「い、和泉一織……」
「……なんですか、フルネームで。私がそんなに珍しいですか、苗字さん」

思わず、声が出てしまった。和泉は訝しげな表情でこちらを一瞥し、すぐに手元の教科書に視線を落とす。

高校生にもなって、席替えでわいわい騒ぐ無邪気さ等持ち合わせていなかったし、別に近くにいないと不安になるような友人もいない。だから目の前で行われているくじ引きにほとんど興味を持つことができず、空ばかり見ていたのがこんな形で裏目に出た。

和泉一織。
クラスメイトであり、積年のライバル、もとい目の上のたんこぶ的存在。
私たちは、試験の度に貼り出される順位表の上で、常に1位を巡って競い合ってきたのだ。

(その和泉が隣の席なんて、最ッ悪……!)
別に気にしなきゃいい、なんて強者の言い分だ。私からすれば、隣に敵がいたらめちゃくちゃ気が散るし、自分の勉強姿は見せたくないし、敵の勉強姿だって見たくない。私はナイーブなタイプなんだ。できることなら、和泉の顔も声も知らない状態で戦いたかったと思う程だ。

「……あの。何、睨んでるんですか」
「え?!い、いや何でもない!」

無意識に和泉のことを睨んでいたらしい。
私は慌てて次の授業の準備をして気を落ち着かせた。
ふう。次の授業は数Bだ。前回の中間の数Bでは、僅差で和泉に負けた。数Uは私が勝っただけに悔しかった。次こそは、数U・Bどちらも勝ちたいので、気合いをいれなくちゃ。

「苗字さんって、数Uは得意なのに数Bは苦手なんですか?数Bは私が勝つ傾向がかなり高いですよね」
「……は?」
「ああ、あと漢文。古典自体苦手なようですが、漢文の割合が高い時苗字さんは特に伸び悩んでいます」

え、何、こいつ急に話しかけてきてビビるんですけど。っていうか実はめっちゃお喋りな人なの?っていうか……

「あんた、何様なの?!」
「私は、苗字さんの傾向と対策を……」
「いやだから何であんたにそんなこと教わんなきゃいけないのって聞いてんの!」
「単なる親切心ですよ。なんなら、苗字さんの苦手な数Bも私が教えましょうか?私は授業を聞いてればだいたい理解できますから」
「あんたね、さっきから黙って聞いてりゃ……!」

順位表の上で競い続けてきた私たちだが、話すのは今日がほとんど初めてだ。なのにこいつ、何でこんなに饒舌に話してるんだ?私のことを見下しすぎでは?
……少なくとも私は、和泉のことを対等なライバルとして認識してきた。今までの勝敗だって、ほとんど五分五分だったはずだ。だというのに、こいつは勝手にアドバイスまがいのことを上から目線でペラペラ一方的に喋り、完全に自分が上の立場だと思い込んでいる、ようだ。

「はっきり言わせてもらうけど、私はあんたに上から目線でペチャクチャ言われる筋合いはない。なぜなら私は別にあんたに負けているつもりがない。次の期末も自分の方が高い点を取る」
「そうやって誇大的な所があなたの弱点ですよ、苗字さん。次の期末は私の得意な範囲が多い。恐らく、私が勝つでしょうね」
「こ、こいつ……!」
「あなた、頭はいいはずなのにもったいないですよ、そんなに熱くなりやすいと」

和泉はわざとらしく(少なくとも私にはそう見えた)ハァとため息を吐いた。いやなんでお前が呆れてるんだよ。呆れるとしたらこっちなんだよ。そもそもはお前が喧嘩売ってきたんだろ?!もう、頭来た。確かに和泉の言う通り私は熱くなりやすいのかもしれない。でももうカチンと来てしまったのだから仕方がない。売られた喧嘩は買う、そして勝つ。それが私のプライドの持ち方だ。

「……わかった。次の期末、私は私が勝つことに賭ける。万が一負けたら、あんたの言うこと何でも聞いてやるよ」
「な、何言ってるんですか?私はそんなこと一言も……」
「その代わり、私が勝ったら、私の命令一つ聞いてもらう。あんたが売った喧嘩、買ってやるよ。買い叩いてやりますとも!ええ!」

