Black imitation


「ベネッタ」

ふと、よく知る声が名前を呼ぶ。
その声は耳に心地よく、もっと呼んでほしいと脳がねだる。

しかし、それはあくまで声だけの話だった。

「ベネッタ、気分はどうだい」

優しく語りかけてくる声に瞼を開ければ、真っ白な床が視界いっぱいに広がる。

「ほら、こっちを見て」

従いたくないのだけれど、この声には逆らえない。
ベネッタはゆっくりと、もたげていた首に力を入れ、顔を上げていく。

見慣れた真っ白なタイルの床に、次に見えたのはーー黒。

まるで葬式のように真っ黒な革靴に、黒いスラックス。
膝上まで伸びるのは、グレーの白衣。

やっとの思いでそこまで顔を上げると、視界に黒い手袋が入り込んできた。

「ほら……こっちだよ」

顎を救われるようにやさしく顔をぐいと上げられれば、そこには、尊敬するはずの相手がいた。

「ドクター……」

思わず、嘆願するかのように相手を呼ぶ。
すると男は、「どうしたんだい?」とでも言いたげに眉を動かして見せた。

身体に力が入らない。
痺れるなどでもなく、ただ、力が入らない。

暴れる中むりやり点滴を刺された左腕が、いまだにズキズキと痛む。
あれからどれくらいの時間が経ったのだろうか。

「ベネッタ、苦しくはないかい?」

「ドクター……」

なぜこんなことをするの?

その疑問が先に立ち、質問が頭に入ってこない。
目の前でやさしくこちらを見つめるこの人は、本当にいつものドクターなのだろうか。

真っ白な白衣を身にまとった彼は、一体どこへーー。

「いい顔だ
だいぶ薬が効いてきたかな」

ドクターと呼ばれた男はそう言うと、手袋のまま、汗ばんだベネッタの頬をなでる。
少し首筋も撫でられれば、ぞわりとした悪寒に思わず吐息交じりに喘いだ。

「ああ……熱いね、ベネッタ
大丈夫、怖がらなくてもいいんだよ」

羽織っただけのの白衣に、シャツのボタンは上からいくつか外されており、ネクタイも緩んでいる。
真っ黒なシャツに合わせられた真っ赤なネクタイの色は、目にしただけで目眩がしそうだ。

まるで、真っ黒な中に飛び散った、鮮血のようでーー。

「おっと」

顎を持ち上げられていたせいか、首を後ろに放り投げるように目眩を起こしたベネッタ。
ドクターは特に驚くことなく彼女の首元を支えれば、柔らかな笑みを浮かべてそっと抱きしめた。

「かわいい
とっても愛おしいよ、ベネッタ」

ぐるぐると回る思考の中で、落ち着く香りが鼻をくすぐる。
ああ、ドクター、あなたなの?
きている服は違えど、やっぱりドクターなの?

「ドク、ター」

そのすがるような声に、男の口元が吊り上がる。

「どうしたんだい?
僕の可愛い助手くん」

やさしく頭を撫でられる。
ああ、これは、褒めてくれるときにいつもしてくれるやつだ。

「ねえ、ドクター……」

「わかっているとも
偉いね、ベネッタ
君はとっても偉い子だよ」

その言葉を聞いて、思わず目から涙が溢れてくる。

「ドクター、やっぱり、ドクター」

「そうだよ、私以外なわけが無いじゃないか」

「どうして、いきなり、こんな、ひどいこと」

「ごめんよ……君を、僕だけのものにしたくなってしまったんだ」

「ドクター、だけのもの……?」

「そう、僕だけのものに
君が愛おしくて愛おしくて、頭がおかしくなりそうなんだ
だから……こんなひどいことをする僕を、どうか許してくれ」

「ドクター……」

「よしよし……もう、薬は十分のようだね」

そうドクターが言うと、ふと左腕に何かが触れるのを感じる。
チクリと走る痛み、どうやら点滴が抜かれたようだ。

「泣かせてしまってごめんよ」

ぼろぼろと流した涙の跡を、黒い手袋がやさしく拭う。
手早く拘束を解かれれば、ひょいと軽く身体を持ち上げられた。

「ドクター?」

不安げに問いかけるが、彼は何も答えない。
いくら服の色が違えど、憧れの男性であることに変わりはない。
ベネッタは、状況に合わずときめくのを感じていた。

すぐそばにあった寝台にやさしく降ろされる。
体に力が入らないため、まるで病人のように身体がぐったりしている状態だ。

「ベネッタ」

彼が靴を脱ぎ捨て、ベネッタの上にまたがる。
果たして緊張しているのだろうか、いつもの時よりも顔が少しこわばっている。

「緊張、するね」

白衣をばさりと脱ぎ捨て、慣れた手つきでネクタイを外す。
ぷちぷちとシャツのボタンも全て外し……シャツをはだければ、白い肌が大胆に姿を見せた。

思わず心臓が跳ねるように脈打つ。
なんて、妖艶なんだろう。

「ベネッタ」

呆けたようにその姿に見とれていると、彼の顔が近づいてくる。

「あ……」

緊張を逃がすように声を漏らせば、頭に手を添えられ、丁寧なキスを受ける。
頭が、爆発してしまいそうだ。

触れるだけのキスをした彼は、頭に添えた手を滑らし、そのまま頬へとおろしてくる。

「ドクター……くすぐったい」

「ごめん、触り心地が良くて」

そのまま、また触れるだけのキスをする。
すると頬を撫でていた手は、首から胸元へとさらに位置をずらしていく。

「んっ」

ブラウスに手がかかり、ボタンを外されるのがわかる。
ひとつ、またひとつ、なめらかな手つきで。

あっという間に全て外されてしまえば、腹部の皮膚に手袋の感触を感じた。

「あっ、待って」

突然の感触に驚き、思わず声を上げる。
だが。

「もう待てない」

再び口が塞がれ、手袋の直の感触は、どんどん上へと登ってきた。
下着に触れられたのがわかり、気を失ってしまいそうな緊張を感じる。

"どうにかなりそう"、そう感じた瞬間だった。

激しくドアを叩く音にハッと我に帰る。
驚くも、身体に力が入らないため、何もすることができない。

「ドクター……」

すがるように名前を呼んだ。
すると、聞こえてきたのは。

「ベネッタ! ベネッタ、いるのか!?
いるんなら返事をしてくれ! ベネッタ!」

「え……」

目の前にいるはずの、ドクターの声だった。

「ドーー」

大声を出そうとするも、乱暴に手で口を塞がれてしまった。
もがこうとするが、力が入らない。

「あーあ、もうここが分かっちまったのか
せっかくお楽しみだったってのにさ……」

目の前にいるのは、あざ笑うかのように口角を吊り上げた、ドクターそっくりの男。
先程までとはまるで別人のような雰囲気を感じる。

声もあげられない中、サーッと血の気が引いていくのを感じた。

「あいつはどうせここには入ってこられない
さあ、続きを楽しもうじゃないか……ベネッタちゃん」

「いや……」

小さく抵抗を示すも、すぐに口を塞がれてしまう。
あっという間に口の中に舌が潜り込み、逃げられなくするかのように深く絡みついてくる。

舌を入念に刺激されれば、身体が反応して一気に熱くなるのを感じた。

お願い、助けて。
助けて、ドクター。
お願い、お願い。

助けて、マリオ。

ドアの向こうからは、正真正銘、本物の彼の声が聞こえてくる。

目の前の恐怖に耐えながら、心の中で祈るのが精一杯だった。


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