18

「えっと…たしか……あった!」

再び女部屋に戻ってきた私は、たしかこの辺りにあったはず、とドレッサーの横を覗く。そこに立て掛けられていたトランクケースを目にしてホッと息をついた。

それを手に取った私は部屋の真ん中にある丸テーブルの上に寝かせるように置き、取っ手の側にある出っ張りに指を触れる。

すると、小さなトランクケースは青色の光線を一瞬纏った後、プシュッと空気が抜けたような音を立ててケースの間に隙間を開かせた。

ダヴィンチちゃんに渡されたこのトランクケース。初めて開ける時は仕様に戸惑ったのだが、指紋に反応しているみたいで、どうやら私しか開けられない仕組みになっている。近代的なデザインに沿った機能が取り付けられており、流石抜け目のないダヴィンチちゃんに感心した。

トランクケースを開ければ、綺麗に仕舞い込まれた制服が入っており、目にした瞬間なんとも言えない高揚を感じた。

――――また、これを着れば冒険が始まる。

そう高まる期待に胸を寄せて、ふんわりと柔軟剤の香る制服に腕を通した。

黒のタイツとスカート、そして履き慣れたブーツに足を入れ、床をトントンと蹴る。最後に、カルデアのエンブレムが施されたタイをカチリと取り付けて鏡を見た。

うん、いつも通りの私の姿だ。ピリリとした雰囲気に気持ちが引き締まる。耳をすませば、緊迫した声や慌ただしい足音が船内にやけに響いていた。

皆もう準備出来たかな?と賑やかな彼らを想像すれば自然と口角が上がる。

待たせても悪いので、丸テーブルの上に置いていたトランクケースを閉じて手に持つ。便利なことにショルダーストラップが付いており、ショルダーバッグのように肩に掛けられる仕様だ。

落ちないように首を通して肩に掛ける。

これで準備万端!と甲板へ向おうと一歩踏み出した時、グンッと足がつんのめた。

「いったァ!」

上手く両手が付けられず顔面から床にぶつかる。ジンジンと痺れる鼻と口を押さえながら足元をじろりと見た。どうやら丸テーブルの脚に引っかかったみたいだ。

せっかく準備出来たと言うのに、幸先が思いやられる。立ち上がり身体についた埃を払って再びドアへと向かう。

一呼吸置いてから、ドアノブを引いた。




*




甲板へ出ると、虫カゴに網を持ったルフィさんやリュックを背負ったロビンさんの姿が目に入った。

「すみません、お待たせしました!」

やっぱり待たせてしまっただろうか。駆け足でルフィさんたちの元へ駆け寄る。すると、私に気づいたウソップさんが声を掛けてきた。

「おー、なまえそれに着替えたのか」
「はい! 丸腰で行くのは怖いので」

私は制服が見えるようにくるりと回ってみせる。ウソップさんはジィっと私の顔を見て、それから眉を寄せた。

「そういえばそれ着ると強くなるんだっけな…というかどうした?口から血出てるぞ」

ウソップさんの言葉に、「えっ」と口の端を触ってみると、ぬるりとした感触。手を見ればほんの少しだけ血がついていた。

もしかしたらさっき転んだときに口を切ってしまったのかもしれない。

「わっ、ほんとだ…」
「チョッパー呼んでくるか?」

慌てて血のついた手をポケットティッシュで拭き取ると、ウソップさんが心配そうな表情で顔を覗いてくる。チョッパーさんを呼ぶと気を使ってくれた。

そういえば、ウソップさんに魔術を見せる約束をしていた数日前のことを思い出す。

「いえ、大丈夫です。あっそうだ…ちょうどよく怪我してるので魔術をお見せしましょうか?」

そこまで、大袈裟な怪我ではないのでやんわりと断り魔術を見せることにする。すると何故そうなるんだ、と言いたげな顔で私を見るウソップさん。

「ちなみになんで怪我したんだ」
「さっき部屋で転びました」
「ドジか!!」

そう、ウソップさんにぴしゃりと言われた。自分でもドジだなあと思います。えへへ、と頬を掻きながら眉を下げる。

「それで何をするんだ?」
「ちょっと見ててください」

何をするのか気になったのかルフィさんとチョッパーさんもこちらへ寄ってくる。これからすることにどんな反応が返ってくるか、少しわくわくしながら手のひらを上げてみせた。

