お酒を飲める歳にはなったが、宴会というものにはどうも慣れない。年に数回行われるカルデアの宴会は、今回も大いに盛り上がっていた。レオニダスは泣きながら熱く語り始め、英雄王と征服王は樽酒を囲んで豪勢な酒飲み勝負を始めてしまった。エリちゃんとネロは特設ステージで破壊的な歌を繰り広げている。教授はバーテンの格好で怪しげなカクテルを勧めて回っているし、以蔵さんはブツクサ文句を言いながら龍馬さんとお竜さんの横で焼酎を飲み、副長はつまみの沢庵ばかりを食べている。何もかも、いつも通りの光景だ。そう、私の席位置を除いては。

「マスター!ちゃんと呑んでるか?!」
「いえいえ。マスターは私と一緒にお塩をつまみにこの日本酒をですね……」

誰だ。一体誰なんだ。
荊軻と軍神様の間に私の席を置いたのは……!!
おそらくくじ引きとかそういうもので決まったのだろうから誰のせいでもない。そんなことはわかってるけど、わかってるからやるせない。飲んでも飲んでも注がれてしまう酒を断りきれず、なんとか調整しながら飲んでいたつもりでいたが、量が量だ。さすがに、頭がぼーっとしてきた気が、する。

「あの、すみません……わたし、おみず、のんできます」

両隣のふたりに声をかけて席を立った、瞬間。
……あ、やば。ぐらりと回る視界、自分の体重を上手く支えられない脚。いきなり酔いが回ってしまったらしく、思考が身体に追いつかない。宴会場から厨房を繋ぐ廊下になんとか出たところで、身体のバランスを保てなくなって、ああ、これは、転ぶ。ぎゅっと目を瞑って、硬い床にぶつかる覚悟を決める。……が、いつまで経ってもその衝撃はやって来なかった。

「あれま、こんなに酔っちゃって。マスターちゃん、ご無事?」

恐る恐る顔を上げると、私を正面から受け止め支えてくれていたのは、

「……は、はじめ、さん?」
「はいはい。貴方のサーヴァント、斎藤一さんですよ」

へらり、と笑ったその声色は、どことなくいつもよりも明るい。もしかして、はじめさんも少し酔ってるのかな?……って、いや、そうじゃなくてっ!

「ご、ごごっごめんなさい……!」
「いーのいーの。それよりマスターちゃんにこんなに飲ませたの誰よ?まったく、悪い大人だねぇ」

そう言いながらゆっくりと立たせてくれた。支えてもらってようやく歩ける身体。それほどまでに酔っていることが、急に恥ずかしくなる。

「うぅ……は、恥ずかしいところ、見せちゃって、ごめん、なさい……」
「いいって、僕のことは気にしないの。お水でしょ?なら僕も厨房まで着いてきますよ。今のマスターちゃん、色々危ういし」

そんな様子じゃお水飲むのに何時間かかるんだか、と茶化されたが、返す言葉が見つからない。きっと水も飲めずに厨房の床で寝ちゃって、明日の朝エミヤに怒られるのだ。うん、今日の私ならやりかねない。

「はーい、目的地到着っと」

パチン、と電気をつける。厨房はしんと静まりかえっていて、宴会の喧騒はほとんど聞こえない。廊下を渡ればすぐそこにあるはずなのに、なぜか遠いところへ来てしまったみたいだった。この場所だけ、時が止まってしまったような。世界から私たちふたりだけを、切り取ってしまったような。

「ま、そこ座って待っててよ。お水持ってきてあげるから」

ぼーっとした頭で「はい」と答えるが、彼には届かない。ああ、だめだ、やっぱり酔いすぎた。はじめさんが食器棚から取り出したグラスを左手に持って、右手で蛇口を捻る。そんな何気ない動作にさえ、魅入ってしまう程には。

「はい、どーぞ」
「あ、ありがとう、ございます」
「ひとりで飲める?なんてね」

ひとりじゃ飲めません。って言ったら、どうなるんだろう。私がこんなことを考えてしまうのも全部、酒のせいだ。水をごくごくと一気に飲み干して頭の中が少しクリアになると、一瞬前の自らの思考にドン引きした。いや、どうなるんだろって、どうもなんないでしょ。はじめさんが私を茶化すのなんて、いつものことなんだから。

