「ハッ、ザマァねぇな」

赤ワインをグラスごと頭に叩きつけられた私は、俯いたままポタポタと滴る赤い雫を眺めていた。嗚呼、この雫のうちどれくらいの割合が血液なのだろうなどと下らないことを考えていたら、目の前にいる男——赤ワインを叩きつけた張本人だ——の炎のような瞳が鋭く私を捕らえていた。

「クソが。くだらねぇ」
「——ザンザス…」
「あぁ?」

手足に自由はない。椅子の背もたれに縛りつけられ、たとえヴァリアー幹部とはいえ簡単には外れそうにない。
ザンザスは自由のきかない私の髪を掴み、顔を無理矢理上に向けさせた。燃えるような赤が私の視線を捕らえて離さない。私にはその瞳が恐ろしいというよりも美しい法石のように見えていた。


「テメェ、昨夜は随分とお楽しみだったみてぇじゃねぇか。あ?」


昨日…というと、私には何も思い当たる節がなかった。このようにザンザスが憤怒の炎に燃える理由が。
昨日の私は、そう、スクアーロと任務をこなした。ただそれだけ。

「テメェ言ったよな?俺に忠誠を誓うと。あ?何が忠誠だ。クソくらえ。テメェは俺を裏切った。ただそれだけだ」
「ザ、ザンザス、私は………、ッ!?」

抗議の言葉を出そうと口を開いた瞬間、ザンザスの硬い掌が私の頬を打った。バシィンと、鈍い音が広い部屋の中に響き渡り、口の中に鉄の味がじんわり広がる。


「誰が喋っていいっつった?」


ザンザスは衝撃で横を向いたままの私のクイッと顎を持ち上げ、そのまま噛み付くようなキスをした。

「ンぅ……っ…い…ッ」


歯を立てられぷつっと切れた唇から血が溢れ出す。その血をベロリと舐めザンザスの唇は離れた。


「ハッ。テメェ、なんつー顔してやがる」


私は恍惚の表情を浮かべながら、目の前の赤い宝石を見つめていた。
もちろん痛くないなんてことはない。それでも、これがこの男の愛し方なのだと、私は知っているから。


「私はずいぶん貴方に愛されているのね」
「くだらねぇ。随分と余裕があるみてぇだが、今どういう状況だかわかってんのか?あぁ?!」
「——ッッ!」


私の座る椅子ごと蹴り上げられ、必然的に床に伏す体勢になる。痛くても恐くても、
それでも、ここまで私に怒りを露わにするザンザスへの愛おしさが止まらない。
上からのしかかる重厚感のある低い声に心が打ち震える。

「テメェは俺に忠誠を誓った。浅ましくも俺を愛するとまで言ってみせた。だが、昨日、テメェは俺を裏切りやがった…!!」
「っ、ザンザス、私は貴方が何のことを言っているのかまるでわからないの…!」
「シラをきるつもりかテメェ?昨日の任務、あのカス鮫と何していやがったか答えてみろ。俺が気づかないとでも思ったか?」
「昨日はそう、貴方の言う通りスクアーロと任務に出かけたわ。……っ、もしかして、あのキスのこと……」
「ようやくわかったってか?だがもう遅え」
「いいえ違うわ…!あのキスは…昨日の潜入捜査には必要だったのよ…!」

そう。昨日の潜入捜査で私たちは窮地に立たされていた。恋人同士としてパーティに潜入していた私たちは、危うくその正体がバレてしまう危険があったのだ。そのとき、私たちがとった行動は、恋人同士であることを証明するための“キス”だった。
たとえ指示になかったとしても、私たちはこれが任務を遂行するための最善の選択なのだと信じて。
もちろん先にも後もスクアーロとはそういった関係はない。ビジネスパートナーとしてドライな関係である。


「ハッ!!そうかよ。テメェは嘘が下手だな」
「ち、ちが…っ嘘なんかじゃ…!私は貴方をこんなにも愛しているのに…!」
「あぁ。俺も愛してるぜ。お前はどうしようもなく哀れで可哀想な女だな、名前」


いいえ。可哀想なのは私もあなたも。
可哀想でバカな男と、その男を愛してしまった可哀想でバカな女。
この世の全ての人に理解されなくたっていい。これが私たちの愛し方なのだから。
ザンザスは流れ出る血を貪るようにもう一度私の唇に噛み付いた。





この突き刺す痛みさえも、
貴方の愛だというのなら


(どんな愛も受け止めるわ。だって私は——)



2020/6/1
シリアス修行中です、、。