Even Money Bet


今日の俺は本当の本当にツイてなかった。負けに負けがこんで、気付けばすっからかんのすってんてんになっていた。賭場の入った雑居ビルを放り投げられるように追い出され、当てもなくシブヤの街をぶらつく。ズボンのポケットに手を突っ込んで探ると650円出てきた。牛丼特盛り食っても20円お釣りくるじゃん!ラッキー。と、思っていたら、雨が降り出した。すき家まで走って行くか、雨が止むまでもう少し待つか、考えながら雨宿りしていると、そこに偶然乱数が通り掛かった。「帝統、びしょびしょじゃん。ウケる〜!」と言いつつも、傘を貸してくれ、しかも今日は事務所に泊まらせてくれるのだと言う。ああ、持つべきものは友達だな!

「僕ちょっと仕事が立て込んでてぇー、ちょびっとだけ手伝い頼まれてくれない?」
「おお、いいぜ!何でもやる!」
「やった☆ おつかいよろしくねっ!」

ニヤッと笑う顔を見るに、そもそも俺に何かを手伝わせるために泊まらせてくれるという魂胆のようだ。「夕飯も付けるからさぁ」と乱数は可愛い子ぶった声で言った。俺からしたら、何かを手伝うだけで飯も宿も提供してくれるなんて、神様みたいだ。俺は一も二もなく頷き、事務所に着いてすぐ、おつかいのメモとやらを受け取った。

「ここに書いてある物を、受け取ってきてくれるだけでいいから!ちょーーーーーっと量が多いけど、帝統ならきっと大丈夫★」
「お安いご用だぜ!じゃ、早速行ってくる!」
「はいはーい。いってらっしゃーい!」

いまだ雨の降りしきる悪天の中、乱数から借りた傘を広げる。可愛らしい花柄の傘はまるで俺に似合わないが、文句など言ってられない。
メモに書いてある住所の場所は、どうやら専門業者向けの布屋のようだった。自動ドアをくぐりぬけると受付のような所があり、そこから奥に向けて声をかけた。

「あのー、俺は飴村乱数の代理のモンだが」
「ああ、はい!」

奥から出てきたのは、真面目そうな女性だった。紺色のエプロンを付けていて、『苗字』と名札がついている。

「乱数くんが来れないなんて珍しいですね」
「あー、なんか忙しいみたいだぜ。あと、『ちょーっと量が多い』とか言ってたから、どうせ重いもん持ちたくなかったんだろ」
「あはは、乱数くんらしい」

地味そうに見えていた彼女は、笑うと途端に華やかになった。乱数から預かったメモをそのまま渡すとまた真面目そうな顔に戻り、一つ一つ吟味するように書かれた文字を読み込んでいる。ころころと変わる表情に、興味をそそられた。違う顔も見てみたい、なんて俗っぽい好奇心が疼く。

「わあ、こんな生地使うんだ。乱数くん、また変なデザイン考えてるな」
「布の種類見ただけでわかるのか?」
「ええ、なんとなくは」

今度は穏やかに、それに少し悪戯っぽく苗字は微笑んだ。俺にはわからないが、多分専門家同士だからこそわかりあえる喜びみたいなものがあるんだろう。俺は急にボロボロで濡れ鼠の自分の格好が恥ずかしくなった。今日の俺の服は、布屋の目にはどう映るのだろう。

「じゃあ、ちょっと取ってきますね。あ、でも……確かに、結構量が多いですよ。一人で持って行けるかどうか……。お車ですか?」
「いや、歩きだけど」
「うーん、持ちきれないかもしれないですね。とりあえず取ってきます。えっと……」

彼女は眉を寄せて、困ったように、窺うように、俺の顔を見た。数秒してようやく、彼女が俺の名前を知りたがっているのだと気がつく。

「帝統だ。有栖川帝統。布を頼むよ」
「はい、帝統さん。少々お待ちくださいね」

また彼女はにこっと笑った。もっと見たい。色んな顔を見たい。幼稚な欲望が渦巻く中で、俺は気がつく。……きっと、乱数は、沢山の彼女の顔を見たことがあるだろう。それはもちろん、服やデザインの話をする中で見える顔もあるだろうし、もしかしたら既に乱数と……

「お待たせしました!やっぱり一人で運ぶのはちょっと無理かも……」

俺が卑屈で下卑た妄想に入りかけたそのとき、苗字に呼ばれて我に返った。危なかった。沢山の布を抱え、楽しそうな苗字の顔に更に罪悪感を覚える。

「あ、ああ。大丈夫、何回かにわけて運ぶよ」
「うーん、私、一緒に持っていきましょうか?」
「え?!いや、そりゃ有り難いけどよ……あんたにも仕事はあるだろうし……」
「いいんですよ。乱数くんはお得意様なんでサービス良くしないと。それに雨も降ってるし、一気に運んじゃった方がいいですって」
「でも……」
「乱数くんの事務所に運べば良いんですよね?あそこならそんなに遠くないし、二人で運べば1回で行けるはず」

