白昼夢だけが私を救う



曇天の新宿。華やかな繁華街のイメージとはかけ離れた、町の外れにある小さなカフェで、私と折原臨也は向かい合っていた。

「しつこいねぇ、君も。暇なわけ?こんなところまで押しかけて来てさ」
「しつこくて結構。何を言われたって私、話を聞いてくれるまで今日は帰らないから」

そう、絶対に今日こそはこのまま帰るわけにはいかないのだ。なんとしても引き下がるわけにはいかない。整った顔立ちの中でもひときわ目を引く鮮やかな真紅が、面倒くさいと言わんばかりに歪む。その瞳に負けじとキッと睨みつけると、男は痺れを切らしたように大きな溜息をついた。

「あぁもう、しょうがないなぁ……そんなに言うなら話くらいは聞いてあげるよ。君はラッキーだ。今日の俺は機嫌が良いからね、特別だよ?」

感謝してよね、としたり顔をする臨也は、ブラックコーヒーをひと口飲むと、両手を軽く上げて降参のポーズをして見せた。

「えっ!ほ、本当っ!?」
「嘘なんて付く意味あると思うの?で、何の用?」
「あのね、もう静雄には近付かないで欲しいの!」
「はぁ、またその話?もう飽きたんだけど。シズちゃんも君みたいなしつこい女と付き合ってて疲れないのか至極疑問だよ。あぁ、化け物だから疲れるなんて概念が存在しないのか!アハハ」

口を開けば飛び出る嫌味に怒りが込み上げる。こんな奴のせいで、臨也のせいで静雄が傷ついていくのを見ているのが辛かった。静雄はいつだって優しくて、世界を、平和を愛しているのに。臨也が静雄に近づくたびに、その世界は脆く弱いことを思い出し、いとも簡単に壊れてしまいそうになる。静雄の愛する世界を護りたい、なんて何もできないたかが一般人の私が思うのはおこがましいかもしれないが、それでも彼氏のためにできる事はなんでもしてあげたかった。

「笑わないで聞いてよっ!本当にお願いなの!」
「ハ、わざわざ新宿まで来て、俺のいる店まで見つけて押しかけてくるなんてさぁ。しかもそこまでしてするお願いがそれって!笑わずにはいられないでしょ、ハハッ!あぁ可笑しい」
「臨也、お願い!!私何でもするから!!」


はた、と目が合う。さっきまであんなに高らかに笑っていた臨也が、くすりともせずにまっすぐこちらを見据えていた。私は何を口走ってしまったのだ、真っ白な頭でどんなに後悔しても後の祭りだ。

「言ったね?」

サーッと血の気が引いていくのが自分でもわかる。なにか、なにか言い返さなければ。ぐちゃぐちゃの頭をなんとか無理やり回転させようとして、ジュワッと脳が泡立つ。折原臨也、情報屋。裏社会にも通じる池袋の暗躍。命はないよって、未だ次の言葉を発そうとしない薄い唇が、そう言ったような気がした。

「、い……今のは忘れてっ!」
「あのさぁ、録音。してたって言ったらどうする?今の会話、ぜーんぶ」
「ぁ、」
「アハっその顔良いねえ!やっぱり今日の俺はついてるみたいだ!」

臨也はケタケタと笑ってカップのコーヒーを飲み干した。紙ナプキンを丸めたゴミをソーサーの上、コーヒーカップの隙間にねじ込んでテーブルの隅に追いやる。そして、臨也の一挙一度を執拗に追っていた私と、ここでもう一度目が合う。

「ねえ、名前ちゃん。怖いんだ?」
「……こわくなんか、ない……っ」
「ふうん。あっそ、まぁいいよ。強がりも嫌いじゃない」
「……」
「言ったでしょ?今日の俺は機嫌が良い。なんせ今し方、憎きシズちゃんの女が俺に"何でもする"なんて言ってきたんだからそりゃあもう!」

こんな男に、なんでどうして、弱みを握らせてしまったのだろう。バレバレな強がりなんてさっさとやめてしまえばいいのに、今下手に出たら私のお願いは無かったことにされてしまうような気がして、ここで引き下がる訳にはいかなかった。

