恋煩い


「はあ……」

深いため息をつけば、ソファにどっかりと座り込む。

「疲れた」

久しぶりに帰宅して放った最初の一言は、まさに疲れきったものだった。
実に1ヶ月間、依頼をこなして、また依頼をこなして……その繰り返しだった。

「はあ、マリオに会いたい」

しかし時計を見れば、夜中の1時。
今から訪問するなんて非常識にもほどがあるだろう。

夜ご飯は食べてはいないものの、お腹は空いていない。
テレビを見る気分でなければ、まだベッドに潜る気分でもない。
はて、どうしたものか。

またひとつため息をつき、ベネッタは窓の外を眺める。
星がとても綺麗だ。

明日以降、数日間は仕事を入れていない。
ベネッタは特に考えもなくソファから立ち上がれば、一直線で外へ通じるドアへと向かった。

無心で外へ出れば、どこへ行くでもなく歩き始める。
まさに暑くてたまらない季節の真っ最中だが、これだけ夜も更けているおかげで過ごしやすかった。

ベネッタの家の周辺はちょっとした森だ。
近隣住宅もなければ、街灯などもちろん存在しない。
月明かりだけが頼りな夜の森を歩いていれば、どこからともなく狼の鳴き声が聞こえた。

こんな時間にひとりで出歩くなんて、ルイージに怒られてしまうだろうな。
そんなことを呑気に考えながら、その歩みを楽しむようにゆっくりと進んでゆく。

「ん……?」

しばらく夜の無音を楽しんでいると、ふと視界の端で何かが動いた気がした。
すぐにそれを確かめようと視線を向けるが、そこには何もいない。

一体なんだろう。
うさぎか何か、か?

特に気にせず、再び歩き出す。
だが。

「……誰か、そこにいるの?」

数歩すすめば、また何かの気配。
今度は、はっきりとしたこちらへの意識を感じる。

「隠れてないで出て来なさい」

気配のする方へ向き直り、強めの口調で相手を威嚇すると。

「お、お願いだ、たすけて」

草むらからゆっくりと出て来たのは、クリボーだった。
何やら足を引きずっているように見える。

怪我をしているのだとわかればすぐに警戒を解き、ベネッタはクリボーの元へと駆け寄った。

「大丈夫!?
足、怪我したの?」

「うん……ここの森で遊んでいたら、高いところから落ちちゃって……
仲間ともはぐれちゃって……うう」

よほど怖かったのだろう、ベネッタへすがるように涙を流しはじめたクリボー。
ベネッタはそんなクリボーの頭を撫でてやれば、優しく抱きかかえた。

「大丈夫、良い子ね……私の家で手当てしてあげる
今夜は私の家に泊まって、明日、一緒に仲間のところに帰りましょ」

「おねえちゃん、ありがとう……」

クリボーが涙目でこちらを見上げてくる。
ベネッタも答えるように見返せば。

「とでも言うと思った?」

けろっとこちらをあざ笑う表情。
突然の出来事に、思わず目を見開き、自らの甘さに後悔する。

「がっ……! あ……」

背後からの襲撃に気付いた時にはすでに遅く、後頭部を強く殴打された。

「おま、え、ら」

くらりくらりと回る意識の中で、恨みを込めて相手を睨む。
だが、その意識の糸はすぐにプッツリと途切れてしまった。



***



「痛……っ」

どれくらいの時が経ったのだろう。
どこかに頭を打ち付けたのか、強烈な痛みで目を覚ます。

なにやら地震とは違う揺れが襲っているようだ。
この揺れのせいで、あたりを取り囲む鉄柵に頭をぶつけたらしい。

最後にひとつ大きな揺れをかまされれば、謎の揺れはそれでおさまった。

一体ここはなんだ?
どこかで見覚えのあるようなーー。

「な……お前たち、そいつは……!」

その時、聞き覚えのある声にふと起きあがり、上を見上げる。
そこにいたのは。

「え……」

ベネッタ以上に驚いた顔をした、クッパ大魔王だった。

「クッパ様が憎む女を森で見かけたので、さらって来たのです!」

「さあどうぞ、煮るなり焼くなり、処刑してしまってください!」

ベネッタの入った鳥かごのような牢を取り囲んだ手下たちが、口を揃えてクッパへと訴える。
どうやらこいつらに騙された挙句、クッパへのごますり道具にされてしまったようだ。

