ぼくらはミネラル

「……以前にも会いましたか?」
「……そうみたいね」

まるで人に会うなんて思えないような廃墟で、彼の瞳の中の六を見ていた。私はしがない情報屋で、あるファミリー惨殺事件の跡地を調べる必要があり、ここへやってきていた。目の前にいる彼のことは、六道骸、という名前以外、ほとんど何も知らない。ただ私にわかるのは、どうやら"何か"のために動いているようだということ、霧のように仄暗く、闇夜のような空気を纏っているということだけだ。

「随分酔狂な場所にいるのですね」
「あなたには関係ないでしょ」
「嗚呼、確かに。そうですね。クフフ」

骸は愉快そうに喉を鳴らした。どうしてこの男がこんなにも楽しそうなのか、笑っているのか、全く理解できない。こんな気味の悪い所、私は一刻も早く出たかった。

本当は情報屋なんて、仕事にするつもりなかったのだ。考えれば考えるほど、心が昏くなる。もし、この屋敷で私が何かの情報を見つけたとして、それを依頼元のマフィアに伝えたとして、きっと奴らはその情報を元に復讐を果たすだろう。また、多くの人が死ぬだろう。するとまた不思議なことに、別のマフィアがその殺しを調べろとどこかの情報屋に依頼を出す。そしてまたその情報を元に新たな殺しが起きるだろう。
こんなどうしようもなく地獄みたいなループに、私はどうしようもなく組み込まれてしまっている。殺しがあるから情報屋は食い扶持が稼げるし、情報屋がいるから殺しが起こるのだ。

「ですが、無関係ともいかないのですよ。僕としても、この場所に用がある。そして、同様にこの場所に用がある貴女のことを見過ごすことは難しい」
「……そう、よね」

この男、六道骸は恐らく相当な手練れだろう。以前会ったのは、確か仕事でボンゴレの事務所に行ったときだった。あそこは、マフィアらしからぬ穏やかなボスで有名なマフィアだ。穏やかに笑うボスの右手後ろで、護衛なのだろうか、敵意を剥き出しにしていたのが、この男だった。
あの時本能的に感じた恐怖を、今私は再びなぞっていた。瞳を見つめられるだけで、静かに背中が粟立つのを感じる。この男がそうしようと思えば、いとも簡単に私を殺してしまえるだろう。まるで、霧が眠りに誘うように、静かに私は死んでいくのだろう。

「僕が、怖いですか?」

骸はそう聞いた。何と答えよう。不思議と、先ほど感じていた恐怖をもう感じていなかった。心のどこかで、こう思うのだ。この男に殺されることができるのならば、あるいは——と。

「……あなたは、私のことを、跡形もなく消してくれるの」

口をついて出たのは、そんな言葉だった。別に、死にたいと思うわけじゃない。でもどうしてこんなに、世界に居場所がないと感じてしまうのだろう。骸はそんな私を見透かしたように、柔らかく口元を微笑ませた。

「さて、どうでしょうね」
「私を今殺せば、少なくとも何かしらの情報がどこぞのマフィアに渡るのを阻止できる。戦いを一つ阻止できる。……あなたのところのボスが望みそうなことでしょう。この世に必要のないものを一つ排除できる。誰も損しない。……悪い話じゃ、ないでしょう?」
「…………クハハ!必要のないもの、ですか?」
「な、何が、可笑しいのよ」

突然、可笑しさを堪えきれないとでも言うように、骸は高笑いをした。まだ人型の血痕が無数に残る絨毯を踏みしめて、骸が一歩一歩こちらに近づいてくる。ただでさえ黴臭い空間に埃が舞い、私は口元を覆った。

「おや」

骸は笑いを堪えながら言う。

「可笑しいですね。これから死のうと言う人が、たかが埃が体内に侵入するのを阻止しようだなんて」
「それは……」
「いえ、いいえ、良いのです。貴女はここで死ぬことはないのですから」

え?と骸の方を見上げると、顎をくいっと掴まれ、持ち上げられる。必然的に、彼の整ったかんばせを見つめざるを得ないというかたちになった。

「な……」
「クフフ。なんと、可愛らしい。なんと、あどけない」
「ば、馬鹿にしてるのね」
「いいえ、僕が感じているのは羨望ですよ。こんな汚れた世界に、組み込まれまいと足掻いている貴女が、羨ましいのです。僕や、僕以外の多くのマフィアが抱いている諦念を、拒み続けることができる、その強さが、羨ましいのです」

ゆっくりと、そして深く、骸は私に口づけた。何故か、私はそれを拒めない。どうしようもない、どうせ拒めないのだ、という諦めと絶望が、私の脳に浸食してゆくのを、ただひたすらに感じながら。

「ミネラルって知ってますか」
「は……?」

私と彼の唇が未だ銀の糸が繋がっているなか、唐突に骸はそう言った。私は彼の言葉を上手く飲み込めず、ぽかんとした顔をするほかない。

「ミネラル。ビタミン等と同様に、体に不可欠な栄養素ですよ。ミネラルはビタミンと違って体の構成成分でもあるので、ビタミンよりも重要かも知れない。……でも、これを意識しながら生活している人間なんて、どのくらいいますか?ビタミンを摂取しようと頑張る人間はいても、ミネラルまで気が回っている人間はそう多くはない」
「えっと……」
「でも、不可欠なんです。誰も気にしていなくても、知らないあいだにミネラルは僕らの体をつくっている。僕らが受け入れようが受け入れまいが、歓迎しようが拒絶しようが、諦めようが拒もうが、ミネラルは僕らの体の一部なんですよ」
「何が言いたいのか……」
「わかりませんか?」

骸は朗々と、演劇の中の台詞を歌い上げるかのように話した。部屋中を歩き回りながら話していたので、彼が床を踏みしめる度に屋敷全体がギシ、と家鳴りの音を立てたし、無遠慮な埃がそこら中に舞い踊った。

「僕らがこの世界の一部であり、この世界の構成要素であり、この世界に不可欠であるのと同じように、ミネラルも僕らにとって必要不可欠な物なのです」

……論理が、逆じゃないか、と私は思った。でも反論は諦めた。何故だろう、この男には、全てを諦めさせ、受け入れさせ、飲み込ませるような、暴力的で優しい包容力があるのだ。

「そして、多すぎると、かえって毒になる。これも同じではありませんか、ねえ?」

骸はほとんど歌うように、機嫌良くそう言った。クフフ、と妖しげな笑い声も添えて。随分酔狂な場所で出会った私達は、どうやら世界に必要不可欠な存在であったらしい。……本当にどうかなんて、もうどうでもよかった。骸がそう言う。私が頷く。それでじゅうぶんだ。この世界には戦争と欺瞞と幻術で溢れているし、私達の存在も、負のループも、この世界さえも、全てが骸の幻術の中だという可能性だって、如何にして否定できようか。


2021/6/19

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