく前。そんな男の息子を引き取り、次期当主に、と推しているのが叔父の玖琅だ。だから、悲しいことに、血統では上位でも、今のわたしの一族での地位と権力は叔父からあたえられたものに過ぎない……。
「叔父上。叔父上がそう提案なさる以上、きっと私の従妹殿は私との婚約を納得しているのでしょうね。紅家の女は皆、非情ですから。しかし、男は代々皆非常。決められた約定も、世の道理もぶち破って行くスタイルなのが、紅家の男! 故に! 私は世羅と婚約できませぬ!」
 拳を天へと振り上げ、わたしは決然と言い放った。
 うおぉぉぉぉ、唸れ! 俺の令呪! 
「来い! 月珠!」
「はい、御方様」
 室内に無機質な声がふる。裳裾を優雅に揺らして現れたのは、銀髪の美しい少女だ。美貌だけで勝負するならば、世羅姫にも勝る。だが、彫刻のような面にはなんの感情も浮かんでおらず、まるで氷のよう。その点、可憐な笑みをたたえている世羅姫の方が魅力的に映るだろう。
「叔父上、世羅姫と婚約はできませぬ。私はこの月珠との婚姻を考えておりますゆえ」
 叔父は額に手を当て、深々と嘆息した。
「お前は、父と同じ轍を踏む気か。自分が背負うものを考えろ。そのような下賤な娘、お前には相応しくない。いいか、将来的にお前が紅一族の当主にするには、お前の母方の血筋を補う娘でなければならぬ。つまり、出自がはっきりとした高貴な姫だ。だが、王家には公主はいないし、藍家も子は数多くあれど、庶子姫しかおらぬ。兄上が廃嫡された今とおらぬし、この世羅は彩雲国で最も血筋の優れた娘なのだ」
 そりゃそうでしょうな。わたしは得心して頷いた。
 わたしにも妹がおり、血筋でいうと紅家直系長姫ーーこの国で最も高貴な姫君にあたる。しかし、父は廃嫡されているので妹は最早その地位にない。つまり、世羅が公式ナンバーワンなのである。
「よろしいのですか。后妃にもなれる姫君を、廃嫡された兄の息子に嫁に出して」
 今上陛下は病に伏しており、薨るのも時間の問題だと言われている。公子のうち、誰が王に即位するにしろ、紅家は国で最も高貴な姫を次期后妃として残しておきたいはずだ。
「その后妃になりうる可能性を潰してまで、お前に嫁に出そうという真意、わかるだろう? それだけ、私はお前に期待しているのだ。なまえよ」
 あばばばばばば。今上陛下の公子はどれも血筋が弱い。その意味では、強大な紅一族の権勢を後ろ盾にするためにも、目の前の世羅を后妃として必要とするはずである。それを潰してまでとなると……。
 叔父の期待に、胃がキリキリする。
「いや、そんなこと言われたら尚更結婚できませんって! 姫君、貴方も紅家の姫としての誇りがおありならば、私と婚姻するよりも陛下の后妃となられる方が幸せにおなりになれるでしょう。貴方は、いかがお考えか」
「父上様、なまえ様とお話してもよろしいでしょうか」
 その時、其れ迄沈黙を守っていた世羅が初めて口を開いた。たおやかな容姿とは正反対の、ハキハキとした口調。いかにも気が強そうだ。
「構わん」
「それでは。なまえ様、こうしてお話するのは初めてでございますね。父上様よりご紹介にあがりました、紅世羅でございます。なまえ様、わたくしは確かに生まれた時より后妃となるべく育てられました。ゆえに、后妃の座には多少未練はございます。しかし、よくよく考えますれば、優秀と謳われた第二公子がおられぬ今、凡庸と噂される公子と婚姻し、后妃として多大な責任を負うよりも、慣れ親しんだ紅一族の当主の妻となり采配を振るうことに魅力を感じております。愛人と離れたくないと仰るなら、それでよろしい。次期当主の争いの種さえ蒔かぬというのならば、好きに遊んでくださいませ。わたくしは、一向に構いませぬ」
 すごい言い様である。さすが、叔父が手塩にかけて育てた娘……。これぞ、紅家の女! といった女傑ぶりである。案外、后妃として後宮に入っても如才なく立ち回っていたのではなかろうか。
 ああ、第二公子様! なんで失脚しちまったんですか! お陰でわたしはすごーい厳しそうなお姫様と結婚させられそうになってます!
「この通り、世羅もお前と結婚する心算でいる。かくなる上は、まず手始めに婚約しろ! そして数年後にはお前の当主就任とともに、結婚だ!」
「あかんて叔父上!」
 貴族の婚姻など、政略で決まるものでしかないが、これはひどい。完全に権力をかさにきて、強引に結婚を推し進めている。
「手始めにまず、同衾しろ。そして、既成事実を作るのだ」
「いや、初潮来てない子供との性行為は倫理的にまずいのでは?」
 それ絶対、児童ポルノ!



 そんなこんなで、わたしと世羅の婚約は整ってしまった。今から数年前の話なので、わたしが十四歳、世羅が八歳の時の話である。
 叔父の必死の婚約攻撃により、逃れに逃れなくなったわたしは、二年後めちゃくちゃ家出した。