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恋と呼ぶには脆弱で
まだ少し肌寒い朝。舞い落ちる桜の花びらを見上げ、今度花見でもしたいなあ、とぼんやりと眺めて歩く。花びらの隙間から零れる暖かな日差しを浴び、うーんと軽く伸びをしながら、意気揚々と満開の桜が咲き誇る公園を横切る。
淡い桃色の背景の間から見える改札口を、慣れた動作で数日前に作ったばかりの新品の定期を当てて通った。
(うっし。あともうちょっとでゴールっと)
別段時間に追われているわけではないが、逸る気持ちを抑えきれず、高揚した気分そのままに軽やかに足を上げて、階段をリズム良く駆け足で登っていく。
ホームに近付き、自然と視線が階段から前へと向く。あ、ホームに誰かいる。最後の階段を上りきった所ではじめて人影に気が付いた。
制服に身を包んだ一人の少女が、スマホを片手に立っている。
音楽を聴いているのか、彼女の方はこちらには気付いておらず、淡々とスマホの画面を眺めては、時折指をスライドさせたり、画面をタップしていた。
遠くからでもすぐに分かるその人物に、心が浮き足立ち、胸が高鳴っていく。
ラッキー!初日から一緒に登校出来るなんて、俺ってばついてる!早起きは三文の徳ってマジなんだなあ!
その時、強めの風が吹き、桜の花びらと共に彼女の髪の毛が舞い上がった。
とっさに彼女は、手持ち無沙汰だったもう片方の手で、髪の毛を押さえる。・・・不思議だ。その瞬間、今まで聞こえていた雑音全てが、消え去ったかのように静かになった気がした。
桜の花びらが彼女を包み、ゆらゆらと風に乗って俺の頬を掠める。―――綺麗、なんて言葉じゃ到底片付けられない。そんなもの比じゃない。綺麗だけじゃ全然足りない。
視線が、心が、思考すべてが囚われる。
呼吸をする事さえ躊躇われた。それくらいその姿が酷く幻想的で、神秘的で、夢を見ているかのようだった。
頬を擽る花弁に目もくれず、その光景を取りこぼさないように息を呑んで目に焼き付けた。胸の奥をぎゅっと掴まれたような感覚に、ひとりでに胸を手で押さえる。
これは映画のワンシーンなのだろうか。まるで彼女の周りだけ、世界が切り離されているみてぇだ。
風が止み、バラバラと音を立てて彼女の髪の毛が元の位置へと戻っていく。その様子に声をかける事も忘れて、ただひたすらに見詰めていた。
日の光に照らされた、艶やかな髪の毛が揺れる。さらりと揺れた前髪の隙間から、きらきらと夜の闇を瞬く星の欠片が煌めいた。澄んだ綺麗な瞳がこちらを覗く。何処と無く憂いを帯びた妖艶な光に、吸い込まれるようにして、彼女の瞳に釘付けとなった。
今度こそ胸を鷲掴みにされた。あまりの美しさに、胸が苦しくなる。魅入られた俺は魔法でも掛けられたみたいに、その場に足が縫い止められた。視線が交わり、漸く俺がいる事に気付いたのか、体が硬直して動かない俺に彼女はイヤホンを外して笑顔を浮かべる。後光が見えた気がした。
「おはよう、上鳴君」
妙に目に焼きついて離れないその姿に、あぁ、とふと思い出す。そういえばあの日、―――彼女と初めて出会った日も、桜降るこの季節だったな。中学の入学式の日だった。
あの日も、今日みたいに駅のホームまで駆け足で階段を駆け上がった。今日から中学生。これからの生活に期待や不安、楽しみに胸を膨らませ、わくわくしながら駅のホームへ走って行ったっけ。
そしてホームで、彼女と出会った。彼女を見て、時が止まった気がしたんだ。春の柔らかな日差しを浴びて、桜を眺めて電車を待つ彼女の姿を見て思考が止まった。女神様が地上に舞い降りてきたのかと、本気で思ったのだ。
え?神様がいる。目の錯覚かな・・・?桜の妖精・・・?それとも女神様か?なんで地上にいらっしゃるんだ・・・?それとも俺が死んだのか?てことはもしかしてここ、天国とか??
・・・今思うと、絶っっ対誰にも言えない、めっっちゃくちゃ恥ずかしい感想だけど、どこぞの女神様が現れたのかと。気が動転してしまうくらいには、とても美しい光景だったのだ。
あの後、先程のように目が合って、会釈をされて声をかけられた。その時初めて同じ制服に身を包んでいた事に気付いたのだ。
過去の黒歴史を振り払うように、おはよう!と元気に挨拶を返して彼女の傍に歩み寄る。
・・・やっぱ綺麗だよなぁ、春霞って。
遠目で見ても綺麗だが、間近で見る彼女は更に綺麗だ。顔が良い。息を呑む美しさだと思う。すれ違う人全員が思わず振り向いてしまうくらいに。
目の保養だなぁ・・・、と内心癒されていると、ふふっと彼女は眉を少し下げて笑った。
あ、笑った顔は超可愛い。朝から良いもん見た。
「前にもこんな事あったよね。上鳴君は覚えてるかな?中学の入学式の時」
「覚えてる覚えてる。ちょうどさっき思い出してた」
「ちょうど今日も高校の入学式でしょ?なんか凄い偶然だよね」
すごいなーと笑う彼女につられて、可愛いなーと俺も笑みを浮かべる。
彼女の言うように今日は高校の入学式だ。苦節の勉強漬けに打ち勝ち、受験に合格した俺は晴れて高校生になれた。
しかも!通う高校はなんと!あの超有名な名門校、雄英高校なのだ!褒め称えてくれて良いんだぜー!
そしてそしてっ、更に嬉しい事に!春霞も同じ高校!好きな人と同じ高校に通えるってだけで嬉しいのに、これから一緒に登下校も出来るなんて・・・・・・え?俺幸せ過ぎん?幸せのあまり死ぬかもしれん。
「クラス一緒だといいね」
「あっ、そか。クラス分け・・・」
はい、撤回。ダメです、まだ死ねない。同じクラスになるまでは、まだ俺は死ねない・・・!
「中学の時は3年の時だけだったもんね、一緒だったの。・・・あ、電車来た」
そっと心の内で決意を固めている間に電車が来たらしい。先に電車に乗り込んだ春霞が、くるりと振り返って俺を見る。
「高校でもよろしくね、上鳴君」
満面の悩殺スマイルでそう言われて、危うく電車に乗り遅れかけたのは言うまでもない。
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