「焦らずゆっくりとお飲みなさいよ。おかわりならいくらでも」

いたずらに笑うはじめさんは、熱を逃がすように首元を緩めた。シャツを腕まくりして、パタパタと手で顔を扇いでいる。そして、おかわりで注いでもらった水は「ごめん、やっぱり僕にもちょうだい」という言葉と共に、ひょいと奪い取られてしまった。そのまま一気に飲み干して、もう一度グラスに水を注いで「ごめんね」と私に手渡した。

「あーあ、格好つけたかったんだけど。実はさ僕も、まあまあ酔ってんのよ」
「そ、そうだったんですか?!そうとは知らず、ご迷惑をおかけしちゃって、すみません……」
「いやいや、若い子はそんなこと気にしないでいーの。僕はマスターちゃんがご無事ならそれで何よりですよ」

へらへらしたその立ち姿がやけに逞しく感じるのは何故だろう。ふと、いつも着ているジャケットがないことに気づく。鍛え上げられた身体に、彼が“男の人”なのだと思い知らされる。一気に顔に熱が集まるのを感じて、私は咄嗟に、話題を探す。

「あっ!えっと、そういえば……はじめさんは酔うと人を斬りたくなるとかなんとか、噂を聞いたことがあるんですが……」
「あーー。いつの話よそれ……。あのねぇ、第三再臨の姿だったら話は変わるかもしれないけど。僕ももう大人だし、そんな若気の至りみたいなことしないって」

天井を見ていたはじめさんの瞳が、静かに私を捉えた。シンクにもたれ掛かっていた腰を上げて、一歩ずつ、私との距離を縮めていく。

「人を斬ったりはもうしないけどさ」
「?」
「だからって、安心しきるのは感心しないなぁ」
「……は、」
「あのねマスターちゃん。そんな簡単に男の人と二人きりになっちゃダメですよ」
「はじめさ、」

気づけば、はじめさんの顔が目の前にあって。私の背中は壁にぴったりとくっついていた。顔の横に置かれた手が、私の逃げ道を塞いでいる。

「ねぇ、名前ちゃん」
「……っ」

肩を押す両手にぐっと力を入れてみるが、そんなことで押し返せるわけもない。

「全然、本気で押してないでしょ」
「え……?」
「この手。あんま力入れてないよね。名前ちゃんさ、ちゃんと嫌がってくれないと、俺、本気にしちゃうけど」
「、そんなこと……」
「それとも、もしかして、ちょっと期待してた?」

顔を無理矢理上に向かせられる。吐息がかかるほどの距離に、息を呑む。獲物を狩るハイエナのような、飢えた狼のような、ぎらぎらした瞳に射抜かれて、心臓の奥がきゅ、と鳴る。

「名前ちゃんは、どうしてほしい?」

私はーー
そう、私は、あなたの気持ちを知りたい。ただ、それだけ。

「は……はじめさんは、」
「うん?」
「……はじめさんは、どうしたい、ですか?」

私の言葉が意外だったのか、はじめさんは目を丸く見開いて、呆れ顔で「はーーーッ」と大きくため息をついた。

「あああもーーっクソ!名前ちゃんってば、ほんっと、ムカつくくらい良い女!」

そう言うと、くるりと後ろを向いて頭を抱えながら唸り始めてしまった。突然解放された私は、その場にへなへなと座り込む。未だバクバクとうるさい心臓を落ち着かせようと、小さく深呼吸をする。

「はあ……俺の完敗だわ」
「え、?」
「そうだよな、こんないい女、酔ってるときに口説こうとした時点で俺の負けだよなぁ」

はじめさんは、ひとりで何かを納得したように呟いた。私の方へ視線を向けると「怖がらせて悪かった」と微笑んで、そのまま背を向けて歩き出した。厨房から廊下へ差し掛かる瞬間。私の方を振り返った彼は、それはそれは真剣な表情で。

「次はしらふの時に正々堂々口説きに行くから、覚悟しといてよ」

じわ、じわ、と。心臓を喰むこの感情を、何と名付けようか。たまには宴会も悪くないかも、なんて。グラスに残った水を、ひとり飲み干しながら。




宵を彷徨う獣










2020/12/20
翌日、グラスを片し忘れて結局エミヤに怒られた

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