しかしクッパはと言うと。

「ぐむ、む……そうか、お前たち……吾輩のために……」

と、何やらうれしくはなさそうな様子。
クッパならば喜んで殺しにかかってくるかと思いきや、意外な反応だ。

「クッパ様、こいつどうしてやります?」

「俺、溶岩の中に突き落としちゃっても良いと思います!」

「ワンワンの餌にするのはどうでしょう!?」

対して、手下たちはどんどんヒートアップしていく。
いかん、このままでは本当に殺されてしまうのではなかろうか……。

牢の中に入れられてしまっていてはなにもできない。
どうしようか必死に考えながら目を瞑っていると。

「お前たち、よくやった
しかし我輩は、そやつから聞き出さねばならぬ情報があるのだ
だからすぐには処刑は行わない……わかったな?」

意外な言葉が聞こえ、玉座のクッパを見上げた。

「なあんだクッパ様、尋問なら俺たちに任せてくださいよ」

「そうですよ、クッパ様はゆっくりお休みになられてください」

「いや、ならん
そやつの尋問は我輩だけが行うことを許可する
すまないが、我輩とそやつ以外は全員、この部屋から出てくれんか」

そう言うと手下たちはお互いに顔を見合わせ、大魔王の命令にそそくさと王の間を去ってゆく。
どこから見ていたのだろうか、カメックもほうきで飛びながら出て行った。

一体何がどうなっているんだ。
予想外も予想外すぎる展開に、ベネッタはぱちくりと瞬きを繰り返すばかりで、何も喋れない。

そうしてクッパを見上げていると、彼はゆっくりと立ち上がり、こちらへ向かって来た。
不思議と、敵意は感じない。

「……出ろ」

まるで釈放時の刑務官のようなセリフを浴びせられ、ベネッタはそっと檻から出る。
すると、クッパはくるりと背中を向け、玉座へと向かい始めた。

「こっちへ来い
座って話そうではないか」

のしのしと階段を上るクッパの後をおとなしくついてゆく。
クッパは途中で側近用の椅子を玉座のそばへと引っ張り、その椅子へとベネッタを座らせた。

「……どうした、いつかマリオたちと我輩を倒しに来た時とは大違いだな」

「あ、えと」

ベネッタは思わずどもるが、一呼吸おけば素直に心境を話す。

「いや、てっきり、速攻で処刑されちゃうと思ってたから……一体何事かな、なんて」

「ふっ……それはお互い様だ
我輩の方こそ、眼中にもなかった貴様が突然目の前に現れて"一体何事"と思たわ」

クッパはこちらに敵意を向けてこない。
一体どうしたのだろう。

「……私を、殺すの?」

勇気を出して、一番気になっている質問をする。
これでYESと答えられたらそれこそどうしよう。

「そんな無意味なことはせぬわ」

しかし、なんとまあ、今のクッパから予想できる答えが返って来た。
実を言うとベネッタ、伝え聞いているのみで、まともにクッパと言葉を交わすのはこれが初めてだ。

「そんなことよりも
貴様、怪我をしているのではないか?」

そんな質問をなんとも思っていないのか、クッパの方から話題を変えてくる。
鋭い目つきでこちらを見ているが、きっと本心で聞いてくれているのだろう。

「まあ、あなたの手下たちに、ガツンと一発……」

誤魔化すように苦笑いしつつ、殴られた箇所をなでる。
すると忘れていた痛みが復活し、顔をしかめた。

「どれ、見せてみろ」

そう言われると、ベネッタは素直にクッパへ後頭部の傷を見せた。
滲む程度に出血したのか、そこはべったりとかさぶたになっているようだ。

「むう……この程度なら」

ふと、後頭部に不思議な感覚が走った。
言葉では言い表せないような、ぞわぞわするようなモヤモヤするような……。

まさか、と思い、さわってみると。

「え、治ってる」

「痛みはないか」

「うん……全然痛くない」

本当にすごい。
治癒魔法というやつか。
初めて見た。

見たというか、見れていないけれど、なんというか、感じた。

ベネッタの嬉しそうな声に少し微笑めば、クッパも続いて口を開く。

「そうか、ならばよかった
手下がおこなった行動の責任は、我輩にあるからな」

「クッパ……」

この人、めちゃくちゃ良い上司なのでは?

