今の仕事も、部署も嫌いじゃない。いや、むしろ好きだ。みんないい人だし、仕事だってやりがいがあって面白い。なのに、今週末あるという部署総出でのバーベキューに私が乗り気じゃないのは、ある理由がある。
「苗字さん、日曜のバーベキュー来るよね?いやー、楽しみだな。苗字さんあんまり普段の飲み会とか来ないしさー」
「あー……、はい。一応、参加するつもりですよ。ははは……」
3年先輩にあたるこの人は、普段から何かと私の仕事を助けてくれたり、私にだけお土産をくれたり、お昼に一緒に行こうと誘ってくれたりする……それが、『ただの優しい先輩』ゆえの行動ではなく、何かしらの下心があるのだとようやく気が付いたのは、少し前のことだった。仕事中ならば、うまくかわすことだってできる。でも、休日に私服で集まって行うバーベキューとなれば話はまた変わってくるだろう。私はとにかく迫り来る日曜が憂鬱で仕方なかった。
*
「と、いうことなの。助けてくれるよね?!一郎」
「……『と、いうこと』って言われてもなあ……」
土曜の午前、萬屋ヤマダは珍しく閑散としていた。二郎はバスケ部のヘルプ、三郎は学校の講習で不在だ。窓の外ではやかましいほど太陽が照っていて、明日のバーベキューが雨天中止にならないことは明白だった。
「バーベキューぐらい、サボっちまえばいいじゃねえか」
「今回だけはサボれないんだよー……。普段飲み会に来ない統括部長が、ご家族連れで来るっていうから、私たちも全員参加なの」
「それって今時パワハラってやつじゃねえのか?」
「そうかもしれないけど!私も統括部長には普段からお世話になってるし、バーベキューに行きたい気持ちはあるの!」
「……そーかよ。じゃあ、その先輩とやらにハッキリ『興味はない』って伝えればいいだろ」
「それができたら苦労はしないって……」
私が今日こうして、一郎の元に駆け込んだのは、例の先輩からのメールがきっかけだった。『日曜、荷物も多いし車で一緒に行かない?レンタカー借りてさ』金曜日退勤後に送られてきたこのメールに、私は気付かず朝まで放置してしまった。……気付いたときには時既に遅し。『イケブクロ近辺でレンタカー予約したわ!』『当日朝8時集合な(^^)』と畳みかけるように入っていたメールに、私は顔を青ざめさせることしか出来なかった。いや、一応慌てて『いやいや!ご迷惑だと思いますし!電車一本で行けるので私のことは気にしないで下さい!』と返信したが焼け石に水で、『俺が苗字と一緒に行きたいだけだから気にすんな♪』と来た。それからまた少しして、『もしかして、彼氏いるからそういうのダメとか?』と送られてきたのだ。
「……これはもう、『そうなんです』って言うしかないじゃん!」
「ならそれでいいだろ。嘘でも『彼氏がいるので』って言っときゃ、その先輩もそれ以上しつこくはしてこないんじゃねえか?」
「それが……」
もちろん私もそう思った。そしてすぐさまメールをした。それに対する返信が、こうだ。『じゃあ、彼氏には秘密のドライブしちゃおうぜ\(^o^)/笑』……先輩、めげなさすぎっす。
「それで、メールじゃどうにもできなくなって、俺に名前の彼氏のフリをしてほしいってことか……」
「お願い!幼馴染みの顔に免じて!」
「……ったく、しょうがねーな」
「ほ、本当?!ありがとう……!一郎、本当にありがとう!」
本当は、幼馴染みの一郎にこんなことを頼むのは気恥ずかしいし、気は進まなかった。でも今残された道はこれしかないのだ。一郎は昔から、なんだかんだ文句を言いながらもいつも私を助けてくれる、頼れる幼馴染みだった。そんな一郎が、何でも屋さんとして街のみんなに信頼されているのも納得だ。困ったときは一郎が私たちを助けてくれる。そんな安心感が、この街のみんなにはある。
「彼氏のフリっつったって……俺は演技とかできねーけど」
「大丈夫大丈夫!ただ、どっしり隣に居てくれれば、あとは私が上手くやるから!」
「……そんなんでいいのかよ」
「ばっちりだよ!」
一郎のお陰で気持ちを持ち直した私とは対照的に、当の一郎はどこか複雑そうな顔で溜息を吐いた。もしかしたら、休日は好きな本でも読んで過ごす予定だったのかも知れない。だとしたらせっかくの休みを潰してしまって申し訳ないけど、こちらも危機的状況なので許して欲しい。
「あ、ちゃんとお代は払うからね!」
「お代ってお前、」
「やっぱり、困ったときは萬屋ヤマダだよねー」
「……そう、だよな」
玄関の方からドタバタと音がして、「兄貴、ただいまー」と二郎の声が聞こえた。一郎はますます複雑そうな顔をして、玄関の方を見つめていた。
*
当日、朝8時。待ち合わせ場所に一郎を連れて現れた私を見て、先輩はあんぐりと口を開けていた。それでも、社会人として普通に接することを選んでくれたらしく、「どーも、いつも名前が世話んなってます」とぶっきらぼうに言う一郎に、先輩はぺこっと会釈を返した。
「ちょっと、一郎。余計なこと言わなくていいって」
「……俺は今日、名前の彼氏なんだろ。依頼として受けた以上、ちゃんとやる。お前は何も心配しなくて良い」
「一郎……?」
乗り込んだ後部座席でこそこそ話している私たちを、先輩はフロントミラー越しに睨むように見ていた。いや、頼むから前見て安全運転してくれよ。
「……到着したよ」
「あ、ありがとうございました」
