何度願ったことだろう。朝目覚めたら、この病気が治っていることを。何度絶望したことだろう。朝目が覚めても病気は治っておらず、ただ役立たずの自分が生きさらばえていることに。
私が初めて煉獄家にやってきたのは、15歳の頃だった。鬼に両親を殺され、亡骸の傍らで泣き続けていた私を、師範が見つけたのだ。食べ物も水も、病に冒された身に必要な薬の類も尽きた家で三日三晩泣き続けるだけだった私は、師範が見つけた頃には骨と皮も同然だったらしい。有無も言わさず連れて行かれた私は、そのまま煉獄家ですくすくと育った。常に前線に出て戦う師範の姿を見て、私にも稽古を付けてくれと懇願したが、師範は「名前を継子にはしない!」の一点張りで譲らなかった。私は私で、それでも師範を師範と呼ぶことをやめなかったので、強情っぱりは師範譲りなのだけれど。

「名前、お前はもうすぐ18だが。これからどうするつもりだ?」

師範が突然、そう言ったのは、珍しく一日休養を取った師範が屋敷で千寿郎君との稽古を終えた時だった。私の部屋は庭に面していて、雨戸を開け放てば、布団の中からでも修行の様子がよく見える。いつもは一人で修行をしている千寿郎君が、今日は師範がいてとても嬉しそうなのが手に取るようにわかった。部屋に面した縁側にどさっと座り、師範は空を仰ぐ。私は唖然として、師範の背中ををまじまじと見た。息切れをして、井戸の水をごくごくと飲み干す千寿郎君とは対照的に、師範は汗一つかいていない。師範は何でもないというような顔をして、更に「今のままではまずいだろう、流石に!」と追い打ちをかけるように言った。

「こ、ここから出て行けということですか……?」
「うむ、もちろんすぐにとは言わんが、いずれはそうすべきだろうな!」
「うぅ……」

持病もあるし、親類は皆死んで天涯孤独。正直、このまま煉獄家にぬくぬくと居座り続けられたらどんなにいいかと思ってしまっていたのは事実だ。しかし、そう甘えていられないということも、事実。18ともなれば、もう子どもとして甘えられる時間はとっくに終わりだと、私も頭ではわかっている。だけど、私の内にいる15歳の私が、でもでもだって、と赤子のように甘えて騒ぎ出すのだ。

「し、師範。そうしたら、今からでも稽古をつけてくれませんか?鬼殺隊には入れずとも、食い扶持くらいは自分でなんとかできるようになるかもしれませんし……」
「いや、無理だろうな!お前は体力がないからな!」
「で、では、今からでも花嫁修行をして、嫁ぎ先を探して……」
「名前、本気で言っているのか?どうも、お前が本気でそう言っているようには見えない」

師範はいつの間にか部屋の中に上がり、布団にいる私のそばまでやって来ていた。普段と変わらず、師範の目線はまっすぐに私を捉えていた。燃えるようにたなびく毛筋が、外から吹き込むそよ風に吹かれて微かに踊る。煉獄家の人たちの髪の毛は、皆彼らの魂を象ったかのような焔のいろをしていた。私の髪は真っ黒だ。毛髪は病でやせ細り、力なく垂れ下がっている。

「……師範には、お見通しですね。どうしてそんなに鋭いんです?」
「いや、俺は寧ろ疎い方だな。だが名前は心の内が顔に出やすいたちなのだろう。お前の考えていることはよくわかる」

