嘘つきたちの未確定世界




「ふられた」
「誰に?」
「けんまだよ」

鉄朗は特に吃驚する様子もなく、ただ私の顔を見た。かくいう私もどういう顔をすればいいか分からず、ただ曖昧な顔をしているだけだ。 涙も出ない。3年間の片想いが終わった後って、こんなもの?

「そりゃ残念。お前、ずっと片思いしてたよなぁ?」
「そうだよ」

鉄朗は、まるで私を気遣うかのように、(ない)眉尻を下げた。でも私にはわかる。これはこいつの演技であり、嘘であり、処世術だ。こいつが、心配するフリをして私の失恋を嘲笑っていることも、こいつが私の恋が叶いっこないって思っていたことも、私には、わかるのだ。

「ま、次があるって。ドンマイドンマイ」

鉄朗は次第に、ニヤニヤするのを抑えもせずに、……いや、もはやニヤニヤどころではない。クスクス笑い始めたかと思えば、気付けば腹を抱えて笑い始めていた。いや失礼すぎるだろ!

「笑いすぎだぞテメー!」
「いやーほら、悲しいことは笑顔でふっとばそう的な」
「そういうの悲しんでる人が言うやつだからね?慰める立場の人が言っちゃダメなやつだからね?」

だいたい、私がこいつにわざわざ失恋を報告したのには理由がある。もちろんそれは、こうやって失礼な態度を取られるためでは断じてないのだ。

「……あんたさ」
「ん?」
「……誰のせいだと思ってんの?」
「……俺、かなァ〜」

そう、目の前で飄々と笑顔をちらつかせる、研磨の幼馴染み、黒尾鉄朗。こいつのせいで、私は振られたのだ。こいつのせいで、私の3年も温めた恋が終わりを告げたのだ。
断罪。それが、失恋という痛みを曝してまで、こいつにわざわざ報告しに来た、ただ一つの目的である。

「かなァ〜じゃねーんだよ、かなァ〜じゃ」
「いや、もしかしたら違うかなァ〜って」
「かなァかなァうるせー!」

鉄朗は相変わらず、ニヤニヤ顔を崩さなかった。いや元々そういう顔だからしょうがないのかもしれないけど。はあ、と悩ましげにため息を吐いたって、どうせ鉄朗は『じゃあ俺が慰めてあげよっか?』とかふざけたことを抜かすだけだろう。だいたい、自覚があるのがまた腹立たしい。

「研磨になんて言われたと思う?」
「……さあ」
「『名前はいつもクロといるし、なんだかわいわい騒いでて仲よさげだからてっきり付き合っているのかと思ってた。……お似合いだと、思うけど』」
「あー、アハハ、名前ちゃんって研磨のモノマネ上手いね」
「冗談言ってんじゃねーんだぞ?」

腹が立って鉄朗のすぐ横の本棚をガン!と蹴ったけど無視された。

「あー、いや、本当、悪気はなかったよ。名前サンが柄にもなく頑張っちゃってるからちょっとからかってやろうと……」
「悪気のかたまりじゃねーか!」

ああひどい!そんなことを悲劇的な様子で言いながら、流れてもいない涙を隠すように右手を顔の前にそえる。すると鉄朗は流石に焦ったのか、慌てたように私の顔を覗き込んだ。近づいてくる端正な顔立ちは、一般ピーポー女子には効果覿面かもしれないが、研磨に恋しそして失恋直後の私には効かないのだ。

「な、泣かないでよぉ名前ちゃん」
「……泣いてねーし」
「泣いてねーのかよ。紛らわしいな、心配したでしょ。むしろ泣いてよ」
「泣いてよってひどいな」
「心配し損しちゃったじゃねぇの」
「なに、泣いてないと心配してくれないわけ?!」
「そういうわけじゃないんだけどさ〜」

泣けない。泣けないよ。全然悲しくなかった。ただ今まで研磨のことを考えて過ごしてきた時間を、これからどう使うかを考えると気が遠くなりそうだった。高校3年間、ほとんど研磨を思うことに費やしてたんだな、私。そう思うと、少しだけ自分を好きになれる、気がした。