「私は、私は何をすればいいの。殺されるの、それとも誰かを、殺させるの」
「ははっ、まあまあ落ち着いてよ。俺はそんな野蛮な男じゃない」

どの口が言うか、などと言えた空気ではない。至って冷静なふりをしながら、「そう」なんて強がった返事をした。殺される事はないとわかってもなお緩むことのない緊張感が、心臓をキリキリと締め付け続けている。一体どんな命令が下されるのか、それを早く聞いてしまえば心が軽くなるのだろうか。聞いたって聞かなくたって結果は同じなのだから、これはまさしく私を生殺しする為の時間だった。

「名前ちゃんさあ。暇なら今からコーヒーでも飲んでいけば?奢ってあげるよ」
「なッ!……は、話をはぐらかさないでよ…っ」
「だからぁ、そうじゃなくて。ここでコーヒーを一杯飲んでいくっていうのが、君への命令。どう?簡単でしょ?俺とゆっくりお喋りでもしようよ。そしたらさっきの君のお願いだけど、池袋には今日は行くのやめてあげる。オーケー?」
「……へ?」
「まぁ聞いたところで君に拒否権はないんだけどね」
「そ、それだけ……?そんなことでいいの……?」
「うん!そうそう、それだけ。名前ちゃんってば、俺をどんな人間だと思ってたのさ!楽しくお喋りしようなんて、可愛いお願いだと思わない?」
「……うーん、本当にそれだけなら……私なんかで良ければ」
「よし。じゃあ、交渉成立だ」

満足そうに目を三日月型に細めたまま、臨也はメニューを手渡してきた。遠慮しないで好きなもの頼みなよ、と添えられた言葉にもう刺はなく、先程の彼の可愛いお願いが嘘偽りなくただの可愛いお願いであったのだと、飲み込んでしまうのには十分だった。お言葉に甘えてアイスカフェラテを臨也のブラックと一緒に注文する。張り詰めていた空気などどこにも存在しなかったかのように、臨也は楽しそうにデザートのケーキをつつき始めた。からかわれた、のだ。臨也の暇つぶしに付き合わされた怒りと恥じらいと、何事もなく済んだことへの安堵が同時に湧き上がった。

「カフェオレ、ごちそうさま。……じゃなくて!私のこと、からかったのね?」
「はは、からかったつもりはないよ。ただ楽しませてはもらってるけどね」
「ほんっと失礼なヤツ!」
「おー怖い怖い。そんな怒んないでよ」
「……あのさ。どうして私とのお茶なんかでお願い事聞いてくれるの?」
「え?うーん、そうだな。名前ちゃんのことが気に入ったから、とでも言っておこうかな」
「は、はぁ?!なによ、それっ」

一気に肩の力が抜ける。もう、なによそれ。なんて単純なこと。臨也にもこんなに人間らしいところがあるのか、と知ってしまったら、悔しいことになんだか憎たらしい臨也のことも可愛く思えてきてしまう。本当に本当に悔しいけど!
静雄に後ろめたさを感じないと言えば嘘になるが、たったこれくらいのことで静雄の世界が護られるのならば安いものだし、臨也が私を気に入っているというのは正直悪い気はしない。この短いティータイムくらいは、楽しんだってバチはあたらない、かな?
店員さんがふたつのカップを乗せた小さなトレイを運んでくる。ありがとう、と受け取ったカフェオレにストローを挿して、ひと口、ふた口と飲み込んでみると、冷たく甘い液体が喉だけでなく枯渇していた身体を充分に潤した。ああ、美味しい。

「ひとりでも悪くないけど、君と飲むコーヒーはまた格別だね」
「もう、さっきからなんなのよそれ」
「あれー?おかしいなあ、褒めてるつもりなんだけど」
「ふふ、ねぇ臨也。今日は池袋行くのやめてあげる、なんて言ってたけどさ、明日も明後日ももう喧嘩はやめてよねっ」
「ああ、いいよ」
「へっ?ほ、ほんとに?」

自分で聞いておきながら、思いもよらぬ即答に驚く。臨也がここまで話がわかる奴だなんて!今までウザイとか性格悪いとか人でなしとか狂ってるとか人ラブ野郎とか、散々悪口言ってごめんね!と心の中で謝る私に、臨也は優しく微笑んだ。

「だって、明日も明後日も、俺にお願いしに来てくれるんでしょ、名前?」




2020/8/23

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