優しく微笑んで、師範はてきぱきと薬箱の中からあれやこれやと取り出した。湿布と、打ち身や切り傷に良く効く薬草をいくつか。恐らく、先ほどの稽古で負傷した千寿郎君のためだろう。この薬草たちは、もとは私の病のために集めたものだった。原因不明の病だ。全身に打ち身のような赤紫の斑点が表れたので、一通りの薬草を試したが全く効かなかった。斑点が消えたかと思えば高熱や腹痛に悩まされ、かと思えばぴんぴんして動き回れる日もある(剣術の修行をしたいと私が言い出すのはたいていこういう日だ)。しかし、元気なうちにあまり動き回れば、次の日は全く動けなくなり床に伏せってしまう。私の人生は、いつもこの病とともにあった。両親と暮らしていたときも、この病は常に私の人生をめちゃくちゃに壊してきた。15にもなれば、家のことを少しは手伝ったり、将来のために勉強したりして、少しでも家族を助けるために動くのが普通だろう。その普通が、私にはできなかった。悔しくて悔しくて、いつか見返してやりたい、元気になって両親を助けたい、と思っている間に、両親は鬼に殺されてしまった。

「じゃあ、師範。もしかして、これもバレてますか」
「うむ?」

手際よくオトギリソウを潰していた手を止め、師範はこちらを見た。めらめらと炎のように燃える瞳が、私の病魔に焼き付き、燻してゆくかのようだった。

「……私は、これ以上ただ生きるのが怖いんです。師範は、毎日、鬼と戦っていて。いつ命を喪うかもわからない。それはとても恐ろしいのに、なぜかとても羨ましいんです。私も命を燃やしながら生きたい。私も、師範と同じように、同じ所に立って、同じ、炎を灯しながら生きたいんです」

叶わぬ願いだと、理解しているからこその叫びだった。叫びとは言っても、実際にはほんの小さな声で呟いただけだ。私の身体はひどく弱っていて、大きな声で叫ぶこともできないような喉だ。この、ひどく小規模で、矮小な嘆きが、私の精一杯の叫びだ。

「……ああ、わかっている」

師範は、しっかりと私を見据えて言った。身体を十分に動かすことも出来ず、ただちっぽけで弱っちい私のことを、しっかりと見据えて。

「名前、どうして今日、俺がこの話をしたかわかるか」
「いえ……」
「俺は、明日からまた任務に行く。列車の中に鬼がいる可能性があるそうだ。多くの民衆だけでなく、隊士も何人も食われている。苛烈な戦いになるだろう。もしかすると、十二鬼月が潜んでいるかもしれん」
「師範、」
「なぜだろうな、その戦いの前に、お前と話しておかなければと思ったのだ」

止めていた手を再び動かし、師範は薬作りを再開していた。ふわりと香る、薬草の匂いが、部屋中に漂う。師範は手元をじっと見て薬を作っていて、私の位置からは師範の燃える焔のような瞳は見えなかったが、それはどうでもよかった。直接見えなくても、背中越しにも、師範の瞳も、心も、全てが、灼熱の体温を持っていて、私に巣くう病魔など焼き尽くすほどの炎を宿していることは、とうにわかっていたからだ。

「名前、お前は命を燃やしている。心を燃やしている。俺にはわかっている。お前は必死に生き、もがいている。俺にはそれが、眩しくてたまらない」

ああ、こんなにも尊く、明るく眩しすぎるほどの光を放つこの人を目の前に、如何にして卑屈になどなることができようか。身体を蝕む病魔を滅することはできないかもしれない。それでも、私の心にはこの人からもらった焔が宿り、赤子のように暴れる少女の私を優しく包んでくれるのだ。

「花嫁修業をするとか言ったな。そんなものは必要ない。なに、行き先がなければ、俺と夫婦になればいい」
「師範と、め、めおと……?」
「お前が嫌じゃなければな」
「いやじゃ、ないです。ぜんぜん、いやじゃない、師範、」
「師範、ではない。杏寿郎だ。だから師範と呼ぶのはよせと言っていたのだがな」

目尻から頬を伝う涙を、師範は微笑み指で拭った。この人を想う、それだけで良かったのだ。それだけで、心に燃ゆる熱を宿すことが出来る。それだけで、命を燃やしながら生きることができる。




灯火








2021/2/28

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