哀しいふたり終末論




※高校生


ガラリ、と突然開いた教室後方のドアに、クラス中の視線が集まった。そこから入ってきた当の本人は、気にもせずに飄々と自席に向かう。私は内心、ばぁか、と思った。いつも真面目に学校に来ないくせに、いや来ないからこそ、こういう目に遭うのだ。

「ああ?大掃除だぁ?……ち、めんどくせー日に来ちまったぜ」

ドカッと派手な音を立てて、空却は椅子に座った。黒板に大きく書かれた掃除場所の割り当て表から、これから大掃除であることに気がついたのだろう。大きなため息で萎縮する周囲を尻目に、空却は更に「毎日掃除してりゃあ大掃除なんて必要ねぇだろ。日々の怠慢のツケってもんだぁな」なんて大声で言うものだから、みんな更に肩を縮こまらせた。前を見れば、先生までも苦笑いをして萎縮していて、情けないもいいところだ。
空却は容赦のない目つきで周囲を一睨みして、それから先ほど座ったばかりの椅子から立ち上がった。

「お、おい、波羅夷ー、どうした、今来たばっかだろー」
「帰る」

一言だけそう言って、空却は本当に教室から出て行ってしまった。学校に滅多に来ない不良生徒が去った安心感と、何だったんだあいつ、みたいな妙な一体感がクラスを包んだ。


「あー、やっぱここにいたんだ」
「……おー」

今日は晴れているから、空が見えるところにいると思ったのだ。その予想は大当たりで、寝そべる空却が屋上を占領していた。むくり、と起き上がった空却の髪は後ろの方が変に跳ね上がっていた。どうやら本気で寝入っていたらしい。

「……大掃除とやらはどうなった」
「とっくに終わって、もう放課後だよ」
「ケッ。大掃除なんつーもんで日々の懈慢をなかったことにしようなんざ、虫の良い話だぜ」
「空却はサボったんだからいいじゃない」

カカカ、と粗雑に笑って、空却は立ち上がり、学ランのズボンをバシバシと乱暴に手で払った。昔から、妙に気が回るくせに、アンバランスに粗雑なやつだ。幼馴染でもなければ、私だってこんな乱暴な人間とは関わり合いにならなかっただろう。

「そんで。てめぇは何でここに来たんだよ」
「空却、もう帰ったかと思ってたのに、靴がまだあったから。あんたこそ、なんでまだ学校にいんのよ」
「……名前を待ってたんだろぉが」
「…………え?」

屋上の出入り口に突っ立っていた私の方に向かって、空却は大股で近づいてきた。元々凶悪な顔が、寝起きのせいか一層凄まじい顔になっている。え、え、と戸惑っているうちに、あっという間に空却はずんずんと距離を詰めてきた。びゅうと風が吹く。反射的に目を瞑り、再度目を開けると、空却の顔は本当に目の前に迫っていた。い、い、いくらなんでも近い。

「な、なに。どういうこと?これ……」
「お前、あいつと別れたんか」
「……っ」

一瞬、変な間があいた。私が返事をするのも待たず、空却は「目ぇ、パンパンに腫れてんぞ」と畳み掛けた。

「……く、空却には関係ないでしょ」
「そういう反応するってこた、当たりだな」
「違う、」
「サッカー部だかなんだか知らねえけど。あんな下らねえ人間に振られたとは万々歳じゃねえか」
「……ふ、振られて、ない」
「あぁ?」

空却はほとんど睨み付けるように、私を視線で舐め回した。二つの切れ込みから覗く、眩しいほどに金色の眸は、私の内側を執拗に曝こうとしていた。私は耐えきれず、そっと目を逸らす。それでも空却は私から視線を動かさなかった。私は目を逸らしたまま、何となく、何もない空を見つめる。

「嘘吐いてどうすんだよ」
「う、嘘じゃない。……振られては、いない」
「……?」
「……う、浮気、されてた。……ていうか、私、彼女じゃなかったっぽい。…………ていうか、私が、う、浮気相手だった、っぽい……」

まるで絞り出されたうめき声のように、私がそう告げると、空却は目をぐっと細めた。私があまりにも下らない悪あがきを言っているからかもしれないし、あるいは、私が話している途中から涙を堪えきれなくなって上手く喋れなくなってしまったので、単に言葉を聞き取れなかっただけかもしれない。空却のその表情の意味はわからなかった。……でも、何故だかその表情は、私にはとても苦しそうで、そして同時にとても優しく見えた。

「とんだ畜生野郎だな」

と、空却はそれだけ言った。また風がびゅうと吹く。今度は目を瞑らなかった。空却も、私も、動かない。

「何でお前は泣いてる」
「……何でって……悲しいからでしょ……?」
「悲しいのかよ?おかしいだろ。拙僧はムカついてんぜ。その畜生野郎にも、畜生野郎に怒りもせずに泣きべそかいてるお前にもな」
「……で、でも……」

ついこの前だ。人気者のサッカー部の先輩に、勇気を出して告白した。まさか良い返事をもらえると思ってなかった。思ってもみなかったOKをもらって、浮かれて、空却にも報告したのだ。『空却も早く彼女作りなよぉ!』なんて、はしゃいで言う私に、空却は目を細めて、『……うるせぇ』と言ってそっぽを向いた。祝福もしてくれない幼馴染みに、その時は少し腹を立てたりもした。その空却が、今、私の為に怒ってくれている。

「『でも』、何だよ」
「……今は何故か、怒りは湧かないの。ただ、悲しいだけ……」
「お前が怒らねぇから、拙僧が代わりに怒ってんだ。でもいつかはお前自身が怒らなきゃならねえ。……傷ついたのはお前だからだ」
「……うん……でも……」

聞き分けの悪い子どもみたいに、でも、でも、と繰り返す私にも、空却は辛抱強く寄り添ってくれた。どうしてこんなにも、優しいのだろう。こんなに優しい人を、私は他に知らない。

「……ソイツのこと、本気で好きだったのかよ」

空却はぶっきらぼうに言った。私は、『まさか!』なんて笑い飛ばせたらどんなにいいだろうと思いながら、うつむくしかなかった。「……うん」と絞り出して言うと、空却はポケットに手を突っ込んだまま、壁を蹴った。ガンと大きな音がする。

「……そう。私、本気で好き、だったんだよねぇ……」
「傷ついても、か?」

私は頷く。空却はまた、苦しそうに目を細めた。

「どうして、好きになる人を選べないんだろうね。どうして、自分を傷つける人を、好きになってしまうんだろうね」
「…………んなもん、拙僧も、知りてぇよ」

大掃除も、終業式も終わり、明日から夏休みだ。いつもよりも重たい荷物を持って、2人肩を並べて屋上から下り、学校を出る。ずっと無言で歩く。家が近づいてくると、空却はまた苦しそうな顔をして、「ばぁか」と言った。まるでそれは、私ではなく空却自身に言っているように、私には聞こえたのだけれど。

2021/12/18

title by プラム

.