主役は君と僕の2人だけ


窓を開けた応接室は、風がよく通って少し肌寒かった。居心地悪くソファに座る私を一瞥して、隣に座る雲雀さんは書類仕事をしている。すぐ隣にいる体温に、私はなかなか慣れることができず、雲雀さんが身動きする度にどきどきする心臓がうるさかった。

思えば2週間前。雲雀さんは突然私の腕を掴んで、「君、今日から風紀委員ね。登校したらすぐ応接室に来て。毎日」と言ったのだった。わけがわからなくて、でも雲雀さんのあまりの迫力に、思わず頷いてしまったのだ。

それから毎日、私はここでほとんどの時間を過ごしている。でも雲雀さんがどうして私をここに来させるのか、理由はわからなかった。こっそりと副委員長の草壁さんに聞いてみたところ、草壁さんはニヒルに笑って、「あんたが委員長のお気に入りだからでしょう」と言ったけど、私には到底信じられなかった。だって、雲雀さんは基本的に私に冷たい。私が勉強に詰まっていると、だいたい「こんなこともわからないの。ばかだね」と嫌味を言うし、寝癖がついてれば「何その変な頭。仮装でもしてる?」と必ず馬鹿にしてくる。……正直、毎日ここに来ていて、私の感情は混乱で爆発しそうだった。雲雀さんが私を気に入ってるだなんて言われたらそりゃ嬉しい、そうなのかなぁなんて心が弾んでしまう一方で、現実には雲雀さんが私に優しくしてくれる素振りなんて全然ないのだから。

「私って、何なんだろ……」

思わず口をついて出た独り言に、『うるさい』とばかりに雲雀さんにギロリと睨まれた。はい、ごめんなさい。静かにします。と心の中で言いながら、体を小さく縮こまらせる。こんなに広い部屋でわざわざ隣に座っているのは、はたして私を気に入っているからか、それとも嫌がらせのためか。


やっと解放されたのは、全ての生徒が部活を終えた下校時刻になり、風紀委員が見回りを終えてからだ。特に今日はどこかの部が時間を延長していたらしく、雲雀さんと私が学校を出たのは、21時過ぎになってしまった。はあ、お母さんに何て言い訳しよう、と考えながら一人でとぼとぼ歩いていると、古い団地の切れかかった蛍光灯近くに、誰かが立っているのが見えた。よく見ると、どこかの制服を着ている。高校生か、中学生なのだろう。携帯をじっと見つめ、時折困ったように眉を寄せて辺りをキョロキョロと見回している。近づいてきた私に気付いたようで、ハッと顔を上げ、彼は申し訳なさそうに、おずおずと「あの……」と声を掛けてきた。

「道に迷ってしまって。友人の家に行っていたのですが、帰り道がわからないんです。携帯も電池が切れてしまって……」
「ああ、この辺入り組んでますもんね。……いい、ですよ。案内しますよ」

普段だったら、こんな時間に、こんな提案はしなかっただろう。多分、雲雀さんと一日過ごして、今日は特に卑屈な気分になっていて。こんな私だって、人の役に立てるのだと思いたかったのだ。
私の提案に、彼は「いいんですか!」と人の良さそうな顔を輝かせて「クフフ」と笑った。

「並盛中の方ですよね?」
「はい。あなたは、えっと……」
「僕は黒曜中なんです。……ああ、貴女のことは知ってるんですよ」
「……え?」

急に、彼は立ち止まり、微笑んだ。あまりに邪悪な微笑みに、背筋に氷が降りたような寒気に襲われる。さっき、人が良さそうな、なんて思ったのが信じられない。彼が、更に口角を上げたかと思うと、突然手首を掴まれた。「痛、」と声を上げると、「クハハ……!」と彼は高らかに笑い、前髪を掻き上げた。はっきりとわかる、赤く邪悪な瞳に、息が止まりそうになる。

「雲雀恭弥をおびき出す餌になると思って目を付けましたが、こんなに易々と捕まえられるなんて、簡単すぎて欠伸が出そうですよ」
「雲雀さんをおびき出す……?」
「おや、自覚もないとはねぇ。雲雀恭弥も甘いですね、自分のペットも躾けられない」
「わ、わたし、雲雀さんのペットなんかじゃ……」
「クフフ。本当に愚かで可愛らしいですね」