「…礼装起動セット。応急手当…!」

右手に魔力を集中させると、新緑色の輝きがふわりと浮かび始める。そのまま口元に触れればジンジンとした痺れが引いてきた。

「ほら! 血が止まりました!」

パッと手を離して見せてみる。3人の顔は驚きに満ちていてぷるぷると肩を震わせていた。その姿にニヤニヤが止まらなくてヘヘェ…と勝手に口角が上がる。

「おお〜…ほんとだ。怪我を治せるのかおまえ!」

キラキラとした目で私の顔を覗くチョッパーさん。しゃがんで目線を合わせれば、そのかわいい手でペタペタと顔を触ってきた。ああ、今とても幸せ…変な顔をしてそうだ。

「完全にじゃなくて、かさぶたを作る程度なら回復させられるんですよ」
「なんていうか地味だなおい」
「ウッ…痛いところ突かないでください」

そう補足すると、ウソップさんが少し残念そうに肩を竦めた。素人に毛が生えたようなものだと私も自覚しており、しょんぼりと頭を垂れる。

そんな時、ルフィさんの高揚した顔がググッと鼻先まで迫ってきた。おっと、前にもこんなことがあったような…デジャブかな? 思わず私は仰け反る。

「いや! でもすげェよなまえ! ほんとに魔法使いだったんだなァ!」
「魔法使いじゃなくて魔術師なんですけど…」
「どっちでもいいよ! カッケェなぁ〜!」

私がせめてもの自慢できることだ。こんな私を見て喜んでくれるから見せた甲斐がある。

一応、魔法使いと魔術師では意味合いが違って来るのだけど知らない人からしたら変わらないように見えるのだろう。

まぁ、いっか。と困った笑みを浮かべて「えへへ…そうですね」と返事した。

すごく褒められて嬉しいような、照れる気持ちから逃れるように船の向こう側を見ると、階段を降りてきたナミさんと目が合った。

「あら、ほんとに準備してきたのね…何もなまえまで行かなくてもいいのに」

こんなところで降ろそうと思わないし、と言いながらこちらに寄ってくるナミさん。気遣わしげな表情から私を心配してくれるようだった。

「ごめんなさい…! ちょっと試してみたいことがあるんです」
「…試したいことって?」
「うーん…ちょっとです!すぐ帰ってきますから」

ナミさんに申し訳なく感じ眉が下がる。しかし、私の最初の目的は霊脈地を探すことである。ここで行かなければ何も始まらない。無理を言うようだが、両手を合わせてお願いしてみた。

すぐ戻る、と言えば諦めのついた顔でため息を吐くナミさん。その様子から期待が高まるが、どんな答えが返ってくるか少しドキドキした。

「まぁ、それなら…気をつけなさいよ」
「はいっ」

ナミさんの言葉に安堵の息が漏れる。よかった! 許可が下りた、と飛び跳ねながら返事をすればナミさんの表情が緩んだ。

「おい、ルフィ! フランキー! おめェらしっかりロビンちゃんを守るんだぞ…ってなまえちゃん?」

ルフィさんとフランキーさんに続けて私の名前を呼ぶ声が上から掛かる。見上げれば、2階のデッキに煙草を咥えているサンジさんがいた。ロビンさんがお弁当を受け取っているところをみると、料理したあとの一服かな?

