何もない休日の午前中、二人して図書館に行くのが習慣になっていた。警察署の裏手に入ると見えてくる図書館は、立地が良い割に静かで、最近の密かなお気に入りだ。

「あー、絵本コーナーだ。懐かしいなぁ」

いつもは見ない一角を覗いてみたのは、ほんの好奇心だった。そこには大人用の書庫と比べて半分ほどの背丈の本棚が、まるで整列している子どもみたいに可愛く並んでいる。
なんとなしに眺めていると、懐かしい絵本や、まだ見ぬ児童書等、沢山の本が雑然と並べられていて、うきうきと心が騒ぐのが自分でもわかった。

「……あ!」

ふと目にとまったのは、絵本のコーナーだった。色とりどり背表紙の中に、目を惹くブルーが輝いているのが見えたのだ。

「人魚姫!懐かしいなぁ……!子どものころ好きだったなぁ」

思わず微笑みながら、専門書コーナーをうろついていた幻太郎の元へ駆け寄る。何故か医学書を熱心に立ち読みしていた幻太郎が顔をあげ、私に笑い掛けた。

「おや。何か気に入るものを見つけましたか」
「あ、うん。子どもの頃大好きで……懐かしくて持ってきちゃっただけなんだけど」
「人魚姫、ですか。随分酔狂な幼少期だったのですねぇ。見てくれだけの男に惚れて、才能を投げ出してまで近づいたのに、最終的にはあぶくになってしまう物語を好き、だなんて。小生、貴女を見直しましたよ」
「えぇっ?!ま、待ってよ、私が好きだったのはアニメの方!ハッピーエンドの方だよっ!」

焦って否定すると、幻太郎は「だろうと思いました」と言ってニヤッと笑い、私の頭をポンと軽く撫でた。うぅ……意地悪……!

「げ、幻太郎はお目当ての本は見つかったの?」
「ええ、一応は」

(……ああ、本当は。)ゆったりと歩く幻太郎の背中を追いかけながら、心のなかで一人ごちる。

本当は。
私は昔から、人魚姫の元の物語の方が好きだった。美貌にも才能にも恵まれた人魚が、全てを、命さえも投げ出してまで一緒にいたいと思う、海の中で燃えるような恋。一体どんな恋だったのだろう、なんて、不毛なことを考える。

私には美貌も才もなく、しかも、誰かのために全てを投げ出せるような勇気もない。
……それでも、思わずにはいられない。
もし、幻太郎のために役立てるなら、喜んで自分の命を差し出すだろう。幻太郎のためにあぶくになれるのなら、それ以上に幸福なことなどないだろう、と。

「……言い忘れましたが」

一瞬、立ち止まって、幻太郎はこちらをちらと振り向いた。

「小生は、原作の方が好みですよ」

この人の瞳には、消えてしまいそうなあぶくの中、息ができず藻掻いている私が映っているだろうか。息苦しくても、いい。苦しくて、冷たい水の中でも命の灯火を燃やしながら消えていくのが、恋というものなのだから。

人 魚 姫 の 物 語




2020/12/27

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