「あーもー報告終わり!振られましたーってことで一件落着!……本当はテメーを晒し首にしたいところだけど鉄朗が死んだら研磨が悲しむから研磨のために我慢する」
「ウッ、そう聞くとちょっと可哀想。プププ」
「可哀相で結構!……鉄朗だって、今日からからかう相手がいなくなるから淋しいんじゃないの?」
「いや、お前の失恋ネタで当分いけるね」
「……やなやつ……!」

ほんとやなやつ!そう改めて思ったのは、私が鉄朗との話を切り上げて立ち上がったとたん、これ見よがしに「研磨の小さいときの写真みよーっと」と言って手帳を開きはじめた時だ(なんで幼馴染みの小さいときの写真持ってんだよ、キモいな)。反射的に鉄朗の方に行き、一緒に覗き込もうとすると、手帳には写真なんて挟まっておらず、鉄朗を見るとニヤニヤして舌を出していた。……こいつ、ムカつくなあ、ほんと……!

「もう!からかうなら傷心が癒えてからにしてよね!私もう帰るから!」
「名前、ちょっと待って」
「……なによー」

呼び止められて足を止めてる暇なんて私にはないの!これから研磨がいる教室に……あ、私、もう振られたんだっけ。

「まだ何かあるわけ?」
「いや、謝らねーとな。うん。ごめん」
「今さら謝られてもねー」
「研磨のことじゃなくてさ」
「違うのかよ」

とにかくこの部室からさっさと出たかった。部室中に広がるバレーボールの気配は、私の胃を一層重くした。

「さっき、嘘ついちゃったんだよね」
「……は?何を?なぜ?」
「別に、名前をからかってたわけじゃないんだよ」
「はい?」

なら、本気で邪魔しようとしてたわけだ。よっぽど私の幸せが気に入らなかったのか、もしくは、私が幸せになることはないと、知っていたか、だ。

「じゃあ、なんなの」
「好きだから」
「……はい?」

耳を、疑った。不自然なほどの沈黙が部室に漂う。鉄カはいつもみたいにニヤニヤしてるけど、どこか真剣なまなざしで。

「……は、い?」
「だから、好きだからだって、言ってるの」
「だ、誰を?」
「……お前さぁ、バカなの?……名前に決まってるでしょ」
「……え……ええ……?」

鉄朗は当然みたいな感じで、言うから、私はますます混乱するばかりだ。

「別に私は鉄朗のことは好きじゃないんだよ?」
「わかってるよ」
「私が好きなのは研磨なんだよ?!」
「知ってるってぇの」
「じゃあ何でそんなこと言うんだよ……!」
「何でもクソもないでしょ。名前、嬉しいくせに」
「う、嬉しくないし!」

小さな声で言い合っていると、いつの間にか、二人だけだったはずの部室には、何人かの部員が戻ってきていた。その中には、研磨もいた。いつものように、イヤホンを差してゲームに没頭している。

「……あのさぁ」

研磨がいることで気まずく思ったのか、鉄朗はかなりボリュームを落として言った。

「別に、重く捉えなくていいから」
「……私はどうすればいいわけ?」
「どうもしなくていいだろうね」
「……なんなのよー……」

一瞬の沈黙が降りたあと、研磨が突然(多分意味もなく)、君たち今日も仲いいねえと言った。

「……元気づけてくれたの?」
「……は?」
「そ、そうか。元気づけてくれたんだ、よ、ね?うん、確かにまあ、まぎれたよ。ありがとう」

そう思いでもしないと、あたまがぐちゃぐちゃになってしまいそうなのだ。

「……あーもうそれでいいよ」
「じゃあ、なんなのよー……」
「ばーか、あーほ、失恋女」
「あんたねー!」

さっきのことなんてつゆにも気にしてない様子でゲームに集中する研磨を見ても、ほとんど悲しくならなかった。終わったのだ。私の3年間は。

「本当だからな」

私が部室から出る直前、拗ねたような鉄朗の声でそう聞こえた。

「お前なんか元気づけてどうすんだよ」

早く、早く人目のつかないところに行こう。悲しいときに出る涙と嬉しいときにでる涙が同じものだなんて。ほんとに、ムカつく。 私の3年間を帰せ、このやろう。

2020/7/12

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