おあずけ


「ほらピーチ姫、早く!」

「もう、ベネッタったら、そんなに急がなくてもケーキは逃げないわよ」

「だってピーチ姫の焼いたケーキ、美味しんだもん」

キノコ王国の中心にそびえ立つピーチ城。
その長い長い廊下を、ベネッタは小走りで進んでゆく。

今日はピーチ姫が、誕生日を迎えたベネッタのためにケーキを焼いてくれたのだ。
待ち遠しくてたまらない。

ピーチ姫と仲良くなったのはつい最近。
仕事ばかりでろくに言葉を交わせなかったのもあるが、頻繁に姫がさらわれて、それをマリオが助けて……。
そもそも、彼女とゆっくり話をする時間を作ること自体が難しかった。

だが先日、仕事の依頼を受けピーチ城へやってきてみれば。
"今日は私とお茶をするのが依頼よ"と、笑顔で迎えてくれたのだ。

仕事として依頼を出さねば、来てくれなさそうだったのだとか。
傍目から見たら、そんな仕事人間に見えているのかと反省した。

「ああ、そうだわ」

ベネッタを追いかけていたピーチが、何かを思い出し立ち止まる。

「どうしたの、姫?」

「お庭にいるキノピコに渡さなければならないものがあることを忘れていたわ
ベネッタ申し訳ないのだけれど、先にお部屋で待っててくださる?」

「おお、オッケー! 待ってるね」

「ごめんなさいね」

そう言うなり来た廊下を戻ってゆくピーチ姫。
結局楽しみなケーキにありつけるのがまた遠のいたベネッタは、走る意味もなくなったため、ゆっくりと歩いて向かうことにした。

「うーん、こっから庭だと結構かかるよなぁ」

さすがは一国の王女であるピーチ姫の城。
外から見てももちろん大きいのだが、中を実際に歩けば尚更に広く大きく感じる。

これだけ広いのにはたまた掃除も行き届いているから本当にすごい。

「おや、ベネッタさん! ピーチ姫と一緒ではなかったのですか?」

「ああ、こんにちわキノピオ」

可愛い足音が聞こえれば、ピーチ城に仕えるキノピオがこちらへ歩み寄ってくる。
笑顔で挨拶をすれば、キノピオもまた笑顔で返してくれた。

「ピーチ姫、お庭にいるキノピコに渡さなきゃいけないものがあったんだって」

「おや、そうだったんですね
もしよければ、私が一足先にお部屋で紅茶でもお淹れしましょうか?」

「え、いいの?」

「ベネッタさんは大事なお客さまですから!
さ、さ、遠慮なさらずにどうぞ」

「やった! ありがとう!」

このピーチ城には、1日では堪能しきれないほどの種類の紅茶がある。
このキノコ王国で作られたものはもちろん、他の国から輸入した珍しい紅茶など様々な種類があるのだ。
歴史の専門家として世界中をめぐるベネッタが目を輝かせる種類まであるから、本当にすごい。

