雲のない西の空が紅に色づき、街全体を照らしている。いつもなら心を打たれるような美しい景色だけど、今日の私は1mmも感動する余裕がなかった。それどころか、こんな時に綺麗な景色なんて見せやがって、なんていう超理不尽な言いがかりを感じたりして。つまり私は、どうしようもなく腹が立っていて、どうしようもなく惨めで情けない気持ちでいっぱいだった。

「名前ほんとゴメン!このとーり!」

両手を合わせて深々と腰を折るこの男が、そもそもの元凶だった。いくら謝ろうが、私の気持ちは全く晴れないのだ。大体、本人は真剣にしているつもりかもしれないが、私から見れば軽薄に見えてしまう。

「やっぱダメ……?」
「ジローちゃん、全然反省してないじゃん!」
「マジで反省してるって!もう居眠りしたりしないからさぁ!」

最近誕生日を迎えた私。私の行きたいところならどこでも連れて行ってくれると言ったジローちゃんに、プラネタリウムに行きたいとお願いしたのだ。目の前いっぱいに広がる星空と、ロマンティックなギリシャ神話で、二人は自然と良い雰囲気に……なる予定だった。高まる気持ちを胸に隣を見た私の目に映ったのは、阿呆みたいな顔して気持ちよさそーーーーに爆睡するジローちゃんだった。

「念願のプラネタリウムだったのに!」
「ご、ごめんって。薄暗くてイイ感じに暖かったから眠くなっちゃってさぁ」
「だからってあんな爆睡することないじゃん……!」
「あと何かあの星座の解説?が授業みたいですっげぇ安眠効果でさ。……っあ、でもちゃんと聞いてたぜ?!授業だっていっつも寝てても話は聞いてるんだよ!」
「……ジローちゃんの馬鹿馬鹿っ!」

ぷいっとわざとそっぽを向くと、流石に慌てたのかジローちゃんは更におろおろして立ち尽くしていた。……本当は、こんなの意地悪だってわかってる。ジローちゃんだってわざと寝ちゃったわけじゃないだろうし、そろそろ許してあげるべきだってこと。でも、私の安いプライドとつまらない意地のせいで、『もういいよ』と言うことができないのだ。つまり、八方塞がりだ。許すことも出来ないし、これ以上怒ったって意味がない。……やっぱり私が大人になるべきなんだろうな、と思った、その時だった。

「わかった!名前、俺良いこと思いついたよ!これで名前も許してくれると思う!」

嬉しそうに言うジローちゃんが目をきらきらさせて言うもんだから。私は怒っていた気持ちをつい忘れて、こくこくと頷いてしまっていたのだ。



ジローちゃんに言われるがまま、バイクの後ろに跨がって一時間半程経った。地理に疎い私も流石に解るが、明らかにイケブクロを離れて山の方に向かっている。ちらっと見た看板等から察するに、どうやらサイタマの奥の方に、向かっているらしい。

「ちょ、ちょっと!いい加減説明してよ!何でこんな所に……」
「いいからいいから。絶対名前をがっかりさせない。約束する。俺を信じてくれ」
「ジローちゃん……」

信号が赤から青に変わり、再びバイクが動き出す。振り落とされないようにジローちゃんの腰にぎゅっと掴まると、ジローちゃんが身じろぎするのがわかった。だんだんと暗くなる空と、冷たい風に、マフラーを巻いてこなかったのは失敗だったことに気がついた。

「よし。ここで降りよう」

そうジローちゃんが漸く言ったのは、閑静な住宅地の裏手にある、小高い丘のような場所だった。簡単なベンチとブランコがあり、公園という面もあるようだ。バイクを降りてヘルメットを脱ぐと、冷たい空気が顔を突き刺す。風が吹く度に植え込みがざわざわと音を立て、静けさをより強調するかのようだった。

「あそこに座ろうぜ」

言われるがままに、小さなベンチに二人で座る。……ここまで来ても、私は何がなにやらわからなかった。かじかむ手を擦り隣に座るジローちゃんをじっと見つめた。

「……いや。何で俺見てんだよ?!」
「ええ?!だって、何でここに連れてこられたのか説明されてないし!ジローちゃん以外に何を見ればいいの?!」
「あ、そっかそっか。ごめんな」

ジローちゃんは垂れ目を優しく細めて、静かに上を指差した。つられて、私は空を見上げる。

「わあ……!」

そこにあったのは、一面の星空、だった。プラネタリウムとは比べものにならない、本物の、輝き。ちかちかと煌めく星々が、私達を誘うように広がっていた。

「すごい……!」
「ここ、前に兄ちゃんに教わった穴場なんだ。イケブクロじゃ星は見えねぇけど、ここなら綺麗に見えるから」
「ジローちゃん、ありがとう!本当にすっごく素敵……!」
「へへ。名前に喜んでもらえて、よかった」

ジローちゃんは照れくさそうに笑った。「さっき、怒り過ぎちゃった。ごめんね」と小さく謝るとジローちゃんは更に照れくさそうにして、「俺が悪いから、いいの」と言って抱きしめてくれた。さっきまであんなに寒かったのに、二人くっつくととても暖かい。

「あ、あの星、綺麗だな」
「どの星?」
「あれだよ。あのー、三つ点があるじゃん?」
「オリオン座ね?……ジローちゃんやっぱ解説聞いてなかったじゃない」
「う、うそうそ!それ、オリオン座!……で、その右上にある、ちょっと赤っぽい感じの……」

オリオン座の右上にあるのは確か牡牛座だ。そしてそこに赤く輝いているのは確か……

「アルデバラン、だよ。その星。……ジローちゃん、本当に解説聞いてなかったの?」
「だ、だから聞いてたって!アルデバランかぁ。格好いい名前だな!」
「アルデバラン。アラビア語で、『後に続くもの』。和名は、“統星すばる後星あとぼし”。……スバルを一番に追いかけて空に昇る、赤橙色に輝く恒星だよ」

ジローちゃんにぴったりの星でしょ、と続けると、ジローちゃんは目を本当の星みたいにきらきら輝かせて、小さくうんと頷いた。私の隣にいるアルデバランは、いつだって強く美しく煌めいているのだ。



六十五光年隣のひかり







2021/03/07

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