とにかく気まずかった車内をを出ると、気持ちよく晴れた広い空が広がっていた。ちょうどよく、そよ風も吹いていて、暑すぎず、寒すぎず、非常にバーベキュー日和だ。私の後ろから一郎が下車してくる。トランクの荷物を取り出している先輩に、一郎が「先輩」と声をかけた。
「俺たち、先に行ってますね」
そう言って、一郎は突然私の手を掴んだ。咄嗟のことに反応できずにいると、一郎はそのまますたすたと歩き出す。つまり、手を繋いで歩いている。……脳が現状を理解するのに数秒必要だった。そうか、私たちは今恋人同士なのだから、このくらいは普通かもしれない。
「ちょっと、一郎。先輩に何か失礼じゃない?」
「別に、いいだろ。あっちが先に名前にストーカーしてんだから」
「ストーカーってそんな大袈裟な……」
今日の一郎は、何か変だ。いやもちろん、恋人のフリをしてもらっているのだから、いつも通りの一郎ではないということは理解はしているつもりだ。でも、それだけじゃなくて、今日の一郎はなんだか、(……なんか、怒ってる……?)そんな気がしてならなかったけど、そう思って一郎を見てみても、普通に笑ったりしているし、他の同僚に挨拶するときはにこやかにしてくれているし、なんなら率先して肉を焼いたり配ったりしてくれていて、気のせい、だったのかもしれない。統括部長に、「苗字さんにこんなに素敵な彼氏くんがいたとはねえ!」と褒められて、「いやあ、苗字さんこそ、俺にはもったいないくらいっす!」と答える一郎は、まるで本当に褒められたみたいに嬉しそうにしていて、何故か私の方がひどく照れてしまった。
「……ちょっと苗字、いいか?」
それはもう夕方にさしかかり、一郎が統括部長のお子さんとのフリスビーに夢中になっているのを木陰で眺めていた所だった。振り向くと例の先輩が、どこか気まずそうに缶ジュースを差し出してくる。私はそれを受け取り、視線をまた一郎に戻す。先輩も、眩しそうに一郎たちを見ていた。
「……なんか、ごめんな。俺、苗字に結構しつこくしちゃって……」
「えーと……」
「苗字に彼氏がいるなんて思わなくて。メールで聞いたときも、まぁその場しのぎの嘘だろーとか軽く考えてて」
図星です。とも言えないので何か曖昧で神妙な顔をして頷いておく。
「こんなに、苗字のこと大事にしてる彼氏がいたんだな。……俺、バカだったよ。本当にごめん。もうああやってしつこく誘ったりしないから」
「そんな……」
「さっき、一郎くんがさ。『名前を傷つけないで欲しいんです。大事な子だから……』って、わざわざ俺に言いに来たんだよ。……本当に良い奴だな、あいつ。俺が言うのも変だけど、一郎くんのこと、大事にした方がいいよ」
「……」
何と返事をするのも憚られて、なんとなく前を向いたまま頷いた。いつのまに一郎がそんなことを先輩に言っていたなんて、気がつかなかった。大事な子だから。どういう意味で言ったんだろう。いつもなら、軽いノリで聞けたかもしれない。でも今日は何故か、一郎にそのことを聞くのが怖かった。
そうしているうちに、フリスビーをしている一郎がふとこちらを見た。統括部長のお子さんに何か声をかけたと思ったら、こちらにずんずん歩いてくる。何かどんどん近づいてくるなぁ、なんて思っていたら、いつの間にか目の前まで来ていて、と思っていたら一郎は、隣同士に座る私と先輩の間の隙間に無理矢理ぐっと入って座った。
「ちょ、一郎、狭いって」
「そうか?」
「フリスビー、もういいわけ?」
「……」
一郎に押される形で立ち上がった先輩は、眉を寄せて少し笑う。一郎はやっぱり、少し怒っているように見えた。その理由も、何故だか聞くのが怖い。
「はは。一郎くん、ごめんな。俺は、退散するよ」
「……そースか」
「えっと、先輩」
「いいから。また仕事で」
「……はい」
先輩はあっさりといなくなり、ここには一郎と私だけが残された。一郎が狭い隙間に座ろうとしたせいか、妙に距離が近い気がする。先ほどまで運動していた一郎の、汗ばんだ肌の気配のせいで、私はひどく落ち着かなかった。
「……えっと、一郎」
「ん、どした?」
「……今日は、ありがとね。本当に助かった。それに、ごめん。沢山嘘吐かせちゃって。先輩にも色々言ってくれたみたいで……」
「……俺は……」
一郎は言い淀んで、こちらを見た。その表情は、怒っていなかった。笑ってもいなかった。ただ穏やかに揺れるオッドアイが、私を真っ直ぐに見つめている。
「嘘、吐いたつもり、ねーけど」
「え……」
いつの間にか、ベンチの上で一郎の左手が私の右手の上に重なっていた。今、私たちの周りには同僚はいない。だから、無理して恋人のふりをする必要はないのに。
「一郎……」
「ほら、そろそろ帰る時間だろ」
「う、うん」
気がつけば私たちは、当たり前みたいに手を繋いでいて。私も、一郎も、手を離そうとしなかった。偽りだった私たちの関係が、たぶん、いつの間にか、ほんものに変わったのだと思った。
「私も一郎のこと、大事な人だと思ってるよ」
「……俺は、ずっと前から、お前が大事だよ」
一郎は、ただまっすぐ前を向いてそう言った。夕方の風は少し冷たくて、一郎の手の温かさが私を守ってくれるみたいだ。「つーか」バツの悪そうな一郎の声がした。「……それ今言うの、反則だろ」と言う一郎の顔は、確かに嘘偽りなく赤くなっていて、私は嬉しくなって一郎の手をまた強く握り返したのだった。
2024/10/16
title by 誰花