名前が乱数の事務所兼自宅の場所を知っているという当たり前のような事実に、自分でも驚くほど狼狽している俺がいることに気がついた。もやもやと渦巻き始める正体不明の苛つきを無視するために、わけもなく唸り声を出した。どうやらそれが苗字には遠慮の声に聞こえたようで、「大丈夫ですって!一緒に運びましょう」と更に畳みかけるように言った。強気な笑顔が、俺の苛つきを更にかき混ぜる。

「じゃあ……頼むよ。悪ぃな」
「いいえ。そうしたら、紙袋に雨よけをかけますね。ちょっと待っててください」

てきぱきと作業をする彼女が、何故ここまで強情に一緒に行きたがるのか、わかりたくもなかった。真剣な顔で作業する、うつむき気味の角度を漠然と眺める。先ほどまで聞こえていた打ち付けるような雨音が弱まり、段々と小雨になっていくのがわかった。このまま雨なんか止まずに、ここから出られないほどの大嵐になってくれればいいのに。いっそ雪でも何でも降って、俺たちを足止めしてくれればいいのに。

「よし。できました。じゃあ行きましょう」
「……ああ」

外に出るとやはり雨はほとんど止んでいて、傘はいらないくらいだった。細かく降る霧雨が顔に当たり、ただでさえ冷えた体温を更に奪っていく。隣を歩き始めた彼女も寒そうに手を擦り合わせた。

「実は、帝統さんのこと、乱数くんから聞いて知ってたんですよ。こうして実際会ってお話してるのが不思議な感じです」
「そうなのか。乱数の奴、俺の悪口言ってねーだろうなぁ……」
「あはは。言ってないですって。むしろ、いつも褒めてますよ。『帝統は好きなことに命かけてて、格好いいんだ』って……」

乱数の言葉を言っているとわかっていても、格好いいなんて言われたらくすぐったい。それに、寒さで顔が赤くなった彼女の横顔は、またひとつ新しく見る表情だった。彼女をもっと見ていたい。どんな表情が出るかわからない。ギャンブルは、わからないから面白いのに、彼女を見ているのは、どんなギャンブルよりも、恐ろしかった。

「もうすぐ着きますね。二人がかりでも、流石にこの量持って歩くのは重かったですねー」
「付き合わせちまって悪かったな」
「いえいえ。私が無理矢理付いてきたんです。それに私、こう見えて力持ちなんですよ」

苗字はふざけて、両腕に持った紙袋をダンベルのように持ち上げた。雨よけに付着していた霧雨が、水滴になって流れ落ちる。

「あはは。そりゃいーな。また重いもんあったら頼んじまおうかな」
「……いいですよ」
「えっ?いや、冗談だって」
「わ、私……」

気がつけば、もう乱数の事務所の前にほとんど到着していた。階段を上ればもうそこには乱数がいるはずだ。

「帝統さんにだったら、頼まれたらなんだって手伝いますよ」
「へ……?」

苗字はうつむいている。表情はわからない。

「じゃ、荷物ここ置いておくのであとはお願いしますね!お店、また来てくださいね。じゃあ!」
「えっ、ちょ、乱数に会って行かないのかよ?!」

くるりと背を向けたかと思うと、苗字は早足で行ってしまった。俺はと言えば、両手に重い荷物を持っているせいですぐに追いかけることもできず、ただ置かれた紙袋と一緒に、呆けたように立ち尽くしていた。
数秒して我に返り、とりあえず荷物を事務所に運ぼうと、苗字が持っていた紙袋を持ち上げる。

「……軽いじゃねーか」

意味がわからず、4つの紙袋を一気に持って階段を上った。事務所に入ってすぐ、デザイン画らしきものにかじりつく乱数の背中に声をかける。

「えー、早かったね!量多かったんじゃない?」
「……いや、店員の苗字さんが運ぶの手伝ってくれたからな」
「ええー?!?!名前ちゃんが手伝ってくれたの?!めっずらし〜!名前ちゃんていつも塩対応でさ、僕が誘っても1回も遊んでくれないし。前僕が沢山布買ったときは運びきれなくて2往復して運んだくらいだよ?!」

乱数はニヤニヤして、俺の手から紙袋を受け取った。何か言いたげなムカつく顔で、「ま、僕はどうでもいいけど〜」と袋の中の布を物色し始めている。

「……あのさ乱数」
「んん?」
「またあの布屋で買い物するなら、俺を呼んでくれよ。……重いものとか、持つからさ」
「アハハ。りょーかい」

また俺が店に行ったら、苗字はどんな顔をするだろうか。俺はそれを早く見てみたい。

2021/5/1

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