夜半の微熱が疎ましい






アイツが最後に連絡を寄越したのは、もう一週間も前のことだ。そんときだって、暫く姿を見ねえと思ったら、唐突にアホみてぇなメッセージをひとつ寄越してきただけ。『ドイツ旅行!街きれい!たのしー!』急に飛び出たドイツというワードに、ハァ?と声が出た。別に連絡が欲しいなどと女々しいことはこれっぽっちも思っちゃいないが、あの女はすべてが急すぎるのだ。敵の事後処理と面倒な事務仕事に追われて、ようやく俺が帰宅できたころには、日付を軽く超えていた。持ち主が不在のままリビングの床に放られた寝巻きに、無性にイラついて舌打ちをした。

「ばくごうただいまーーーー!!」
「……はああ?」

急すぎるのだ。すべてが。もう夜更けだ。就寝の支度を済ませてベッドに横たわり瞼を閉じて、うつらうつら、意識を手放そうとしたその瞬間に、時間も考えずガチャガチャと暴力的なボリュームでドアノブを回し、暴力的なボリュームでただいまなどとほざいたクソ女は、あろうことかクソバカデカいキャリーケースをガラガラガラガラと、それはもう暴力的なボリュームで俺の家の玄関に捩じ込み、バタンと、思い切りドアを閉めたのだ。

「うるッせーんだよ!てめぇ今何時だと思ってやがんだ」
「ねぇ爆豪!洗濯機借りて良いー?!」
「話聞けやクソが。第一声がソレとか人間終わってんだろ。つか洗濯機は今はウルセーだろが明日にしやがれ」
「たしかに!さすが爆豪賢ぇ〜」
「バカにしとんのか?」

明日が非番で心底良かった。心底腹立たしいが。こんな非常識な叩き起こされ方をして再度眠りにつく方が難しい。勝手に上がり込んだ名前は、俺の横を通り過ぎてパタパタとリビングで水を飲んだりコートをかけたりと忙しなく動いていたが、床に落ちている自分の寝巻きに気づいて片手で拾い上げた。てめぇがだらしねーゴミ人間だということをわからせるためにわざと置いたままにしていたというのに、「こんなとこにあったの!ラッキー。今日これ着よ」とかいうノーテンキぶりによって何の嫌味も伝わることなく回収された。くたばれ。

「シャワー借りるね〜!上がるまで爆豪は起きて待ってて?」
「は?フツーに寝るわ。つーか寝るとこだったんだわ。バカみてーな声で叩き起こしやがって」
「それはごめんってぇ」

顔の前で両手を合わせて、わざとらしく唇を尖らせた。それから甘えたような手つきで、俺の首筋に柔らかく触れた。

「ね、わかるでしょ?いじわるしないでよ、お願い。だめ?」
「……ハ、俺に起きてて欲しい理由でもあんのかよ、なァ名前チャン?」
「荷解き手伝って」
「てンめぇ……」

じゃ、よろしくね!と勝手に話を切り上げて名前は風呂場へと駆けていった。マジで、いっぺんくたばれや。風呂場でくたばられたら俺が困るから、地球のどこか、俺の見えないところでくたばれ。やり場のない怒りを奥歯で噛み殺しながらふと玄関を覗くと、バカクソゴミデカキャリーケースがど真ん中に鎮座していた。邪魔にも程がある。しかしアイツのことだ、このままにしとくと泥だらけの車輪で部屋ん中引き摺り回しかねない。アイツのためじゃない、俺の部屋の治安維持のためだ。仕方なくウェットティッシュで4つの小さな車輪を拭いて、リビングまで運んでやった。つか重すぎんだろ、何入ってんだよコレ。ハァ、と聞かせるように大きくついたため息は、シャワーの水音とゴキゲンな鼻歌に掻き消された。

なかなか上がってこない名前を待つ間に、手持ち無沙汰になってしまった。なにしろ俺は元々寝るつもりだったのだから、今やりたいことなどこれといってないのだ。だがしおらしくソファに座って待つのも性に合わないので、キッチンに立った。どうせあのイカレ女は風呂上がり開口いちばんに「甘いものが食べたい」とくるに決まっている。思惑通りに動くのは癪だが、先手を打って何も言えなくしてやる。冷蔵庫を開けてあり物を見ると、簡単なパンケーキくらいなら作れそうだった。そんなもん俺は食いたくもねぇし、ましてこんな時間に食うなんざイカレた所業だが、いかなる状況だとしてもこの俺が作れないものなどないのだ。そうしてボウルでかき混ぜた生地をフライパンで焼き始めたところで、ようやく脱衣所のドアが開いた。

「あ、ばくごー、ほんとに起きててくれたんだぁ」
「は?テメーがそう言ったんだろーが」

リビングに現れたアホ面を苛立ちのままに睨みつけたが、名前は気にする様子もなく濡れた髪をバスタオルで拭きながら「甘いにおいがする!」と目を輝かせた。

「甘いもの食べたかったの」
「知っとるわ」
「すご、エスパー?」

冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを飲みながらトコトコと俺の隣に並ぶと、フライパンを覗き込んだ。そのまま見上げるように目線を俺に向けて、三日月型に目を細めた。

「しかも、私の好きなやつ」

甘えたような顔で俺に擦り寄ってくる。「メープルシロップね」って知るかクソが。自分で棚から出しやがれ。このバカは俺が熱したフライパンを持ってるのが見えねぇのか、手を繋いでくるわ肩に頭をもたげてくるわ、挙げ句の果てには腰に腕を絡めて来やがった。シャンプーの強烈な甘い匂いがして脳みそがクラクラする。パンケーキの甘い匂いなんてちっともしねぇじゃねぇか。

「邪魔」
「嬉しいくせに」
「うぜぇ」
「私の好きなものも、食べたいタイミングも、ぜんぶ知ってるのは勝己だけだよ」
「マジムカつくわ、お前」

散々ワガママ振り撒いといて、思い出したようにこんなことを言い出すのだから本当にムカつく。ご機嫌とりのつもりかよ。フライ返しでひっくり返した生地は、イライラした手つきで返したとは思えないほど綺麗な丸い焼き目が付いていた。すぐ隣にある顔に視線を移すと、上目遣いをしたクソ女が「ひどーい、ムカつくとか言わないでよ〜」と眉尻を下げて見せた。

「爆豪のためにお土産いっぱい買ってきたのにぃ」
「イラネー」
「旅行は楽しかったけど、でも爆豪のお土産選んでるうちに早く帰って来たくなっちゃった」
「なんで」

彼女の手が頬に触れる。その親指の腹が俺の唇を柔くなぞった。

「起きててって言ったの、何でかわかってるでしょ?……ねぇ、ばくごうは嫌?」

俺は何も答えなかったが、フライパンの上では、俺のためじゃない、これでもかというほど均一な厚みで正丸に形を成したパンケーキが美しい焼き目を付けている。それ自体が、何かの答えになってしまっている気がして嫌気がさす。コンロの火を消して、空いた右手でそれを皿に移した。

「勝己に会いたかったの。ね、早く、キスして」

ああクソ、ムカつく。わざとらしく潤んだ瞳が悪い。俺を見上げる甘ったれた顔が悪い。濡れたような赤いその唇が、美味そうに艶めくのが悪い。俺はそれに、俺の意思で、喰らい付いたのだ。そう、決して名前の思い通りになってるわけじゃない。決して。




2026/8/15
title by きらきら

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