「さて、どうする」

クッパの言動に感動して見上げていると、またもやクッパは話題を変えて来た。
それもまた、予想外な話題で。

「へ?」

「帰りたいだろう
貴様の望む場所へと運んでやるぞ」

ベネッタの中の、ザ・悪役であるクッパ像がどんどん壊れてゆく。

「え、それまじで言ってんの?
天下のクッパ大魔王様が?」

「さっきも言ったではないか、貴様を処刑するなど無意味なことだと
それならば貴様を望む場所へと帰すほかあるまい」

「え、待って」

ベネッタは心の底からの疑問をクッパへぶつけた。

「あなた本当に世界征服しようとしてる?」



***



「ふーん、じゃあ何度もさらう内に、本当にピーチ姫のことが好きになっちゃったんだ」

「まあ、そういうことになるな」

「じゃあなに? 今ではもう世界征服よりもピーチ姫が目的ってこと?」

「ま……まあ、そういうことに、なるな」

「ふうううん、クッパもなかなか可愛いところあるのねー」

あれからどれくらいの時間が流れたのだろうか。
マリオから聞いていたクッパと目の前のクッパの違いを突き詰めていったら、いつのまにか恋の話に発展していた。

聞けば、最初は本当に世界征服が目的で、まず初めにキノコ王国から手中に収めようとピーチ姫をさらっていた。
しかしピーチ姫をさらうことを繰り返す内に、徐々にピーチ姫への気持ちが強くなり、今では本当にピーチ姫が好きらしい。

何とも可愛いではないか。

「でもわかるわー、ピーチ姫っていい香りするし、とっても可愛いし、惚れちゃうよねー」

「あの可憐さの中に秘めた勇敢さもまた、たまらんのだ」

「お、クッパのってきたんじゃなーい?」

「う、うるさいぞベネッタ」

「ふふー」

と、そこまで楽しく話していた2人だか、ふとクッパの表情が曇る。

「しかし、いくらピーチ姫をさらっても、絶対に我輩のものにならないことは分かっているのだ」

突然の真剣な表情に、ずっといじり続けていたベネッタも思わず黙る。
そして、無意識に感じた。

"私と同じだ"と。

「ピーチ姫は、マリオを想っている
マリオもまた、ピーチ姫を想っている
我輩がピーチ姫をさらえばさらうほど、あの2人の距離が近くなっていくのがわかるのだ」

そのクッパの言葉は、ベネッタの胸に深く刺さった。
ずっと避け続けていた現実、目を背けていた真実を突きつけられる痛みを知る。

「……なんか、私とそっくりだね、クッパ」

思わず出た言葉にハッとするが、クッパは不思議そうにこちらを見るだけだ。

どうしよう、なんか、とまらなくなりそう。

「ごめん話に割り込んで
実はさ、私……マリオのこと、好きなんだよね」

泣きそうになるが、必死にこらえる。
バレバレだろうが、泣いてしまうよりはいい。

クッパはそれを聞いても笑うことなく、ベネッタの言葉に耳を傾ける。

「クッパとそっくりだ、ほんと
好きで好きでたまらなくて、その人の魅力を語りだしたら止まんなくなっちゃう
でも……その人にはもう他に好きな人がいて、両想いなんだ」

ふと、心がざわついた。

「……マリオ、私がいないことに気づいて、助けに来たりしないかな
って、くるわけないか」

そのざわつきはどんどん大きくなり、おおきな渦を描き始める。

「なんか、つらいよね
好きなのに、想いを伝えるのが無駄だとわかるくらい、結果がわかりきっててさ」

ベネッタの頬に、一筋の涙が流れた。

「ああごめん、なんか、めちゃくちゃイライラして来た」

乱暴に涙をぬぐいながら謝罪すれば、クッパは静かな声で言う。

「ベネッタ、我輩の前でよければ泣けばいい
お前は若い、我輩よりもずっと若い
その小さな身体に、その苦しみは大きすぎるだろう」

クッパの言葉がダムを壊したようだ。
一気に涙が溢れて来て、ぼろぼろとこぼれ落ちる。

「うう、うう……」

まさかのクッパ大魔王の前で、数年ぶりに大泣きする羽目になってしまった。
何もかも、あの赤帽子のヒゲのせいだ。

「私、ピーチ姫のこと大好きなのに……
マリオのこと思うと……時々、"いなくなればいいのに"なんて、考えちゃって……
その度に罪悪感で死にたくなるの……」

「ベネッタ、お前の考え方は間違ってない
人は皆、自分が一番可愛いものなのだ
自分を一番に考えられるということは、素晴らしいことだ
罪悪感なんて感じる必要はない」

「でも、私……!」

「いいか、悪い考えをする自分を否定したくなる気持ちはわかる
しかしそれもまたお前自身なのだ、ベネッタ
マリオだって、ピーチ姫だって、一度は悪いことを考えたことがあるはずだ」

