ひたむきな天使たち

 水底に沈んでいた体が浮かび上がるような感覚だった。静は静かに目を開けた。無機質な天井、カーテンレールが見える。静は起き上がり、左胸にそっと手を当てた。

「目が覚めたようだね」

 カーテンをわずかに開けて入ってきたのは、小柄な老婆だった。老婆は杖をついてベッドサイドまで寄る。
 老婆は口を開いた静を制し、話し出す。

「ここは雄英高校の保健室さね。私は養護教諭のリカバリーガール。うちの校内で倒れてたんだよ」
「ご迷惑を、お掛けしました。私は…うちは静、です。」

 忍である以上、簡単に素性を知られることは望ましくない。しかし、助けてもらった恩義を仇で返すわけにはいかない。わずかに逡巡して、静は名乗った。

「うちはさん。胸から出血しているようだったから見させてもらったけど、傷はもう綺麗に塞がっていたよ。ただ、痕は残るだろうねぇ…」

 静の忍服の胸元には穴が開き、赤黒く染まっていた。起きた時に触れたが、血は乾燥している。穴から傷口を撫でると僅かに隆起しているが、つるりとしている。触れた指先から肌の温もりと心臓の拍動が伝わる。

「生きてる……」
「何があったか、話せるかい?」

 リカバリーガールが優しく促した。けれど静は未だ夢現で、人に説明できるほど状況を把握できていなかった。
 ぼぅっとして答えられない静を、リカバリーガールは咎めることなく優しい沈黙を落とした。

「ここは天国か、はたまた地獄か…」
「確かめてみるかい」

 静がポツリと落とした言葉をリカバリーガールは聞き逃さなかった。リカバリーガールは静を伴って保健室を出る。廊下を渡り、エレベーターに乗り、扉を開けた。空は青からオレンジに染まりかけ、地平近くに太陽が揺らいでいた。ここは小高い丘のてっぺんにあるようで、すぐ周囲には木々が広がり、その奥の平地にはビルが群れを成していた。

「私にも状況がよく分かっていません。ですが、お話できることはお話しします」

 静は会議室のような場所に通された。部屋には数人となぜか少々大きなネズミがいた。リカバリーガールは「気が利かないねぇ」とぼやきながら温かいお茶を出してくれた。キャスター付きの少々立派な椅子に腰を落ち着かせて、静は口を開いた。
 そこからは両者の知識や常識を確かめ、静が全く別の世界から来たということを説明した。聞けばこちらは小犯罪こそあれど、戦争などとうの昔に集結していること。世界には法が整備され、警察組織と強力な個性を有するヒーローによって治安が維持されていること。それらを鑑みるとうちは静という人物は、かなり危険な人物に見えるだろう。静の常識からすれば、リカバリーガールが差し出したお茶には毒が仕込まれており、このまま暗殺されるのがセオリーである。

「ボクは神を信じてはいないけれど、世界を超越してまで君を生かしたということは、何らかの意図があってのことじゃないかな…と考えるわけサ!」
「神の意図…。私も神を信じてはいませんが、いずれ啓示を授かり、使命を帯びることになるのでしょうか」

 根津校長というネズミの発言の詳細は不明だが、背景に込められた意図なら分かる。静は毒の入っていない温かな粗茶に口をつけほっと一息つくと、冗談を言うように微笑を浮かべてそう返した。

「ところで君は、戦争を生き抜いた優秀な医療者であり戦士であったわけだ」
「一族では劣等生でしたし、戦争には参加していませんが。それでも、この世界と比べれば実戦を経験していると思います」
「その力を、この世界の平和を守るために奮ってみないかい?」
「忍は定められた掟を守り、任務を遂行するものです。与えられた任務が平和の維持であれば、私は遂行できるよう努めましょう」
「よし、決まりだね!まずは君の実力が知りたい。手っ取り早く実践といこうか!」

 そのまま部屋にいた数名の教師(この学校の教師はヒーローも兼ねているらしい)を伴って、演習場に向かった。演習場はいくつかある中で、最も木ノ葉に近い森林のような場所を選択した。ルールは簡単で15分間静は捕まらないよう、鬼であるヒーロー陣から逃げたり捕まえられないよう戦闘不能に追い込んだりすればいい。
 教師側の布陣は、イレイザーヘッド、ブラドキング、ハウンドドッグ、エクトプラズム、スナイプの5名である。個性こそプレゼント・マイクやミッドナイトのような派手さはないが、索敵・戦闘においてバランスの取れた実力者たちだ。なお、静の実力が明らかになっていないため、公平を期すために個性の開示は行っていない。

「…まずは様子見……」

 森林は静まり返っており、巣に戻るカラスの泣き声くらいしか聞こえない。もうすぐ日没を迎えるころ合いで、西日が差し込んで影を長くしている。静は音を殺しながら枝から枝へと飛び移る。道中、いくつかテグスやクナイ、落とし穴などを使ってトラップを作っておいた。
 その時、狼のような動物の遠吠えが響いた。

「この森の生き物はせいぜい小動物くらいで狼の類はいない…。とすると、見た目からしてハウンドドッグか」

 ハウンドドッグは大柄な狼のような容姿だった。個性とやらがそのまま狼であれば、索敵は臭いを辿れば容易だろう。ハウンドドッグが静を見付けたとなれば少々厄介だ。あの遠吠えで教師たちが一斉に集結してしまう。静は第一にハウンドドッグを制圧することとした。
 忍とは忍ぶ者である。隠密し奇襲を狙うのは定石であり、当然感知タイプへの対策は怠らない。静は敢えて遠吠えのした方向に向かい、丁度良さそうな開けた場で待機した。