「ベネッタさん、次はいつキノコ王国を離れるんですか?」

「次はね、今夜」

「ええ、今夜ですか!」

「そうなの、私ってなかなかに多忙でしょう?」

「そんなにたくさんお仕事ばかりされて、身体を壊さないでくださいね」

「ありがとう、そうならないように気をつけるね」

キノピオとともに廊下を歩けば、飾られている絵画や装飾に目がいく。
どれもこれも、歴史的価値の高いものだ。

「本当、このお城って美しい装飾がされているよね
代々引き継がれて大事にされてるのがよくわかる」

「ベネッタさんに褒めていただけるなんて、光栄です!」

「そう?」

キノピオの言葉にすこし照れてみせた。
その時である。

「なに!?」

「うわああああ!」

突然大きな地震が城全体を襲った。
とっさに近くの窓から外を見るとーー。

「なに……あれ」

巨大な黒いドラゴンがいるではないか。
それは着実にこちらへ向かって歩み寄って来ている。

「ベネッタさん、危険です!」

ドラゴンが歩みを進めるたびに大きく揺れる中、ベネッタは考える前に走り出していた。
クッパの姿は見えなかったものの、この城へ向かっているということは。

ピーチ姫に危険が迫っているかもしれない。

ベネッタは震えて物陰に隠れるキノピオ達の中を駆け抜け、あっという間に城の外へと出た。

「ピーチ姫!」

庭にいるピーチ姫が遠くに見える。
キノピコに手を引かれ、こちらへ避難しようとしているようだ。
彼女らめがけ、全速力で走り出した。

その間もドラゴンはどんどんこちらへ近づいてくる。
いったいどれだけ大きいんだ、あのドラゴンは。

「ベネッタさーん!」

「キノピコ! ピーチ姫!」

2人へ向かって叫べば、一瞬でピーチ姫を抱きかかえ、キノピコを頭に乗せて掴まらせる。
自分でも何をしているのかわからないくらいに緊迫し、混乱していた。

「キノピコ、城に着いたらマリオ達の到着を待つのよ
それまで姫を守ること、いいね!」

「ベネッタさん、なにをするんですか!?」

「何が起こるかわからないから、城の防衛に出る
心配しないで、これだけの騒ぎならマリオ達もすでに向かってるだろうし、私だって彼らと冒険したことあるんだから」

「でも、ベネッタさん……」

「私なんかよりも一国の姫君の方が大事でしょう
私を信じて、姫を守るの」

「わ、わかりました」

「よし、頼んだからね」

そんな会話をしている間に城の前へと到着し、2人を下ろす。
キノピオ達へ指示を出し、城の門を閉じさせた。

本来であればピーチ姫をどこか別の場所へと連れ出すべきなのだろうが、あのドラゴンの移動速度の前では無意味だろう。
ならば、ここで守るしかあるまい。

門が閉じたことを確認し、再度ドラゴンを見上げようとした、が。

「すごい、女の子だ」

振り返った目と鼻の先にいたのは、パーカーのフードを深くかぶった男。
鼻の先がつきそうなほど近い距離なのに、顔は真っ暗闇で何も見えなかった。

心臓が破裂するかと思うほどに驚き、即座に距離を取る。
滅多に使わないのだが、腰元に複数隠しているナイフを1本だけ取り出した。

「おお、こわいこわい、そんな敵意むき出しにしないでよ」

「うるさい、きもいんだよ」

若い男の声でからかわれれば、沸点の低いベネッタは乱暴な言葉で返す。
その返事に驚いたそぶりをみせれば、男はふわりふわりと浮遊してみせた。

なにやら、まるでふざけているかのようにベネッタの周りをクルクルと回る。
いつどこからけしかけられても対応できるよう、ベネッタは動かずに相手の気配を追った。

「ふーむ、なるほど
君はあのマリオくんとルイージくんと一緒にいた子かあ
近くで見ると、なかなか若い女の子なんだね」

再び正面に戻ってきてそう口を開くが、ベネッタは何も返さない。
背後から、怯えるキノピオ達の声が聞こえる。

「ピーチ姫とそんなに変わらない年齢なのに、ほんと男勝りだね
女の子は黙って男に守られてればいいのに」

挑発のつもりなのだろうか。
男はさらに続けるが、ベネッタは反応しない。
男はしばらくベネッタを眺めていると。

「あーあ、何にも反応してくれないなんて、つまらない」

そう言い放ち、その場でくるりと回転してみせた。
こちらへ向かってくるのを感じたため、とっさに身構える。

「だめだよ、そんなわかりやすく武器隠してちゃ」

ベネッタが身構えた途端、男はこちらに顔をずいと近づけて言い放った。
どうにか反応したいが、身体が言うことを聞かない。

「う……」

男がベネッタの顎を真っ黒な手でさらりと撫でて、ドラゴンの方へ飛び去っていく。
すると、ベネッタの腹部に刺さっていたナイフが引っ張られるように抜け、真っ赤な鮮血が周囲に飛び散った。

