黒は変わらない
「髪カーテン、されたい」
思考を放棄したまま言葉を紡げば、清光にため息をつかれた。この顔は、また主が馬鹿なことを言い始めたの顔である。間違いない。
「かみかーてん?」
彼らからしたら、意味はわからないけどきっとどうせろくでもない単語にも、鯰尾は興味を持ってくれる。一方、清光は何も言わず、先程までココアが入っていたマグカップを回収して、部屋を出て行ってしまった。巻き込まれる前に退散しようだ、これも間違いない。うーん冷たい。
「そう、髪カーテン」
「なにそれ、現世の文化?」
「文化というか…行為?行動?」
「ふぅん。助平なこと?」
「うわ最低」
感謝なんてすべきじゃなかったな。
吐き捨てるように言えば、あっはっは!と鯰尾が豪快に笑う。仰け反った背に文机が当たり、先程まとめていた書類が軽く雪崩を起こした。やらかしたと顔が強ばっている鯰尾を軽く睨めば、彼は肩を竦めて大人しく拾い始める。えらいえらい。
「ながーい髪で人の顔を隠すの。それがカーテン…あー、のれんみたいな感じの現代での障子があってさ」
「へぇ髪で。現世はやっぱり面白いな」
まとめ直した書類を文机に戻し、鯰尾がこちらを向く。高い位置に括られた艶のある黒髪が、さらりも流れた。
「で、それをされたいんだ?」
いいよ。そんな一言と共に組紐が鯰尾の手で握られ、しゅるりと音を立てた。まるで絹ように光を反射しながら解かれた黒髪は、鯰尾の頬を撫でながら、内番服に落ちる。
修行を終え、全てを見てきた彼は、初めて会った彼よりも強く逞しくなった。口調や性格が少し変わった鯰尾に複雑な感情を抱かなかったわけではないが、変わらないその美しく長い髪に、安心した覚えがある。
重力に従って華奢な背中に広がった髪に、そう、過去の記憶が蘇った。
「…あれ、違った?てっきり俺にしてほしいって意味で言い出したんだと思ってたんだけど」
鯰尾の声に、我に返る。不思議そうな顔をして私の顔を覗き込む彼の髪が、さらりと前に垂れた。
「いや、そういうわけではなかったんだけど。でも興味はある」
「なんだよ。じゃあしてあげる」
「やったー」
別に本当にしてもらうつもりはなくて、ただ欲のままに呟いただけなんだけど。でも適任(?)の鯰尾が乗り気だし、せっかくなら。渡りに乗った船の気分で、私は正座のまま鯰尾に向き合った。
残念ながら、私の身長は鯰尾よりも低い。粟田口派の皆さんに混ざっても、私より背が高い子の方が多いぐらいだ。なので、このまま鯰尾に膝立ちでもしてもらえば髪カーテンの完成である。
単純な女なので沸き立つ気持ちが抑えられない。口角が自然と上がる。そんな私を見て笑っている鯰尾と膝を突き合わせた。そして、鯰尾が膝で立ち、
「、えっちょっ」
肩を掴まれた。そのまま後ろへと力を込めて押される。予想外の出来事に対応が間に合わず、為す術なく畳に寝転がされた。頭は手で支えられ、打ち付けることはなかったが、正直そんな気遣いを気にしているどころではない。
「あはは、驚いたか」
「…おど、ろいた」
「…それは鶴丸さんでしょって突っ込めよ」
視界には天井ではなく鯰尾の端正な顔があり、さらさらと黒のカーテンが私を閉じ込めている。こぼれ落ちそうなほど大きな瞳、すっと通った鼻筋、薄い唇。文字通り、鯰尾の顔しか見えない。
…これは、ちょっと、思ったより。
「な、なまずお、ちょっと近いかな」
そういえば、なんか、前よりも少し、輪郭が男らしくなったような。喉仏もはっきりした、ような?
距離が近いからか、それとも視界に鯰尾しかいないからか、変なところに意識が飛ぶ。脈が大きな音を立て始め、これはまずいと苦し紛れに口を開く。真っ直ぐ視線を落としてくる鯰尾から逃げるようにカーテンへと顔を背けた。ふわりと香るシャンプーの匂い。自分と同じはずなのに、何故か特別に感じてしまう。…最悪だ、どこに視線をやっても逃げられない。
「え〜?」
「いや、えーじゃなくて。この体制はまずいというか、なんというか」
「まずい?何が?別に、俺と主の間にやましいことがあるわけでもないのに」
「そ、それはそうなんだけど!」
そもそもこんな体制になる必要がないはずで、鯰尾もそれをわかっているはずだ。はず、なのに、この刀、完全におちょくってやがる。
平然と言ってのける鯰尾の肩を押して睨みつける。
「……ずお」
そろそろいい加減にしろの意思表示。それに鯰尾は瞬きを1つして、ふぅんと息を漏らした。
「案外悪くないな、髪カーテンってやつ」
「は?何言って、」
「だって」
肩を押していた私の手を取ると畳に押し付けた。そのまま顔を近づけてくる。手にも胴にも体重をかけられしまい、身動きがとれない。まるで、私が彼から逃げるのを阻止せんとするようだった。いや、多分わかっていてやっている。私が彼から逃げたがっているのを。鯰尾藤四郎という刀は、私の刀は、そういう刀だから。
「こうしてると、主が俺のものになった気がする」
変わらない。その髪が美しいままであるのと変わらず、彼は、変わっていない。
にこやかに歪んだ鯰尾の大きな瞳に、私が写っている。それがどうにも気恥ずかしくて、私は目を瞑る他なかった。