どん!と机にノートを叩きつけて、言ってやった。別に、賭けをすると言っても、やることはいつもと変わらず、粛々と試験勉強するだけだ。

「そ、そこまで言うなら……。私が勝ったら、 苗字さんが私の言うことを一つ聞いてくれる、んですよね?」
「おうよ!首洗って待っとけ!」

言ってやった。言ってやった。言ってやったぞ。
そうと決まれば、次の試験勉強は死ぬ気でやる。いつも死ぬ気でやってるが、次はそれ以上にやってやるんだから。





「うそ……でしょ……」

期末試験。なりふり構わず、周りを全く見ずに取り組んだ、はずだったのに……

「二位……」

別に、私の点数が特別低いとかそういうわけじゃない。いつも通り、概ね全ての教科で90点から95点くらいのラインだ。だから別に、私の落ち度ではない、はずだ。
そうじゃなくて。

「和泉一織、全教科100点って、どーゆーことよっ!!!」

総合点数、900点。つまり、9教科100点を成し遂げたのだ、あの男は。一応芸能科なので進学校とかと比べれば大した試験は出ていないのかもしれないが、それでも9教科100は凄まじい点数のはずだ。

「……と、いうことで、苗字さん、これでわかって頂けましたか、私の方が優秀な頭脳だということが」
「ぐぬぬぬ……」
「そんな漫画の悪役みたいな声出さないでくださいよ。そもそも、あなたが言い出した賭けなんですからね、逃げるのは、なしですよ」
「もう、わかったわよ!何でも好きなこと命令しなさいよっ!首でもなんでも持ってけぇ!」
「首なんていりませんって。…………ああ、じゃあ、一つお願いしたいことがあります」
「おうおう、何でも言えーっ!」

こうなったらもうヤケクソだ。
私にはプライドがある。今回の試験も手を抜いたつもりはないし、全力で準備をした。その上で負けたのだから、言い逃れはできないのだ。

「……では、頼みごとの内容はその場になったら言うので、明日、10時に駅前の時計の下に集合してください」
「え、明日?」
「……ええ、何か不都合でも?」
「いや、明日って、土曜だけど……」
「先約でも?」
「いやそういうわけじゃ……」
「ならいいじゃないですか。……あなたに、すぐにでも手伝ってほしいことがあるんです!べ、別に休日でなくてもいいんですけどちょうど明日は私はオフですし?あなたも空いてるならいいかなと思っただけですが?何か不都合があるならどうぞ仰ってください。べ、別に私は明日でなくてもいいんですがあなたにとっても私にとってもできるだけ早く用事を終わらすことは悪いこととも思えませんしただ互いのスケジュールに則って日程調整をしたまでですが?」

いやだから何で饒舌。
突然の展開に、頭がついていかない。混乱した脳内をなんとか整理しようともがいていたら、気づけば一日の授業が終わり、HRが終わり、掃除が終わり、放課後になっていた。

「明日、か……」

和泉のことはよくわからないが、多分とてつもない腹黒だろう。どんな意地悪な命令が下されるかわかったもんじゃない。もしかしたら、靴なめろとか駅前で裸躍りしろとか言われるのかもしれない。つら。

鞄を肩にかけ、すっかりひと気のなくなった教室を後にする。貼り出された順位表を一瞥し、早足で廊下を通り抜けた。
帰ろう。明日に備えて、今日は早く帰ろう。
そう思って、ローファーを履こうとしたその時だった。

「えーっ!いおりん、やったじゃん!」
「ちょ、しー!四葉さん、声が大きいです!」
「だってぇ〜、いしし」

校舎内から話し声が聞こえてきた。だんだん声が大きくなっていくので、近づいてきているのだろう。私は、咄嗟に隣のクラスのロッカーに身を隠す。何故かわからないけど、聞いちゃいけない話のような気がしたのだ。

「珍しーって思ったんだよなぁ。いおりんがあんなに必死に勉強してさ。いっつも偉そーに言ってんじゃん。『わざわざ試験勉強するなんて馬鹿のすることです。授業をちゃんと聞いていれば少なくとも90点は普通に取れるんです』って。俺、いおりんがいつもと違うの、わかっちゃったよー」
「……90点では、駄目なんですよ。確かに、私はどんな教科も、授業だけである程度習得できている自信がある。でも、100点じゃないと、確実に勝てないと、駄目なんですよ……」
「そうまでして、名前のことデートに誘いたかったの?うおー、やるじゃん、いおりん」
「でっ?!でーとなんかじゃないです!四葉さん、変なこと言わないでくださいよっ!」
「あはは、いおりん、顔真っ赤ー」

……は?
いや、え?!
で、でーとだって?!

