※キメ学


高校で美術部に入ったのは、失敗だった。絵を描くのは好きだけど、別に部活に入る必要はなかったのだ。……高3の今になってもそう思うのは、ひとえに顧問の先生が苦手だからだ。華やかで軽薄な見た目も、大袈裟な物言いも、画家としての偉業も、「派手」という口癖も、その価値観も、何もかもが苦手だった。それでも退部を選ばなかったのは、ただ絵を描く場所が欲しかったからだし、美大に進まないことを決めていた私にとっては、『高校の部活』が最後の絵を描く場所だからだ。

「クソ地味だな。やり直し」

こうしてラフ画にリテイクを食らうのは何度目だろう。私たち3年の部員は、『卒業制作』に取り組むことになっていた。専門に学ぶ方々には勿論遠く及ばないし、受験の合間にやるからそこまで凝ったものはできないので、高校生の私たちにもできるような簡易的な物ではあるけれど。それでも私はそれなりに良く考えて、手間を掛けて、アイディアを練ってきた。それを宇随先生は、『クソ地味』の一言で却下してしまうのだ。

「……せめて具体的に修正点を教えてもらえませんか。『クソ地味』だけじゃ、直せるものも直せません」
「お前馬鹿か。その質問自体がクソクソクソ地味だな。好かん。出直せ」
「だ、だから……」

そしてこの話の通じなさだ。好かんはこっちの台詞である。私はこの宇随先生という人が、嫌いだ。きらい。きらい。派手か地味かで全てを測る、この人が、きらいだ。

「……わかりました。考え直してきます」

そう言って、きびすを返す。専科の職員室を出る前に一瞬振り返ると、こちらを見ていた宇随先生と目が合った。大きくて赤い目。派手な目。花火みたいに、うるさく光る目。やっぱり私はこの先生がきらいだ。



美術室に戻ると、先ほどまでいたはずの同級生は誰もいなくなっていた。卒制、とは言っても、たかが部活のものだ。強制じゃないし、いくらでも手の抜きようはある。美大受験をする人たちは別だが、私のように普通の大学に進学する人間のうち、私のように、それなりにでも卒制に手間を掛けている人間など、私しか居なかった。友達はみんな、適当に終わらせて、宇随先生にオッケーをもらい、既に受験勉強に専念している。

美術室の裏側に、私たち美術部の作品を置かせてもらっている一角がある。その更に隅の方に、私の描きかけの絵があった。目の前に座って、画面を眺める。これは卒制とは関係のない、ただの趣味の絵だった。暗い海を書いた水彩画だ。本当は、こういう地味な絵が好きだ。派手好きなあの先生には一生解ってもらえないだろうけど。

「おい」

後ろから声を掛けられて、振り向くと宇随先生が立っていた。くちゃくちゃとガムを噛んでいて、ポケットに両手を突っ込んでいる。顔には花火みたいな厳つい文様をメイクで入れている。この高校教師らしからぬ出で立ちには、3年かけても慣れることができなかった。今でも、慣れない。私は浅く呼吸をした。

「お前、この絵は何だ?」
「……す、すみません。卒制じゃないんです。ただ描きたくて描いてただけで……」

さっと後ろ手で隠すが、多分意味はなかった。先生の不躾な視線が、今度は絵ではなく私に向いている。こんな地味な絵を描いた、地味な人間を、呆れて見下しているのかも知れない。

「お前、」
「は、はい……」
「こういう派手な絵も描けるんじゃねーか」
「……え?」

聞き返しても返事はなく、先生は既に美術室から出て行くところだった。我に返って立ち上がり、走って先生を追いかける。美術室を出ると、先生は既に廊下の中程まで先に進んでいた。普段使わない筋肉を酷使して、全速力で先生に駆け寄る。

「せ、先生」
「あ?何だ」
「さっきのって、どういう意味……」
「そのままの意味だろ。ったく、これまで地味な絵ばっかり見せやがって、時間を無駄にした。ド派手な絵、描けるなら最初から描きやがれ、阿呆」

そう言って笑いながら、先生は私の頭をくしゃっと撫でた。ああ、ああ。だから私は宇随先生がきらいなのだ。きらい、きらい。そう思っていないと、怖い。宇随先生を想う度に、心の中に華やかで派手な花火が上がるかのようだった。それを必死に押し殺す。きらい。そう思っていないと、私はこの花火に恋い焦がれてしまいそうになるのだ。

遠き明滅




2021/3/14
title by プラム

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