深夜1時の半透明

「ねえ銃兎、カルピス飲みたい」
「……深夜1時に呼びつけておいて言いたいことはそれか?」

俺が精一杯凄んでそう言っても、名前は怯みもせずニコニコと笑っていた。まるで俺がこれからカルピスを買いに行くのを疑いもしないみたいに。……いや、それもあながち間違ってはいない。これまで、一度や二度じゃない。何度も振り回されてきた。なのに何故か、名前に呼ばれて断れずにいる自分がいるのだ。

「だって。飲みたくなっちゃったんだもん」
「……あのな。俺だって暇じゃない。名前も知ってると思ってたけどな」
「でも来てくれたじゃん」
「……っ」

これ以上、ああ言えばこう言うの応酬を続けることは得策とは思えなかった。幸い、コンビニはすぐそこにあるから、ジュース一本買ってくるくらい造作もない。

「……しょうがないな。確かにこの時間お前を一人で出歩かせるわけにもいかない。……何だっけ?カルピスだったか?」
「うん!水で溶かして作るカルピスだからね。カルピスウォーターだったら許さないからね!」
「はいはい。コンビニで買ってくるから大人しく待ってなさい」
「すぐ帰ってきてね!5分以内だからね!5分1秒以上掛かったら銃兎がやってる悪いこと全部中王区にちくっちゃうからね!」
「……冗談でもやめなさい」

ただの一般市民である名前には中王区との繋がりなんてあるはずないが、このしたり顔で言われると何故かドキッとしてしまうのだ。今しがたこの部屋に来たばかりの俺が、ジャケットを脱ぎもせずすぐにコンビニに向かう様を見て、名前はニヤニヤと笑った。玄関を出るときに振り向かなかったのは、せめてもの抵抗だ。




「おおー!銃兎、はやい!新記録だよ」
「それはどうも」

名前はぱちぱちとわざとらしく手を叩いて拍手をした。……最寄りのコンビニにはカルピスソーダしかなく1ブロック向こうのコンビニまで走ってハシゴしたことはわざわざ言うまい。

「で?作るところまでやれとか言わないよな?お姫様」
「まさか〜。だって自分で作った方が100倍美味しいもん」
「……やれやれ。随分身勝手なお姫様だな」

やっとのことで俺はジャケットを脱ぎ、ソファに身を沈めた。反対に、名前は背中まである猫っ毛を踊らせながら立ち上がりキッチンに向かう。最近暖かくなってきたとは言えまだまだ肌寒いこの季節に、名前は裸足だ。歩くたびに、素足とフローリングがくっついては離れるぺちぺちという音が大人げなく木霊している。

「はい、かんせー。銃兎の分もあるよ」

そう言って名前は2つグラスを持ってきた。甘く、フルーティな香りを纏った半透明の液体が、リズミカルに揺れている。

「俺は、いらない。あまり甘いものは好きじゃないんだよ」
「はぁー?せっかく名前ちゃんが作って差し上げましたのに?!」
「……頂くよ、お姫様」

受け取ると、名前は満足げに微笑んだ。俺は、馬鹿だな。この笑顔が、嫌いじゃない。

「名前が作ったって言ったって、どうせ普通のカルピスだろう?4倍希釈だか、5倍希釈だか、知らないが」
「はいブー。はずれですー。なんたって私が作ったんだよ。普通のカルピスのわけないじゃん。甘い物苦手な銃兎のための、オリジナルブレンドだよ!ほらほら、飲んでみて?」
「……どうも怪しいが……」

こいつが俺のために何かをするという時点で怪しさ満点だが、更に言えば今目の前にいるにやけ顔がさらに不安を煽る。さすがに、命に関わるようなものは入っていないはずだ、という淡い期待を胸に、とろりとした甘い液体を一口、控えめに口に含んだ。

「……ッ!甘……ッ!!」
「あはは!じゅーと、騙された!」
「テメェ……!」
「どう?3倍希釈の濃い濃いカルピス。私、このあっまーいのが好きなんだよね」
「……俺が、甘いのは好きじゃないって言ったの、聞こえてたよな?」

俺が一口でも耐えきれなかったような代物を、名前は平気な顔でごくごくと飲んだ。そしてまた嬉しそうに笑った。「はーおいし」なんて、甘えたような声で言う。

「名前、こっちも飲んでいいんだぞ」
「だめ。それは銃兎のぶん」
「……よくもまぁ、こんな地獄みたいに甘いもんゴクゴク飲めるよ」

吐き捨てるように言うと、何故か名前は更に嬉しそうに癖っ毛を揺らした。「確かさ、」

「カルピスは初恋の味、って言うじゃん?」
「……突然少女漫画みたいなことを言うな、お前は」
「あはは。だってさぁ、」

仕事を終え、自宅にも帰らず走ってやってきた恋人に、深夜1時にパシられる。こんな姿、同僚や知り合いには絶対に見せられないし、MTCの奴らなんてもしも知られたら心底見下されるだろう。それでも何故か、俺はこいつの誘いを断らない。何故だ、何故だ、考えても、わからないのに。

「私の初恋は、地獄みたいに甘いんだよ。ね、銃兎?」

俺は黙って、グラスからひとくち、甘くて半透明な媚薬を飲み込む。やはり、クッソ甘い。甘いのに吐き出せない。甘いのに、何故か、俺はこれを手放せない。

2021/4/4

.