「かくれんぼは仕舞いか」
「相手が悪いので」

 追い付いたハウンドドッグはまた遠吠えを一つした。鋭くとがった爪と、筋肉隆々な腕を振り上げる。思っていた通り、スピードも攻撃力も高い。静は軽やかに後ろへ下がって躱す。静は太ももに取り付けているホルスターからクナイを取り出し、構える。
 キン、キン、と音がする。ハウンドドッグのツメをクナイで受ける音である。静はじりじりと押されていき、もうすぐ背が後ろの木に着いて逃げ場を失ってしまう。
 静は最後の一歩を踏み出し、低く張ったテグスを踏みつけた。トラップが発動し、静に爪で襲い掛かるハウンドドッグ目がけて、大きな丸太がハンマーのように迫りくる。

「ぐぅ」

 丸太でハウンドドッグは突き飛ばされるが、ダメージは然程ないようで着地の姿勢を取っている。着地の瞬間、ハウンドドッグの顔が歪んだ。そこが落とし穴があったからだ。表面の偽装した土を破り、ハウンドドッグの巨躯が沈む。落とし穴の底には丸薬のような物が詰められていた。
 ボン、と煙が落とし穴から上がる。静が覗き込むとハウンドドッグは鼻を抑え、涙目でもんどりうっていた。
 落とし穴の底に詰めた丸薬は臭い玉である。閃光弾や煙幕と違って使用頻度は低いが、ハウンドドッグのような匂いで索敵を行う者にとってはうってつけな手段である。

 シュンと何かが迫りくる。咄嗟に避けるが、それは不自然に曲がって静を追いかけてくる。ハウンドドッグの遠吠えを受けて、スナイプがどこかに潜み狙撃してきたのだ。静はすかさずクナイで銃弾を受け、銃弾が飛んできた方へ向かう。
 それを分かっていたかのように、近接型の個性三人 イレイザーヘッド・エクトプラズム・ブラドキングが待ち構えていた。

 ブラドキングが素早く血を操り、網上に展開する。慣性を殺しきれない静を捕獲し、そのまま木の幹に拘束される。

「勝負あったか」
「いや、まだだ!」
「火遁 豪火球の術!」

 静は口から炎を拭き出して、目の前にあるブラドキングの顔を焼こうとする。しかし、術は想定より小規模のものになってしまい不完全に終わってしまった。効果もせいぜい驚かす位であった。
 拘束されていることもあり、静は本来両手で印を結んで術とするところを片手で行った。片手印では本来の効果は発揮できないが、原因はそれだけでなく、途中からチャクラが上手く練れなくなったことにある。体の妙な違和感に静は眉をひそめる。

「変わり身の術」

 どろん、と静が煙を上げてブラドキングの拘束から抜けた。拘束には適当な丸太が引っかかっている。変わり身は成功したが、違和感はぬぐえない。静は一時撤退しようとするが、エクトプラズムが分身を伴って周辺を包囲し、乱戦になったところでスナイプの狙撃である。イレイザーヘッドは少し離れたところで目薬をさしていた。
 静はエクトプラズムの蹴りを躱し、ブラドキングの血剣を躱し、スナイプの狙撃をクナイでいなす。体術の乱戦は静も得意とするところであるが、スナイプのホーミングがいやらしい所で水を差し、決定打には至らない。思い通りに攻撃が入らないことにいら立ちも覚える。
 その時ふっと静の身体を巡るチャクラが通常の流れを取り戻した。この隙に、と水遁 霧隠れの術を使って隠れ蓑にし離脱した。

「貴方厄介なのでオチててください」

 スナイプは霧に隠れて姿をくらました静を探しつつ、狙撃ポイントを変えるため移動していた。適当な木に登り、周囲を見渡した時だった。トンっと体重を感じさせない軽やかさで、静が目と鼻の先に降りてきたのだ。ホーミングの照準を合わせようとした時、静と目が合った。
 次の瞬間スナイプの目の前から静は姿を消して、少し先を走っている。スナイプは迷わずホーミングの照準を合わせるが、静は容易にクナイでいなしてしまう。スナイプは静を捕えるには隙を狙わなければならないと察し、追跡を一度やめた。再度仕切り直しである。

「むにゃむにゃ…」
「この手の人には下手なフィクションよりリアルな幻術よね」

 そう、静はスナイプと目を合わせた瞬間に幻術をかけたのである。先ほどのスナイプとの戦いは、全てスナイプが見ている幻術の世界での出来事である。
 これで厄介なハウンドドッグとスナイプをつぶした。残るは近接型3人である。

「影分身の術」

 それぞれを相手するために影分身を生み出す。エクトプラズムは分身をつぶして回り、本体へ迫る。イレイザーヘッドは恐らく忍術が上手く使えなくなった原因であると考えたため、背後から奇襲を仕掛け、早々に捕縛した。以外に苦戦したにはブラドキングで、想像以上にタフだった。いつまでも向かって決着がつかなかったので、土遁で頭以外を埋めて動きを封じた。

「そこまでさね」
「プロヒーロー5人を相手にたったの15分とは、恐れ入ったよ」
「いえ、正直正面突破でもなんとかなると思っていたのですが、想像以上に厄介でした。見誤っていたようです」
「実力は申し分ない。後はヒーローとしての経験を積み、こちらの世界に馴染むことが必要だろう」

 君を雄英にスカウトする!と根津は言った。