「またそれぇ?」
「るせぇ」
もやしラーメン・半チャーハン・餃子セット。見るからに元気いっぱいの男子高校生みたいなメニューを頬張るその人は、見るからに青白い顔をしていた。元気がないわけじゃなく、もともとこういう顔色なのだ。顔に似合って、幽霊みたいに白い服。とか言ったら怒るだろうな。対する私は、彼の隣でサブウェイの包みを開け、できるだけ大きな口でサンドイッチを頬張った。もしソースが垂れても、今日は黒い服だから無問題だ。
幽霊みたいな男と喪服を着た女が横並びでフードコートの一人席に座ってご飯を食べていても、こちらに視線を向ける人は誰もいない。私たちが重要な機密を含む会話をするときは、いつもこの場所だった。木を隠すなら森の中、人間を隠すならイオンモールのフードコートの中、だ。
「……で、例の祭、どうなった」
「あー、左馬刻が気にしてた、例の祭?盛り上がったみたいだけど。お兄さんたちが花火ではしゃぎすぎて、お父さんが怒った。かけっこが遅くて宿題が5冊出そうな人も1人いたみたい」
「留守番は」
「1人で3時間留守番。花火のゴミは持ち帰れって言われてたんだけど、一つ落っことしちゃったみたい」
妙に噛み合わない会話には、もちろん別の意味がある。符牒なんて格好いいもんじゃなくて、その場のノリだけど。ヤクザの組同士の抗争が勃発した。拳銃が使われた。警察が出てきて、一人は実刑で5年程くらいそうだ。一人は初犯なので執行猶予で3年。拳銃の一つは海に沈めて処分した。そんなところだ。
「小麦粉は出なかったのか」
「ん、遠藤さんはもともとケーキ屋向きじゃないんだよ。アレルギーがあるみたい。佐藤さんはケーキが大好きだから、焦ったみたいだけどね」
こんどは薬の話題だ。遠藤さんと佐藤さんはとある組の仮名である。左馬刻は薬の話題に敏感で、いつも動向を知りたがった。多分今日も、抗争の話自体というよりも、薬のことについて知りたかったのだろう。
「そーか。最近ウチの周りで太りすぎが増えてやがる。佐藤のケーキか」
「んー、ケーキもそうだけど、他にも色々あるからねぇ」
左馬刻は眉をしかめてから、ラーメンに盛られた大量のもやしを口の中に放り込んだ。咀嚼を終えてから、「……ちっ」と微かな舌打ちが聞こえる。この世界にいれば薬の話題なんてそれこそそこら中に転がっているだろうに、こうやって話を聞いただけで苛立っていては、きっと生きづらいだろう、と思う。
「左馬刻〜、眉間の皺〜!」
そう言って、手元のポテトで左馬刻の両眉の間をちょいちょいとつつくと、「おいテメふざけんな、油ついたじゃねえか!」と本気で嫌そうに振り払った。何よ、サブウェイのポテトはほくほくで美味しいのよ、とそのまま自分の口に放り込む。不器用で、真面目で、つくづくこの業界が向いていない人。情報屋として関わり始めて数年経つが、その印象は未だに変わらなかった。
「笑って笑って?ほら笑う門には福来たるって言うじゃん?」
「そういうテメーの所には山ほど福が来てんだろーなぁ?」
「あは、私ってそんなに笑ってる?」
にいっとわざとらしく笑ってみせれば、今度は大袈裟に無視をされた。チャーハンを頬張る姿に「美味しそー」と呟くと、「チェーン店だぞ、まじーだろ、普通に」と返ってきた。そっか、そういえばこの人は中華街のあたりの人だった。
「テメェは何でいつもヘラヘラしてんだ?弱ぇだろ、お前。ラップもへなちょこだしよ」
「えへ。まー、何だかんだ、助けてくれる人がいるから何とかなってると言いますか」
「この前の祭でも親父に助けられたって?」
「そーそ、その節はお世話になりました」