キノピオ達の悲鳴が聞こえるが、倒れゆく中では何もできない。

ナイフなんて見えなかった、なぜ?
どうしよう、受け身が取れない。

「ベネッタ!」

その時だった。
聞き覚えのある声で名を呼ばれ、倒れる身体を受け止められた。

かろうじて保たれた意識で相手を見る。

「おい、生きてるか!?」

「……なんで、あんたがーー」

「"なんで"も何もねえだろ! いいから喋るな!」

ベネッタを受け止めたのはワルイージだった。
仲が悪いわけではないが、特別仲が良いわけでもない。

しかしそんな彼は、周囲のキノピオ達に指示を出し、手当てができる者を呼ぶように言っている。
よく見れば相当急いでいたのか、帽子が見当たらない。

普段は何を考えているのかよくわからない男だが、今はベネッタを救おうと必死なのだと感じられた。

……あ、こいつ、ピアスしてんだ。
髪の毛って、金髪に近いんだ。
めちゃくちゃ身体細いな。
意外と良い香りかも。

腹部の痛みが強すぎて、ぼーっとあやふやなことしか考えられない。
そのままぼやっと彼を眺めていると、ふと名前を呼ばれた。

「ベネッタ、大丈夫か!」

うっさい、喋るなって言ったのお前じゃん。

「いいか、絶対助かるからな、気を失うんじゃねえぞ!」

なんであんたがそんなこと言うのよ。
これで助からなかったらどう責任取ってくれるつもり。

「おい目を閉じるんじゃねえ!
お前ここで死んだりなんかしたら、ただじゃおかねえからな!」

まぶたが重いんだもん、仕方ないでしょう。
ただじゃおかないって、死んだら元も子もないっての。

「ベネッタ、ベネッタ!
ふざけんな、あいつはまだ来ねえのかよ!」

ワルイージ、あんた本当は良い人でしょ。
悪巧みだのなんだの言ってるけど、みんなと仲良くすれば良いのに。

「ベネッタ……ベネッタ、だめだ、寝るな」

眠い、もうダメ。
必要な時はーー。

「あんたが起こしてくれれば、良いじゃんーー」

視界が途切れる瞬間、彼の目に涙がうかんでいる気がした。



***



ふわふわする。
意識がとても軽くて、身体ごと浮いているような。

私は何をしているんだろう。
ピーチ城にいたはずなんだけれど。

ふと、腹部に痛みを感じた。
さすろうと思ったのだが、手が見当たらない。

おかしい、私はどうなってしまったんだろう?
なんだか眠いし、眠ってしまおうか?

そう考えたとき、何かが聞こえた気がした。
どこかで聞いたような声。

待って、そういえば、助けてくれた人がいたような。
あれは、確か。

「ワルイージ」

身体の感覚がないが、確かに言葉を発した気がする。
その途端にたくさんの声に名前を呼ばれる声が頭の中に反響する。

みんな、どこにいるの?
ひとりぼっちは嫌だよ。

ねえ、どこなの?

「ここだ、ベネッタ
ここに来い、こっちだ!」

そっち?どっち?

よくわからないけど、吸い寄せられるような感覚。
だんだんと身体の感覚が戻ってきたようだ。

「ベネッタ、ベネッタ」

ああ、もう、わかったよ。

「ベネッタ、早く起きろ」

わかったってば、うるさいなあ。

「ベネッタ!」

「わかったってば!」

自分の大声にびっくりして我に返れば、寝台の上で横たわっていた。
周りには天井が見えないほどにたくさんの人々がベネッタを囲っている。

ぱちくりと瞬きをして、握られた手の感触を確かめるように見れば。

「……お前の言った通り、起こしてやったぞ」

パッと適当に手を離し背を向けてその場を去るワルイージがいた。

「ベネッター!」

「うわ!?」

まるで時が動き出したかのようにその場にいた全員が口を揃えて名前を呼べば、泣き出すものや笑うもの、抱き合うものなど様々。
起き上がろうとすれば、強烈な腹部の痛みに顔をしかめた。

「だめだよ、しばらくは絶対安静」

「マリオ、ルイージ」

声の方をみれば、マリオとルイージの姿。

「よかった、目を覚まして」

「君は15日間、生死をさまよっていたんだよ」

「じゅう、ごにちかん……」

まず何があったのか説明を受け、そのあとにやってきたマリオとルイージに手術を受けたことを聞く。
ピーチ城の周りには病院がないため、城の中で手術を行ったそうだ。

聞けばあのドラゴンとクッパはなんの関係もなく、マリオ達が到着したのを見れば何もせずに去って行ったらしい。

ここはキノコ王国都心部の大きな病院。
みんな、毎日ベネッタの見舞いに来てくれていたのだとか。

「みんなってことは、あいつも?」

2人に問いかければ、誰のことかわからず首をかしげる。

「ええと……ワルイージ」

「ああ、彼はみんなの中でも一番長くこの病室にいたよ
ベネッタと仲がいいなんてすごく意外だった」

「……そう」

そのあとは、みんなが泣きやまない中で必死に慰めたり、元気になった後の約束などを交わした。
全員なかなか帰らず、おまけに大騒ぎするものだから、何度か看護師さんに怒られてしまった。

