吹き抜ける風が、心地良くて。教室の窓枠に頬杖をついて、オレンジの屈折する雲が浮かぶ方に目を細めていた。夕日というものはどうして、暮れゆく過程であるにも関わらず、あんなにも赤赤と輝くのだろう。まるで、最期に燃ゆる命の灯火のようだ。自分でも、なぜこんな場所でこんな下らない哲学を巡らせているのかはわからない。時間がただただ過ぎるのを待っているみたいだった。
昼間の喧騒からは想像もつかないようなこの静寂だけが、私の心を癒してくれる。
誰も居ない校庭。誰も居ない体育館。誰も居ない、教室。——の、はずだった。

「こんなとこでひとりで何やってるんですかね、名前さんは」

突然発せられた音に、反射で身体が強張る。しかし、声の主がわかると、あんなにもモヤがかっていた心に、じんわりと安堵が広がった。

「……なんで、あんたがここにいるのよ、黒尾」
「はい、それ俺のセリフ〜。俺はただ忘れ物取りに来ただけですぅ〜」
「じゃあさっさと忘れ物取って帰ってください〜。さようならお元気で〜!」
「うざ〜」
「はいそれこっちのセリフですぅ〜っ」

いつも通りのノリが、今はやけに温かい。くすりと笑って黒尾を見上げると、頭の中で思い浮かべたよりもずっと、真剣な顔が私を見ていた。

「帰んねーの」
「別に、先に帰ればいいじゃない」
「そーゆーわけにはいかないでしょ」
「なんでよ」
「……名前が寂しそうにしてるから?」
「は?バカなの?」
「バカじゃないですぅ。なぁ、なんでそんなに寂しそうなのよ、名前ちゃんは」

優しくも鋭い瞳が、私を捉えて離さない。

「……なんでもない」
「おーおー、そんなに涙いっぱい溜めながら何でもないときましたか」
「泣いてない」
「それはさすがに無理があるんじゃねぇの?名前さんよ」
「泣いてない、もん…」

言葉と反して霞んでいく視界の向こう、黒尾は焦ったように、「まてまて、ごめん、俺が悪かったって」と、大きくて少しガサついた掌で私の頭を撫でた。それに安心したのか、名前はポツリポツリと言葉をこぼし始めた。

「……あのね、くろお、っわたしね、」
「うん」
「まただめだったぁ、」
「そっか」
「でもね、まだやっぱり諦められなくて、きっとわたしはまだ、先輩が好きなの、」
「そっか」

俯いて涙をボロボロとこぼす名前の頭を不器用な手つきで撫でながら、黒尾は淡々と、それでいて優しい相槌を打ちながら聞いてくれる。

「なんでなんだろーね、わたしはいっつも、なんでこんなにうまくいかないんだろーね、」

無理して笑う名前の笑顔がいたたまれなくて。黒尾は、手を伸ばして名前を腕の中にすっぽりと包み込んだ。

「名前は悪くねーよ。そいつの見る目がないだけだって、俺が何度でも言ってやる」

ああ、このままじゃブラウスがシミになってしまう、なんて呑気なことを考えながら、されるがままに黒尾に頭を預けた。黒尾の大きな手は、いつも私を安心させてくれて、いつも私を泣き虫にさせてしまう。

「くろおは、さ」
「ん」
「なんでいつも、こんな、優しくしてくれるの」

いつのまにか、校庭を照らしていたオレンジは消えていて、まるで世界に2人だけが取り残されてしまったみたいに、静かな藍色に包まれていた。

「さあね」

お前は一生、わかんないままでいいよ。


ばかなきみはを知らない



2020/8/10

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