ゆらめきのゆるし



心許ない風が吹いて、私たちの髪を揺らしていた。夕方の公園には、家族連れや、学校帰りの高校生カップル、ジョギング中の若者等、たくさんの人が溢れかえっている。そんな中で、私たち二人は明らかに浮いていた。まるで、ソーダの中で浮かんでは消える泡みたいだ。そんなどうでもいいことを考える。

「……仕事、本当に、良かったの?」
「ああ、もう今日は休みだからな」

銃兎は爽やかに笑った。その爽やかさがどうしようもなく優しくて、私は両手をぎゅっと握りしめる。

「しかし、驚いたよ。急に通報が入って、公園で暴漢に襲われてるっていう被害者の特徴が、明らかに名前そのものだったんだからな」
「うぅ……本当にご迷惑お掛けしました」
「そういう事件は、本当は組対の仕事じゃないんだがな。それでも慌てて本来の仕事をほっぽり出して来てみれば、何のことはない」
「ほんと、まさか私も通報されてるなんて気がつかなかったよ。……ただ左馬刻さんと普通に話してただけだったのに」
「あいつも自分が暴漢と通報されたことに驚いてたな」

あの時の左馬刻さんの怒り顔と言ったら、こう言っちゃ何だが暴漢と言われても致し方ない恐ろしさではあった。もちろん銃兎のお陰でその場は収まり、他の警察官たちはやれやれといった様子で帰って行ったのだが、銃兎は何故かその場で上司に電話をして、『今日は午後休取ります』と言って仕事に戻らずにこの場に残ったのだった。それからどちらともなしにベンチに座り、今に至る。どこか高揚した街のざわめきが、木々の合間を駆け抜けた。

「でもどうして、急に午後休なんて……」
「まあ、たまにはいいだろう。最近は全然休めてなかったしな」
「で、でも……」

仕事を放り投げて無責任に休んでしまうなんて、銃兎らしくないように私は感じた。あるいは、衝動的にそうしてしまったことで罪悪感に苛まれているのではないかと心配にもなる。でも何故か、銃兎はどこまでも穏やかで、私の隣に座っている。

「……左馬刻といたなんて、珍しいな。何を話してたんだ?」
「え?まぁ他愛もない話だよ。偶然会って、今日は銃兎どうしたって聞かれて、仕事ですよーって感じで」
「そうか。いや、あいつも一応裏社会の人間だからな、あんまり仲良くしすぎると、今日みたいなトラブルになりかねないから気をつけろ」
「あはは。確かにね。今日みたいなことがまたあったら左馬刻さんに迷惑掛けちゃうし。次からは、銃兎と一緒にいるときだけ話すようにするよ」
「……ああ、そうだな」

話しながらも、多分、銃兎が私に言いたいことは、こんなことではないのだろうなという感じがした。静かに会話を交わしつつも、何故か銃兎とは目が合わないような気がして。夕方の空気を胸いっぱいに吸い込む。吐き出す。私はベンチから立ち上がって、「自販機、行ってくる。銃兎は何かいる?」と聞いた。

「自販機?」
「うん、喉乾いちゃった」

銃兎は特に何も答えず、ただ返事の代わりに銃兎も立ち上がって、近くの自販機まで一緒に歩いて着いてきた。昔からあるような、冴えない自販機には、普段は目にしないような飲み物がずらりと並んでいる。130円分の小銭をチャリ、と入れて、私は迷わず水色のパッケージのソーダを選んだ。

「珍しいな、ソーダか」
「うん。さっき何となくソーダのこと考えてたら、飲みたくなっちゃって」

銃兎は小さな缶のコーヒーを選んだ。ガタン、と大袈裟な音を響かせて落ちてきた缶を拾い上げる。それからまた私たちは黙ったままベンチに戻り、それぞれ缶のプルタブを開ける。カシュ、と小気味の良い音がして、私はまた少しだけこの高揚した街に許されたような気分になる。

「実はな」

コーヒーを一口だけ飲んだ銃兎が、そう言って口を開いた。私もソーダを口に含む。淡い甘さが喉を通り過ぎ、炭酸たちが遅れてそれを追いかけていく。

「さっき、署内で通報の内容を聞いて『ああ、名前のことだ』と思い当たった時、俺は、……自分らしくないっていうのは解っているんだが。……居ても立ってもいられなかったんだ。……本当に、心配になってしまった。だから、同僚の制止を振り切ってでもここに来た」
「そうだったんだ」
「だから、お前が左馬刻といて、何事もなさそうなのを見て心底ほっとしたよ」
「……ご心配お掛けしました」
「俺は……お前から目を離すのが、恐ろしくなった」

もう一口、ソーダを口に含む。しゅわ、しゅわ、透明な泡に満たされた私は、まるで浄化されていくみたいだ。もう一口飲む。もう一口。宝石みたいに無垢な甘さが、この世界までもを綺麗にしてくれるような気がした。

「銃兎がそんなこと思ってたなんて……」
「……変、だよな」
「うん、変だよ」
「……お前な」

ふと、どこかからコーヒーの良い香りがすると思ったら、銃兎の持つ缶からだった。ホッとする香り。私たちは、余りにも様々なものに許されている。

「だってさ、銃兎がこの街を平和な良い街にしてくれるんでしょ」
「……」
「それって結局、私を守ってくれてるってことじゃなかったの?」
「……そうだったな」

銃兎は静かに微笑んだ。私もゆっくり笑う。また風が吹いた。頬を撫でる冷たさが心地よかった。

「私、銃兎のこと信じてるよ。だから、大丈夫なの。銃兎を信じることで、大丈夫になれるの」
「……お前は俺よりもよっぽど強いな」
「そうだよ、だから心配なんかしないでよ。銃兎は銃兎のするべきことを、してくれたらいいんだから」
「……ああ、そうだな」

私のソーダと銃兎のコーヒーが同時に空になって、なんとなく二人で立ち上がった。銃兎は、今から署に戻っても意味ないよな、と自嘲気味に笑った。どちらともなく、そっと手を繋ぐ。夕方だったはずの空はいつの間にかすっかり暗くなっていて、まるでおあつらえ向きみたいにぽっかりと月が見えた。たとえ、この世界がソーダみたいに綺麗なんかじゃなくても、私の隣にこの暖かさがあることには変わりないのだ。


2024/3/20
title by 誰花

.