いびつにいびつを重ねたら




「またやってる」

いつもは生徒達の喧噪で騒がしい体育館も、今日は静まりかえっていた。その中で、ボールのバウンドする音だけが響き渡る。サービスゾーンに一人佇む影山が、こちらを振り向いた。

「……邪魔すんな」
「失礼ね。これ持ってきてあげたのに」

そう言って私は、部室と体育館の鍵をカチャリと揺らして見せた。自主練を終えたら施錠して鍵を返すようにと、先生から預かった物だ。影山は黙って入り口までやって来て、鍵を受け取る。シューズのキュッキュという音だけが木霊していた。影山は相変わらず無表情で、探るような不躾な視線を投げて寄越した。

「何でお前が、って顔」
「……勝手に考えを読むな」
「あはは、ごめん。人間観察が得意なの。兄さんに似て」

私はわざと、兄さん、という単語を出した。案の定、影山は思いっきり顔をしかめた。綺麗な顔がいびつに歪むのを見つめる。ああ、私は何て性格が悪いのだろう、でもそれもこれも全部、兄譲りだ。

「……及川さんはもう卒業したんだから、お前はもう俺には無関係だろう」
「ねえ、私も及川さんなんですけど」
「お前じゃない、先輩の、及川さんだよ」

先輩の及川さん、すなわち及川徹は私の兄であり、ついこの前まで北川第一の最強セッターだった、人だ。卒業式をもって正式に引退し、現在はすでに進学先である青葉城西高校の練習に参加し始めている。そうしてもぬけの殻となった北川第一には、馬鹿みたいに兄を追いかけ続けた影山だけが、残ったのだった。

「先輩の、及川さんは、もう卒業した。だから、お前はもう、バレー部には無関係だ」
「私、お前って名前じゃないよ。及川名前って立派な名前があるよ」
「……うるせ」

吐き捨てるみたいに言って、影山はコートに戻っていった。反対側のエンドライン付近には、無数のボールが転がっている。無人の体育館で影山が、一人でサーブの練習をしていたことを物語っていた。
兄は、努力の人だった。後から入ってきた天才、影山飛雄に脅かされながらも、努力を欠かさず、最後に県のベストセッター賞を獲得した。軽薄な性格とは裏腹に、高いコミュニケーション力とカリスマ性を持ち合わせ、人望も厚い。
対して、影山は、兄とは正反対の存在だ。天賦の才や、体格に恵まれ、入部当初から多くの先輩達を脅かしてきた存在。かの及川徹でさえ恐れ、打ちのめされた、コート上の王様。……と、みんなには、思われている。そう、誰が知っているだろうか。コート上の王様たるはずの影山が、こうして一人夜まで自主練していることを。見えない壁に何度もぶつかり、悩み、葛藤しながら、一歩ずつでも進みたいと、藻掻き、苦しんでいるということを。

「あんたのサーブ、もう中学じゃ誰も敵わないんだから、隠れて自主練なんて、する必要ないのに」
「……及川さんには、まだ、敵わない」

影山は口先を尖らせてから、勢いよく踏み込み、バシン、とサーブを打った。中学生とは思えない、見事なコントロールとパワーだ。……でも確かに、素人目にもわかる。及川徹には、まだ及ばない。

「大丈夫だよ」
「……はあ?」

失礼な物言いを隠そうともせず、影山は訝しむようにこちらを見た。

「あんたは、大丈夫。……バレーは兄さんにまだ及ばないけどさ」
「……テメエ」
「アハハ、ごめんって。でもそれはあんたもわかってるでしょ?」
「…………ッ」

影山はボールを両手で持ったまま俯いて、じっと自分のシューズを見つめているようだった。こうして見ると、当たり前だけど、影山だってただの中学生の男の子だ。コート上の王様なんて、揶揄されているけれど。この王様の人知れぬ苦しみを、私だけが知っているのだ。

「影山が人一倍努力してること、私は知ってる。他の誰も知らなくても。私が、知ってる。だから、あんたは、大丈夫だよ」

ただでさえ不機嫌そうな顔を、更に思いっきりゆがめて、影山は恐ろしくいびつな顔をした。……どんな感情の顔だ、それ。わからない、けど、もしかするとこれは、影山なりの照れ隠しのような表情なのかもしれない。

「そういうお前はどうなんだよ」
「へ……っ?」

不意を突かれて、私は目を見開いた。影山が私に話題を向けることはおろか、自発的に私に向けて発言することさえ、初めてなんじゃないか。いつも私が一方的に話しかけて、影山は一方的に私に複雑な視線を投げる、それでやりとり終了、だった。その影山がまさか、自分から話を広げてくるだなんて。……って、今はそんなこと考えてる場合じゃなくて。

「ど、どういう意味……?」
「お前だって、及川さんがいないのに体育館に来たりして、……無意味、だろ」
「それは……ほら、孤独な飛雄ちゃんを励ましてあげるわ的な……?」
「っざけんなテメェクソボケ」
「だーかーら、テメェじゃなくて及川名前だってば……」
「ああもううるせぇつってんだよ。邪魔すんなら帰れ」
「えー?!今来たばっかりなのに……」

私が肩を竦めると、影山はぷいっとむこうを向いた。……本当は、自分でよくわかっている。どうして、ここに来てしまうのか。自分が何をしに来たのか。……ここに来ると、誰に会えるの、か。

「……暗くなったら、あぶねーだろうが、クソボケ名前」

背中越しに、そう聞こえた。たぶん今、私はいびつな顔をしているし、見えないけど影山もそんな顔をしているのだろう。大丈夫。大丈夫。私たちは、二人ともいびつだけれど。きっとそのくらいが心地よくて、丁度いいのだ。

2021/8/7

title by プラム

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