「じゃあ、また明日もくるね」

「ベネッタ、また明日」

「ありがとう、2人とも」

最後にマリオとルイージを見送り、ふう、と大きな息を吐く。
みんなに愛されているのが実感できて、幸せだ。

ふと時計を見れば、まだ夕方。
日も昇っている中だけれど、少し寝ようかな。

そう考えていると、ガラリと病室のドアが開く音がした。
寝台周りのカーテンは2人が閉めて行ってくれたため、誰が入ってきたのかはわからない。
看護師さんだろうか。

コツコツとした耳に心地よい足音が近づく。
勢いよくカーテンが開けられれば、照明の逆光の中に彼がいた。

「ワルイージ……! 帰ったんじゃなかったの?」

「全員帰るのを待ってた
そうでもしないと、こうして落ち着いて話もできねえ」

そう言うと、寝台そばの椅子を引っ張ってきて座り込む。
普段のオーバーオールではなく、ニットにジーンズの私服だ。

「あなたのあの服以外の格好、初めて見たかも」

「……そうかよ」

「まるで別人ね、普段からそんな格好してれば女の子にモテるだろうに」

ワルイージは鼻で笑い、何も言わない。
ここぞとばかりに、ベネッタは彼の姿を観察した。

普段よりもピアスの数が多く、鎖骨の見えるニットはなんだか少しセクシーな感じ。
いつもと違う服だと、こんなに見えかたが違うのか。

「で、あなたから私に話だなんて、珍しいじゃない」

「ちっ、腹刺されたくせに妙に元気だな」

「どっかの誰かさんが起こしてくれたおかげよ」

「ああ、そうかい」

顔を背けるように足を組んで頬杖をつけば、少し気まずい空気が流れる。
しばらくそのまま黙っていた彼だが、ようやく口を開いた。

「あんたが無事でよかった」

「え」

どんな意地悪を言われるのかと思いきや、意外な一言に思わず驚いてしまう。
そのまま返せずにじっと相手を見つめていると、彼は続けた。

「俺、あんたとはまともに話したこともなかったけどよ
あの城の騒ぎを聞きつけて、城に到着したとき……心臓が止まりそうになった」

「……ごめん」

「いや、あんたは悪くない
むしろ、何もできなかった俺が謝るべきだ」

「ワルイージ……」

「あいつらが城に着いた途端にドラゴンは帰っちまうし、テキパキとあんたの手当てもして
俺、あの姫さんを守れなかったし、あんたを救うこともできなかった
だから、あんたに言われた通り、いつでもあんたを起こせるように毎日ここに来てたんだ」

彼の視線は床に向いてはいるが、彼なりに真剣に話してくれているのがわかる。
ベネッタはそのまま静かに耳を傾けた。

「俺、なんて言うか
よくわかんねえけど、あんたが死ぬのが嫌だったんだ
ほんと、死ななくてよかった」

「ワルイージ」

「あ?」

ちらりと視線がベネッタに向く。

「私を起こしてくれてありがとう
実はね、あなたが呼びかけてくれる前、たぶん意識の中だと思うんだけど……
眠たくて眠たくて、もういっそ眠ってしまおうか、って思ってたの
たぶん、あのまま意識の世界でも眠っていたら、死んでいたんだと思う
ありがとうね」

その言葉を聞けば、彼はまた視線を下げてしまった。

「……お前が、突然俺の名前を呼んだんだよ」

「へっ」

「ずーっと昏睡状態だったのに、突然俺の名前を呼んだんだ、はっきりと
それで、俺が起こさなきゃと思ってだな……」

「え、ちょっとやめてよ!
眠ってる間に好きな人の名前を呼ぶ少女漫画じゃないんだから」

「なっ……"やめて"ってなんだよ!
俺はお前が死んじまうかと思って必死にーー」

お互いに睨み合い、言い合いに発展しかけるものの、看護師による怒りのドアノックによりそれは牽制される。
それをくらい、立ち上がりかけていたワルイージはまた元の姿勢に戻る。
が、今度はベネッタを意地悪そうに見下しながら口を開いた。

「……なにお前、まさか俺のこと好きなのか?」

「はあ? いつ誰がそんなこと言いました?
寝言は寝てから言いなさいっての」

「馬鹿野郎、冗談に決まってんだろ
ほんと可愛げねえな、そんなんだから余計に女扱いされねえんだよ」

「余計なお世話よ、私は女扱いされたくて生きてるわけじゃないし
そもそも女性が可愛いか美人でいなくちゃならない法律でもあるわけ?」

その返しに、彼は「ふーん」と目を細めてベネッタの顔を見つめる。

「……俺、あんたは綺麗だと思うけどな」

「えーー」

突然のセリフに思わず言葉を失った。

続いて相手が前のめりになってきたと思えば、刺される前を思い出すほどにぐいと顔を近づけられる。
ひょっとすれば、心臓の音が聞こえてしまいそうな距離だ。

「ちょっーーと」

「うるせえ、黙ってろ」

心臓が爆発しそうだ。
唇が近づくのを感じ、思わずぎゅうと目を瞑る。

唇が触れるか触れないか、その瞬間。

「面会終了のお時間でーす」

病室のドアがノックされ、看護師の声がドア越しに響く。
彼はそこで動きをとめ、いまだに目を瞑るベネッタに構わず立ち上がった。

彼が離れたのを感じ、目を開けて訴える。

「いま、いったい、なにを」

「はあ? 聞かなくてもわかるくせに」

彼は半笑いで返しつつ寝台周りのカーテンに手をかけると。

「次に2人きりになるのが楽しみだな」

悪い笑みを残してカーテンを閉めた。



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