※未来捏造




本日はまことに良いお日柄で、このようなよき日に、結婚の儀がとどこおりなく行われましたことを、心からお慶び、申し上げます。


Just Married!




「急がなきゃ……!」

まさに結婚式日和と言える初夏の爽やかな晴れ空の下、汗を浮かべながら必死に走っている、私だ。ああ、周りに人がいなくて本当によかった。艶やかなドレスを翻しながら、華奢なヒールで豪快に走る姿は、どう考えても誰にも見せられない。
本当なら、今頃すでに会場に着いて、優雅にウェルカムドリンクを頂いている予定だった。あの美容院め、セットの時間が予想よりも30分も長く掛かったせいで、遅刻寸前だ。汗だくになりながら走る姿とは対照的に、優雅な青いドレスが旗めいている。
ヒールで走るのがこんなに大変だなんて、知らなかった。何度も転びそうになるのをなんとかつんのめってこらえながら、足を前へ前へと進めるけれど、焦る気持ちとは裏腹に、周りの景色はスローモーションみたいに流れていく。

それでも急いだ甲斐があり、なんとか時間ぎりぎりに会場に到着した……と思った矢先。

「…………きゃっ!?」

気付くと私は、道路に倒れ込んでいた。
どうやら、派手にすっ転んだらしい。自分の足を見ると、靴が片方脱げており、足の指から血が出ている。

「痛っ……」

ただでさえ遅刻ギリギリだっていうのに、加えて道路で一人転んだだなんて、情けなくて涙が出そうになる。
最初から、別に仲良くもない友達の結婚式なんて、来たくもなかった、3万円突っ込んで転びに来たなんて笑えない、なんて、毒づきたくもなるけど。
……とはいえ、今日は晴れの日だ。なんとか気持ちを立て直して、滲む涙を引っ込める。

「そうだ……靴、片方どこいった……?」

立ち上がろうとして、脱げた靴が片方見当たらないことに気がつく。
……どんだけ派手に転んだんだ、私。
アラサーにもなって血が出る程転ぶなんて、情けないと同時に何だか変な笑いがこみ上げてくる。もうここまでくれば恥もへったくれもないので、とりあえず片方だけ靴を履いた状態で、立ち上がった。

「あ、あの、すみません!これ、あなたのじゃないですか?」

後ろから声をかけられて振り返る。
……と、そこにいたのは。

「な、七瀬くん……」
「ああ、苗字じゃん!久しぶり!」

七瀬陸。
十数年ぶりに会う中学の同級生であり、私の初恋の人でもあるこの人が、ハイヒール片手にそこに立っていた。


* * *


「いやー、さっきはびっくりしたよ!目の前で綺麗な女の人が一回転するかってくらいの勢いで転んだと思ったら、苗字だったんだもん!」
「……こっちだって、まさか七瀬君に見られたなんて思わなかったんだから!あー恥ずかしっ」
「でも、俺が偶然接着剤と絆創膏持ってたから助かったでしょ。ヒールもぽっきり折れちゃってたもんね」
「そりゃありがたかったけど、絆創膏はともかく、接着剤なんて普通持ってないでしょ」
「それは一織が……じゃなくて、俺、おっちょこちょいで物とか良く壊すし、持ち歩くようにしてるんだよ」

七瀬君は屈託なく笑い、オレンジジュースをごくごく飲んだ。彼が無邪気に視線をこちらに送るたび、心臓が跳ね上がる。
中学の頃、体が弱くて体育の授業はほとんど見学だった私は、同じように体育を見学する七瀬君とよく話すようになった。
何でもない、その日の天気の話、授業の話、テレビの話、歌の話。
七瀬君は本当に歌が大好きだった。そして、体育の授業中、こっそりと小声で歌ってくれる七瀬君の歌が、私は本当に大好きだった。

「まさか、七瀬君が本当のアイドルになっちゃうなんて、思わなかったよ」
「あはは……俺も。天にぃにいつか追いつきたいって思ってたら、気付いたらこうなってたんだ」
「…………あの頃は、私だけが知ってる歌声だったのにな……」
「苗字、何か言った?」
「ううん、なんでもない!それより、式が始まるよ!」