彼は嘲るように笑い、私の手首を持ち上げた。自然と、私は彼の顔を見上げ、彼が私を見下すような形になる。爛々と狂喜が踊るヘテロクロミアが、突き刺すように私を観察している。
……でも、私はどこかで安心していた。だって、雲雀さんはここには来ない。私はいわば、何の取り柄もない、ただのお荷物の存在だ。どういうつもりで雲雀さんが応接室に私を置いていたのか知らないけど、雲雀さんが危険を賭してまで駆けつけるなんて、到底思えない。私がここでこの男にやられても、雲雀さんは、悲しまない。

「……私、別にどうなってもいいです。雲雀さんは来ないし、あなたの計画は失敗ですね」
「クフフ。……意外と、度胸はあるみたいですね」
「はい」

度胸だけは、毎日、雲雀さんといるお陰で身についたので。そう言おうとした、その時だった。ドゴッ!と地響きのような物凄い音がして、沢山の瓦礫が路地の向こうから飛び込んできたのだ。

「……っ!」
「……来ましたね」

そう言うが早いか、瓦礫の中から何人かの人影が立ち上がるのが見えた。皆どこかしら怪我をしているようで、ふらふらしている。そのうち何人かが再び倒れ、一人だけが残った。私は目を疑った。そんなはずない、そう思う心とは裏腹に、心が浮き立つのを感じた。

「雲雀恭弥。来ると思っていました」
「……六道骸。名前に触るな」

六道骸と呼ばれたその男は、心から愉しそうに、雲雀さんを見据えた。パッ、と掴まれていた手首を突然離され、バランスを崩しかけたけど、雲雀さんが素早く駆けつけ、後ろから支えてくれたので転ばずに済んだ。しかし安心したのもつかの間、私を支えたがために隙が出来てしまった雲雀さんに、六道骸が容赦なく攻撃をしかけるのを、雲雀さんは辛うじて避ける。

「ひ、雲雀さん……」
「下がってて」

短くそう言うと、雲雀さんは六道骸の元へ駆けていった。よく見れば、雲雀さんは既に血だらけだ。ここに来るまでにも、何人もの敵と戦っていたのだと、想像するに難くない。
……どうして、雲雀さんは傷だらけになってまで、こんなにも邪悪な敵と戦っているのか。気にもせず、平穏に過ごしていれば、戦わなくても済んだのではないか。雲雀さんを、戦いに駆り立てる物が何なのか。……愚かな私には、まだ判断することができない。

私はただ、攻撃をぶつけ合う彼らの戦いを呆然と見つめることしかできなかった。時折飛んでくる瓦礫から身を守ろうとすると、私がそうする前に、雲雀さんが来て瓦礫を廃してくれた。お礼なんて言う間もなく、雲雀さんは再び戦いに戻っていく。

どのくらい経っただろうか。気付けば二人とも酷く負傷しながら対峙し、それでも最後のプライドか、六道骸は微笑みを絶やさずにいた。私に背を向ける形で立つ雲雀さんの表情は見えない。

「……今日のところは」

六道骸は言った。まるで私にも聞かせるかのように、朗々と響く声だ。

「今日のところはここまでにしましょう。……クフフ、雲雀恭弥、貴方がここまでやるとは計算外でしたよ」
「……二度と現れるな」
「名前、また楽しい夜を過ごしましょうね」

にこりと微笑んで、六道骸は霧のように消えた。残されのは、瓦礫の山と、血が溢れるように流れ出ている雲雀さん、そして呆然と佇む私だけだ。冷たい風が通り過ぎ、身震いをして地面に座り込んだ。

「名前」

雲雀さんが駆け寄ってくれる。そういえばこの人は私のことを名前で呼ぶんだなぁ、なんてぼんやり考えていると、突然雲雀さんに抱きしめられた。

「え、ひ、雲雀さん?!」
「……無事で良かった」

ただ一言だけそう言って、雲雀さんは安堵したように息を吐いた。愚かな私だけれど、ようやく一つだけわかった。……どうやら私は、思っていたよりも雲雀さんに愛されているらしい。


2021/7/31
title by プラム

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