クッパはベネッタの言葉に耳を傾け、優しく語りかけてくれる。
本当、年を食ったからなのか、すっかり丸くなったようだ。

「うう……クッパ……」

なんていいやつなんだろう、この大魔王は。
こんなみっともなく泣きじゃくっているのに、何一つ笑わず、真剣に聞いてくれる。

「クッパ……ありがとう、私ーー
……クッパ?」

何やら異変を感じ、クッパを見る。
当のクッパは何やら王の間の入り口を凝視し、固まっているようだ。

不思議に思い、振り返ると。

「僕の大事な人、何泣かせてるんだよ」

ベネッタは一瞬、好きさのあまりに幻覚を見ているのかと我を疑った。
しかし、そうではなさそうだ。

「ベネッタは返してもらうぞ」

確かに本物のマリオが、ベネッタを探してやって来てくれたのだ。

「これは、その」

歓喜のあまりまた泣きそうになるも、クッパの焦った声にハッと我に返る。

そうだ、今回の騒動、クッパは何も指示をしていない。
むしろ傷を治してくれて私の愚痴を聞いてくれて、めちゃくちゃ良くしてくれた。
これはマリオを止めなければ。

「ベネッタから離れろ!」

マリオがこちらへ走ってくる。
互いにあたふたするクッパとベネッタだったが、ベネッタは思い切ってその場で立ち上がった。

「……ベネッタ?」

クッパとマリオの間に入る形で両手を大きく広げ、攻撃して欲しくない意思を身体で示す。
なんとか、彼の攻撃を止めることができたようだ。

「どういうことだ? クッパてめえ、まさかベネッタにーー」

「違うのマリオ、これは違うの!」

「何が違うんだ!
帰って来てるはずの君の姿が見当たらなくて探したら、ここにいた!
そこのクッパにさらわれたんだろう!?」

「確かに思いっきり頭を殴られて無理やり連れてこられたけど、それはクッパの手下が独断で勝手にやったことなの!
元はと言えば夜中に出歩いた私が悪いし、クッパはむしろ私の頭の怪我を治してくれたのよ!
しかも私の悩みも聞いてくれたの! お願い、今回はクッパには何もしないで!」

"頭を殴られて"の箇所で見るからにマリオの顔がヒクついたが、その後のベネッタの言葉を素直に聞いていた。
おそらくマリオからすればベネッタが洗脳されていると勘違いしかねない状況だが、大丈夫だろうか。

「マリオ、お願い、信じて
クッパはねーー」

「おい」

クッパがベネッタへ語りかけた優しい言葉の数々を言おうとするも、背後からの鋭い声に遮られる。
振り返れば、クッパは目を閉じ、深くため息をついた。

「クッパ……ごめんなさい」

「貴様は何も悪くない
迎えも来たんだ、さっさと帰れ」

マリオは2人のやりとりを警戒して聞いている。

「……ベネッタ、今は帰るべき時だ」

ベネッタはその言葉で悟った。

何も言わず、こちらを見つめるクッパへ頷いて答える。
マリオに聞かれぬよう、声は出さず、口だけ動かした。

「ありがとう」

鼻で笑ってみせるクッパ。
ベネッタはくるりと踵を返し、すぐにマリオの元へと駆け寄った。

「マリオー!」

「ベネッターーうわっ」

戸惑いながら両手を広げるマリオに容赦なく抱きつく。
マリオは驚きつつも、いつものベネッタだとわかったのか、抱きしめ返してくれる。

きっとマリオは混乱していることだろう。
そりゃそうだ、クッパはマリオの前では悪役でいるように努めているのだから。

クッパのためにも、詳しいことは秘密にしてあげよう。

マリオとともにクッパ城を出れば、手下たちは何も言わずに城門を閉める。
城内の溶岩だらけな光景など嘘のような花畑の中を進みながら、ベネッタは尋ねた。

「ねえマリオ」

「なんだい」

「どうして助けに来てくれたの?」

「そりゃ君がーー」

「"大事な人"だから?」

マリオが開口一番に言っていた言葉をベネッタは聞き逃していなかった。
すばやく切り込んだベネッタの言葉に、マリオはぎょっと顔を赤くする。

マリオは帽子を深く手で押さえながら、ぼそりと呟いた。

「……そうだ
君は僕の大事な人だ」



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