うろちょろと色んな所に顔を出していれば、もちろん危険な目にも遭う。でもこれまでに命に関わったことは一度もなかったし、きっとこれからも大丈夫だろうなんて楽観的な考えで、私は特に問題だと感じていなかった。左馬刻は眉間の皺を寄り濃くして、「気にいらねー」と呟いた。それから彼は餃子を乱暴に口に放り込む。すぐ後ろの通路を親子連れが数組通り過ぎていった。昼下がりのフードコートは、あくまでも私たちを人間として受け入れていた。
「まあ、何か起きたらそれはそれで仕方がないかなぁと思ってるんだよ。これまで割と楽しく生きさせてもらったし、無駄に長生きしてもねー、なんて」
「……名前テメー、楽観主義なのか、悲観主義なのか、どっちかにしろ」
「楽観主義だよぅ」
左馬刻は長いため息を吐いて、紙コップの水をぐっと飲んだ。自分だって散々危ないことしてるくせに、と思ったけど言わなかった。
左馬刻は、情報屋である私に、中央区の情報が欲しいと言ったことはない。誰かに助けを請うたという話も、裏から手を回そうとしたという話も聞いたことがない。
私は確かにラップも喧嘩もへなちょこだけど、へなちょこなりの生き延び方というものがある。でも多分、左馬刻はその“逆”だった。左馬刻は強い。立場もある。だから、正攻法でカチコミをかけるしか、彼には道がないのだ。例えそれが、一夜限りの祭のように、儚く砕け散ることがほとんど決まっているようなやり方だったとしても。
「……左馬刻ー、あんたは長生きしなよ。美味しいもん食べてさ、お布団あったかくしてさ」
「あ゛?何だテメー、突然気でも狂いやがったか」
「ひどっ」
からからと笑ってから、ふと思い出したように左馬刻は黙った。一度、二度、コップの水を飲む。私は何となく居心地が悪くなって、手元にあったサブウェイの包み紙を丁寧に畳む。
「お前こそ、長生きしろよ」
「……はいぃ?」
「長生きに、無駄とかねえだろ。喧嘩もラップも、何なら俺様が鍛えてやんよ。強くなれ」
「えっと……プロポーズですか?」
「あ゛あ゛?!?!どこをどう聞いたらそうなんだ、テメェ?!」
左馬刻が声を荒げたので、壁の向こうの女子高生グループが少しざわついた気がしたが、恐らく男女の痴話喧嘩と判断したらしく、またもとの平穏な喧騒に戻っていった。たくさんの人たちの平和な話し声。そこら中から聞こえる、赤ちゃんの泣き声。すぐ近くのマックから聞こえる、ティロリティロリとポテトの揚がる音。ここには泣きたくなるほどに、平穏が溢れていた。私達が喉から手が出るほど欲したって手に入らない、平穏が、当然のように存在しているのだ。
「先に同じようなこと言ったのはテメェじゃねーかよ名前」
「あは、確かに。じゃあそれもプロポーズってことで」
「何でそんな意味不明なことになんだァ?!あ゛?!」
「だってぇ〜」
わざと駄々っ子のような声を出してみると、左馬刻は更に苛ついたように長い脚をガタガタ言わせた。本当はわかっている。こんな戯れに、意味なんかない。私達に平穏なんてものは永遠にやってこないし、もちろんプロポーズなんてものは毛ほどの実効性もない。だから、だからこそ、私は夢を見てしまう。もしこの人が、ただの左馬刻だったなら。もし私が、ただの名前だったなら。
「……馬鹿なこと言ってねーで、とりあえずまァ自分を大事にしろや」
「…………え、………うん」
思いの外、真っ直ぐな声色に、今度はこちらがうろたえてしまった。何度か瞬きをして、左馬刻の瞳を見つめる。相反するカーマインとターコイズが、まるで何でもないとでも言うようにこちらを見据えている。
「……左馬刻こそ、自分を大事にしてほしいよ」
「あー?何か言ったか?」
「んーん、何でもない」
小さな呟きは、左馬刻には届かない。届かなくていいのだ。どうせ叶いはしない。でも、叶いもしない平穏を互いに願い合うだなんて、これが愛でなかったら、一体何が愛だというのだろう。
2025/12/31
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