太陽だって風邪を引く




ピンポーン

ピンポーン

鳴らせども鳴らせども返事のないインターホンが虚しく響く。家主は中にいるはずなのに、どうしてか私はすでにドアの前で5分も立ち尽くしている。そろそろお隣さんに不審な目で見られてもおかしくないから、お願いだから、早く出て来て。

光太郎から『かぜひいた』とひとことだけ、急にLINEが来たのが今日の朝。へー馬鹿でも風邪引くの。なんて、とんでもなく適当な返事を打ったことを覚えている。どうせ暇して部屋で見飽きたDVDでも見ているのだろうから、学校が終わったら適当にポカリでも買って行ってやるか。夕方5時に授業が終わってレポートを提出して、コンビニに寄って、光太郎の住むアパートまでまったり歩いて来て、今に至る。

ピンポーン

本日n回目のインターホンに流石に心も折れてきた。もう勘弁して、と半ばヤケクソでドアノブを握ると、まさか。まさかの、ドアが開いたのだ。

「こ、光太郎……?」

ギィ、と音を立てて中に入るが、返事はない。何か嫌な予感がして、恐る恐るワンルームの電気をつけると、そこには衝撃の光景が広がっていた。

「なっ、何これ!部屋ぐちゃぐちゃじゃない!」

あたり一面に、服、ゴミ、プリント用紙。足の踏み場もないくらい荒れたこの部屋は、果たして本当に彼の部屋なのだろうか。焦ってドアに書かれた部屋番号をもう一度見たが、間違いなく木兎光太郎その人の部屋である。

「ん〜〜〜〜」
「きゃっ!!!?!!?!」

なになになになになに?!!唸り声みたいなの聞こえた!?!バクバクとうるさい心臓をギュッと押さえつけて、恐る恐る声のした方を振り返ると、そこには、

「え?!こ、光太郎!?」
「んーー……」

床に広がる毛布の山に埋もれていたのは、ぐったりと行き倒れた光太郎だった。

「光太郎!!ちょっと!!」

こんなとこで何やってんの!と身体を起こすと、光太郎はいつも大きくてぱっちりとした目を少し開いて、ぼうっと部屋を見回してから私の姿を確認するとちょっとだけ嬉しそうに名前、と呟いた。……キュン。いやキュンとしている場合じゃない。少し触れただけでもわかるくらい、彼の身体はひどく熱かったのだから。

「ねぇ、すっごい熱だよ……!こんなとこで何やってんの!」
「わかんない……気付いたら名前がいた」

キュンとしてる場合じゃねえー!!とりあえずなんとかベッドまで運んで寝かしつける。なんでこんなに身体大きいのよなんて、理不尽なことを言うと、光太郎はひどくかすれた声でへへ、と笑った。

「もう……!どうしてこんなことになるまで誰も呼ばなかったのよ!」
「……だから朝、名前を呼んだ」
「…………う。」

まさか……この光太郎に論破されるときが来るとは……!

「ご、ごめん……言い返す言葉もございません……」
「おまえ〜……忘れてただろ〜。……でも、来てくれて、うれしかった」

ニカッと笑う光太郎の顔は、いつもの太陽みたいな眩しさはない。いや、私には十分眩しすぎるくらいだけれど。
起きてるだけで辛そうな彼のおでこに冷えピタを貼る。突然の冷たい感触に気持ち良さそうに目を細めて、このまま眠りについてしまいそう……というところで、ぐぅ〜〜〜〜、と大きな音が鳴り響いた。

「……はら、へったぁ……」
「あははは、そんなに大きな音でお腹が鳴るなんて、身体が回復し始めてる証拠だよ」
「……そう、なのか。よかった」
「キッチン借りてもいい?」
「え、もしかして、なんか作ってくれんのか……?」
「簡単なものしかできないけど……」
「うれしい」

なんて嬉しそうな顔をするんだ……!それだけでこんなにやる気になれてしまう私を、誰か単純バカだと罵ってください。
冷蔵庫を勝手に開けさせてもらうと、本当に何も入っていなかった。冷蔵庫何も入ってないぞって言ってた。確かに言ってたけど、こんなに何も入ってないなんてことある?下の段に納豆2パック。ミネラルウォーター。以上。買って来たポカリを上の段に入れてみると、まるでこのために誂えた冷蔵庫みたいになってしまった。広々とした贅沢空間に、2リットルのペットボトルが虚しくゴロンと転がった。
何か作るなどと偉そうなことを言ったもののはてさてどうしたものかとキッチン周りを物色していると、幸いにして戸棚から米を発見。よかった……!米すらなかったら流石に詰んでいた。早速ボウルで米を研いで片手鍋に入れる。風邪のときのご飯と言ったら「アレ」でしょ!
鍋に水を注ぎ入れて中火にかける。表面が白く煮立って来たら、しゃもじで鍋底を優しく混ぜ合わせて……鍋が沸いたら、すぐに弱火。それから、ほんの少しすき間をあけて蓋をして。