いやいや落ち着け。素数を数えて落ち着こう。
いくらなんでもそんなわけがない。

理由まず一つ目。だってあの和泉一織だぞ。頭の99%をアイドル業が占めていて、残りの1%で学校生活をほぼパーフェクトにこなしているような男だ。それが、私みたいな凡凡凡人とデートなんて、そんな暇があるはずない。
理由二つ目。相手として私を選ぶわけがない。百歩譲って和泉一織でもおなごとデートをしたいという気持ちと時間的余裕があったとしよう。しかしそこで私が登場する意味がわからない。今まで話したことはほぼ0だし、私なんてつい最近まで和泉の顔も朧気だった。四葉の方がまだやり取りしたことがあるくらいだ。デートなんて思い付くような関係性ではない。
理由三つ目。そもそも、この勝負の言い出しっぺは私だ。私が和泉の命令を聞くことになるとは、和泉は完全には予測できなかったはずだ。だから、千歩譲って本当に私とデートをしたかったとしても、こんな不確定な方法をあの和泉が取るはずない。

よってデートであるはずがない。Q.E.D.証明終了。

……気づけば、和泉と四葉はとっくに帰っていたし、夕方だったはずの空は日が落ちて暗くなっていた。
あほらし。早く帰ってテストの見直しをしなくっちゃ。





駅には、約束の10分前には着きそうだ。優等生たるもの、10分前行動は当然である。というか、遅刻でもしようものなら和泉にぶん殴られそうだったので念のため早く出てきただけだが。

朝着替えるとき、はじめ当然のように制服を着ようとした。しかし、Yシャツに袖を通そうとした瞬間、頭の端であの台詞がリフレインしたのだ。
『……名前のことデートに誘いたかったの?うおー、やるじゃん、いおりん……』
『……名前のことデートに誘いたかっ……』
『……名前のことデート……』
『……デート……』
『……デ……』

「いやいやいやいやいやいやいやいや!!!!」

デートじゃない。わかってる。昨日、この天才的頭脳が、デートじゃないという答えを導きだしたのだ。
でも……

「一応、私服で行くか。制服だと目立つし。うん」

ぶつぶつ言いながら私服に着替え、家を出たというわけだ。
駅に近づき、待ち合わせ場所である時計が見えてくる。と同時に、その下には和泉がいるのも見えた。10分前行動の私よりも早く来ているとは、あやつ流石やるな。
柱に寄りかかって文庫本を読む姿は、言いたくないがとても様になっていた。ファン対策のためだろうか、深く被っている帽子もよく似合っている。(当然だが私服だ。制服で来なくてよかった)

「……苗字さん、遅いですよ。20分も待ちました」
「いやお前が早すぎんだろ」
「では、移動しましょう」

和泉は、繁華街の方に歩き出す。私は慌てて、和泉の袖を引っ張った。このまま繁華街で裸踊りなんて命じられたら笑えない。

「ちょ、ちょっとまって、とりあえず今日の目的を教えてよ。私、何がなんだか……」
「目的ですか……」
「私に何か頼みごとって言ってたじゃん」

和泉は視線をさ迷わせて、手で口元を隠す。眉を潜め、少し……少し顔が赤い気が、する。

「ちょっと和泉……」
「で、では、まずは……映画でも見ましょうか。……いや、勘違いしないでくださいよ、頼みごとは、その後ちゃんと説明します。というか、映画を見るのも頼みごとの一部なんですよ?!あなたも知っているとは思いますが一応私は芸能人ですしエンターテイメントについてわかっている必要があるんですよわかりますか?まぁ私も一応良い歳の男性なので一人で恋愛映画を見るのは憚られますよ。え、恋愛映画を私が見ちゃいけないなんて誰が決めたんですか?だいたいあなた目的を聞くとか野暮が過ぎますよ。察しなさいよ。私はあなたみたいな察しの悪い、ほんともう……熱くなりやすいタイプの……ほんと……ああもう、可愛い……」

え、こいつ、何言ってんの……?
うそでしょ、これって、これって、

「こんなことでもなきゃ、あなたを、で、デートに誘うなんて、できないでしょう……!」

頬を赤らめて、和泉が泣きそうな声で言う。
こんなの、こんなのあり得ない。いくらなんでもおかしいだろ。色々めちゃくちゃすぎる、ああもう、お前、幼稚園からやり直せ!




2020/6/8
ギャグを……書きたかった……(ダイイングメッセージ)

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