「あっサンジさん」と手をあげて振ると、サンジさんはにこりと微笑んで手を振り返してくれた。すると何やら不安げな表情で眉を寄せ、口を開くサンジさん。

「ほんとになまえちゃんも行くのかい?」
「はい! ちょっと冒険しに行ってきます!」
「そっか…怪我しないようにね」

そうサンジさんに聞かれた私は陽気に笑って敬礼のポーズをしてみせる。それを見たサンジさんは眉を下げて笑った。敬礼のポーズも返してくれたお茶目なところに少し嬉しくなる。

なんだか心配されてばかりだ。気遣いに、ありがとうございますとお礼を言おうとすると、サンジさんの様子が急に変わった。

「それよりもなまえちゃん着替えたんだね〜! すっごくお似合いだよ〜!」
「サ、サンジさんも元気そうで何よりです〜…」

猫撫で声のような高い声で、体をクネクネとくねらすサンジさん。お花とハートが周りにふわふわと飛んでいた。変な方のサンジさんだ…と心の中で溢す。褒めてくれるのはとても嬉しいのだけれど、如何せんこちらのサンジさんにはまだ慣れない。おかげで変な返事を返してしまった。

「こういう時のコックはスルーするのが一番だぜ」
「ど、努力します…」

困ってる顔が出ていたのか、フランキーさんがアドバイスをくれた。スルーするのは可哀想だな、と考えているとフランキーさんが親指で船の向こう側をクイッと指す。

「今から全員に見せたいものがあってな。嬢ちゃんも見ていってくれ」

そうフランキーさんに言われるがまま、船縁へ近づく。一体何を見せてくれるのだろうと待っていれば、一味の皆さんがぞろぞろと集まってきた。

「よし! さてお前ら、これより小舟を使って島へ上陸するわけだが…おめェらにまだ見せてねェとっておきのものがあるんだ」
「とっておき!?」
「『ソルジャードックシステム』”チャンネル2”だ!」

フランキーさんとウソップさんの会話を聞いていると、どうやらこの船の機能のことらしい。ちんぷんかんぷんなお話に顔をしかめていると、隣からクスクスと笑い声が聞こえてきた。ちらりと視線を移すと、上品に口元を押さえているロビンさん。もしかしてまたすごい顔してたかな…!?

少し恥ずかしくなり頬を押さえて俯く。すると、低い機械音とともにガラガラと何かが開く音が聞こえた。何事かと思い海面へ顔を覗かせると煙をもくもくと立ち昇らせた小舟が目に入った。

「―――――――ミニメリー2号だッ!」
「メリーーーーーーッ!!」

わあっと上がる歓声に目が丸くなる。皆さんの喜びようにたじろぎながら、隣にいるロビンさんに聞いてみた。

「ロビンさん、メリーってなんですか…?」
「私たちが以前乗っていた船のことよ。もう乗れなくなっちゃったんだけど…」

乗れなくなった、という言葉に悲嘆が含まれているように感じる。地雷を踏んでしまったかと思い慌てて謝った。

「ごめんなさい…無神経なこと聞いちゃって…!」
「いいえ、大丈夫よ。でも、こんな風に再会できるとは思わなかったわ」

そう私を見てふわりと笑う。正面を向き、その小さなメリー号を眺めるロビンさんの目はとても優しかった。

「すごい…素敵ですね」

きっと思い出がいっぱい詰まっているのだろう。フランキーさんの”とっておき”に頬が綻んだ。遠くに走っていく小さなメリー号をもっと眺めていたい。ちょうどゾロさんとサンジさんの間が空いていたのでギリギリまで前に寄り、手摺に手を掛ける。

「乗ってみたいなぁ…!」

自分も乗ってみたいという気持ちが口から零れる。

「おお! なまえも乗ろうぜ! メリーは最っ高の船なんだ!」
「何言ってんだ、島に行くんだから乗れんだろ」

私よりも前に、もはや手摺に乗っかっていたルフィさんが嬉しそうにこちらを見て言う。さらに、隣で聞いていたゾロさんに指摘された。

「そういえばそうでした…すっごく楽しみです!」

ゾロさんに言われてハッと気づく。隣にいたゾロさんは呆れた顔をしていたけれど、アトラクションに乗る前の気持ちと似ていて、私はとてもわくわくした。


18. 準備万端

(この時私はとても浮かれていた。これから目まぐるしく起こる怪奇な事件を知らずに…。)

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