「……よし。あとは煮るだけ、っと!」

グツグツとお腹のすく音を片耳で聴きながら、光太郎のいる方をチラリと見ると、安らかな寝息をたてて眠っているのが見えた。長い睫毛が頬につくったやわらかな影が、ふわりふわりと揺れている。ここに着いたときに見た彼からは想像もできないくらいの、気持ち良さそうな寝顔にホッと胸を撫で下ろした。

ねえ、光太郎。あなたは太陽のようにひとりきりで光り輝いて、ひとりきりで弱さを抱え込んで、また私を置いて行ってしまうの。誰よりも明るく照らす私の太陽は、その分だけ誰よりも陰りやすいことを、私は知っている。ひとりで抱えてしまわないよう、陰ってもいいんだよ、たまに沈んでもいいんだよって、包み込んであげられる優しい夜で在りたい。……なんて。そう願ってしまうのは傲慢なのかな。
いつもあなたに救われてばかりの無力な私だけれど、せめて今だけはどうか、身を任せてゆっくりと眠っていて。



「……名前……?」

私の視線を感じたのか、煮えたお米の匂いに気づいたのか。光太郎は重そうな目蓋をゆっくりと開けた。少し熱が下がったのだろうか、顔色がほんのり良くなった気がする。

「光太郎、まだ寝ててもいいのに」
「いい匂い、する」
「ふふ、もう少しでできるよ」

お鍋も沸いた。お米の硬さも完璧!火を止めて、塩を少しだけ加える。少し味気ない、かな?……と思ったら、キッチンの端の引き出しに鰹節を発見。ふたつまみ、中央に添える。

「……うん!シンプルお粥、完成。我ながらおいしそうじゃんっ」

できたよーって声をかけてゆっくり身体を起こしてあげると、光太郎が明らかにワクワクし始めたからだんだん申し訳なくなってきた。あの、ごめん、そんな楽しいもんじゃなくて。
そしてその不安は見事に的中してしまった。テーブルの上のお粥を見た途端、後ろ姿でもわかる程だったワクワクキラキラが姿を消したのだった。

「か、唐揚げは、ないのか……?」
「そんなもんないわ!!」
「(しょぼーん……)」
「胃に優しいもの食べなきゃいけないのに、唐揚げなんてそんなバリッバリの揚げ物、完全アウトですから!!」

やっぱ光太郎はバカだ。行き倒れてたくせに唐揚げ食べたいなんて言う奴があるか。いや光太郎がお粥を喜ばないなんて、ちょっと考えたらわかることなんだけれど。でも、どんなにしょぼーんとしたって、どんなにその顔が可愛くたって、唐揚げなんて凶器を絶対に食べさせるわけにはいかないのだ。

「はい、口開けて。あーん」
「!!」
「ほら、あーーんして」
「が、ガキじゃねーんだぞ……!」
「そんなこと言っちゃって〜嬉しいくせにー」
「じ、じじ、自分で食えるっ!」

赤くなる光太郎(可愛い)の顔にスプーンをぐいぐい近づけると、躱しきれないと悟ったのか、渋々食べてくれた。

「……!!」
「お味は如何?」
「う、うまい……!!」
「ふふ、でしょ〜っ!光太郎のためにこの私が腕によりをかけたんだから」

しょんぼりしてた顔が一気に明るくなって、思わず私も口角が緩む。

「名前、ありがとう」
「どーいたしまして」
「えっと……その、名前、あのさ……」
「?」
「……えーっとさ、あー……あの、」

光太郎はなにやら言い辛そうにひとりでずっと、あーとかうーとか言いながら頭を悩ませている。……あれ、もしかして私、なにかまずいことでもしたかな、

「ど、どうしたの……?」
「その……お、お粥」
「お粥……?あ、しょ、しょっぱかった……?」
「!じゃなくて、その……っ、名前に、もうひと口、食べ……させて……ほしい、ん……だけど………………」
「!」

どんどん小さくなる語尾と見る見るうちに赤くなる顔。な、なんだこの生き物は……!かわいすぎる……反則だ……!

「……だ、ダメか……?ダメなら、」
「良いに決まってる!!!」

またそうやってあからさまに嬉しそうな顔しやがって!あーもう好き好き!かわいい!大好き!!
さっきよりも大めにスプーンですくって口に運んであげると、光太郎はがっつくようにかぶりついて、まるで唐揚げでも食べてるかのように豪快に咀嚼しながら、

「……やっぱ俺には名前が居なきゃダメだな!」

なんて。
きらきらと笑いながら、不器用な太陽は今日も私を救ってしまうのだ。


2020/10/4

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