会場が暗くなり、新郎新婦が入場する。
さっきは、転んでヤケクソになって、仲良くもない友達の式に来たくなかった、なんて思ってごめんね。二人ともとても素敵で、仲良くなかったはずの私も少し涙ぐんでしまった。

「次は、新婦ご友人による、お祝いの歌の余興です!」
「歌の余興?……って、もしかして……」
「うん、俺行ってくるよ」
「やっぱり七瀬君なんだ!」
「君はここで聞いててね、名前」
「え、今、名前……」

七瀬君はさっと立ち、前に出てお辞儀をした。まさか人気アイドルが出てくると思っていなかった人たちがざわめき、会場は騒然とした。

「二人とも!ご結婚、おめでとうございます」

七瀬君が一言そう言うと、会場はしんっと静まりかえった。……流石、プロだ。聴衆の心をぐっと引きつけ、一瞬にして会場内全ての人の目を釘付けにしてしまった。参列者だけでなく、式場のスタッフまでもが、七瀬君をじっと見ていた。

「俺なんかが恐縮ですけど、二人のために歌います!」

そう言って、七瀬君は静かに歌い始めた。アカペラだ。伴奏もない中、一人で朗々と歌い上げる。
気付けば、涙が一筋、零れ落ちていた。自分でも、どうして涙が出てきたのかわからない。でも、何か心に直接響いた気がして。

式は盛況のまま終わり、お開きということになった。会場を出る前に、七瀬君に声をかける。

「七瀬君、久しぶりに会えて本当によかった。あと、絆創膏と接着剤も本当ありがとう」
「いえいえ!あんなことでよかったら。俺も、名前に会えて嬉しい。ずっと会いたかったから」
「え……?」
「だって、あんなに仲良かったのに、クラスも違ったし、連絡先もわからなかったから、会いたいと思ってもどうしようもなかったんだよね。今日こうやって会えたのは俺にとっては奇跡だよ!」

……どうして、七瀬君はそんなことを言うんだろう。それって、どういう、意味だろう。勝手な期待に、心臓がうるさく鳴っている。

「さ、さっきの歌……素敵だった。さすがプロって思っちゃった」
「ありがとう。アカペラなんてちょっと自信なかったけど、名前に聞いてもらいたいなって思って頑張っちゃった」
「え……」
「俺、あの頃より少しは成長できたかな?」
「そ、そんな……あの時も素敵だったし、今日の歌も感動したよ。……でも、正直言うと、少し寂しかったかな。七瀬君の歌、私だけが知ってるって思ってたのに、いつのまにか、こんなに素敵な、みんなのアイドルになっちゃってるんだもの」

これは、私の正直な気持ちだ。
中学の頃、七瀬君は病気で沢山は歌えないと言って、私の前でだけ歌ってくれていた。今では、病気を克服できたからこそ、アイドルとしてステージに立っているのだろうけど。
七瀬君の夢が叶ったことが嬉しいのと同時に、私だけの大切な宝物がなくなってしまったような気がして、寂しいのだ。

「あの頃は、名前のためだけに歌ってたもんね」
「うん。それが……嬉しかったの」
「じゃあ、これはどうかな?これも、名前だけにあげるものだよ」

そう言うと、七瀬君は後ろから花束を取り出した。小さな、そして真っ赤な薔薇の花束だ。

「えっ……これ……」
「中学のあの頃、君と一緒に過ごした時間は最高だった。一緒に歌って、体育に参加できない惨めさなんて二人で吹き飛ばしてさ」
「で、でも、私はほとんど聞く専門で、音痴だったし……」
「音痴なんてとんでもない!俺、本当は、一人で歌うよりも、名前と一緒に歌ってる方が楽しかった。あのとき、名前が教えてくれたんだよ。誰かと一緒に声を合わせて歌うのって、とっても素敵なことだ、って。でもずっと、それを教えてくれたはずの名前が俺の側にいなくて、ずっと寂しかったんだ……」

すっと、優雅な動作で、七瀬君は片膝を床についた。そして、私の手を優しく取る。
……うそ、これって……!

「君を、ずっと探してたんだ。僕と……結婚してください!」

うん、うん、と涙を流して頷く私を、七瀬君はぎゅっと抱きしめてくれた。
これからは、ずっと一緒に歌っていこう。ふたりの歌、宝物の歌を。

2020/5/20