美術室に戻ると、先ほどまでいたはずの同級生は誰もいなくなっていた。卒制、とは言っても、たかが部活のものだ。強制じゃないし、いくらでも手の抜きようはある。美大受験をする人たちは別だが、私のように普通の大学に進学する人間のうち、私のように、それなりにでも卒制に手間を掛けている人間など、私しか居なかった。友達はみんな、適当に終わらせて、宇随先生にオッケーをもらい、既に受験勉強に専念している。
美術室の裏側に、私たち美術部の作品を置かせてもらっている一角がある。その更に隅の方に、私の描きかけの絵があった。目の前に座って、画面を眺める。これは卒制とは関係のない、ただの趣味の絵だった。暗い海を書いた水彩画だ。本当は、こういう地味な絵が好きだ。派手好きなあの先生には一生解ってもらえないだろうけど。
「おい」
後ろから声を掛けられて、振り向くと宇随先生が立っていた。くちゃくちゃとガムを噛んでいて、ポケットに両手を突っ込んでいる。顔には花火みたいな厳つい文様をメイクで入れている。この高校教師らしからぬ出で立ちには、3年かけても慣れることができなかった。今でも、慣れない。私は浅く呼吸をした。
「お前、この絵は何だ?」
「……す、すみません。卒制じゃないんです。ただ描きたくて描いてただけで……」
さっと後ろ手で隠すが、多分意味はなかった。先生の不躾な視線が、今度は絵ではなく私に向いている。こんな地味な絵を描いた、地味な人間を、呆れて見下しているのかも知れない。
「お前、」
「は、はい……」
「こういう派手な絵も描けるんじゃねーか」
「……え?」
聞き返しても返事はなく、先生は既に美術室から出て行くところだった。我に返って立ち上がり、走って先生を追いかける。美術室を出ると、先生は既に廊下の中程まで先に進んでいた。普段使わない筋肉を酷使して、全速力で先生に駆け寄る。
「せ、先生」
「あ?何だ」
「さっきのって、どういう意味……」
「そのままの意味だろ。ったく、これまで地味な絵ばっかり見せやがって、時間を無駄にした。ド派手な絵、描けるなら最初から描きやがれ、阿呆」
そう言って笑いながら、先生は私の頭をくしゃっと撫でた。ああ、ああ。だから私は宇随先生がきらいなのだ。きらい、きらい。そう思っていないと、怖い。宇随先生を想う度に、心の中に華やかで派手な花火が上がるかのようだった。それを必死に押し殺す。きらい。そう思っていないと、私はこの花火に恋い焦がれてしまいそうになるのだ。
2021/3/14
title by プラム