それは無色で、鮮やかな



騒がしすぎもしない、静かすぎもしない。居酒屋チェーンの半個室は、私たちにとってお馴染みの場所になりつつあった。お馴染みの場所に、お馴染みの、私たち。生ビール。枝豆。チャンジャ。卵焼き。

「もー、聞いてよ乱数ー!」
「今日も惨敗?」
「惨敗も惨敗だよ!もー、めげちゃう」
「ハイハイ、とりあえず乾杯しよー。カンパーイ」
「かんぱーい……」

おざなりにジョッキをぶつけ合わせれば、ゴツッという鈍い音が響いた。乱数は小さい身体に似合わず、勢いよく半分ほど飲み干す。私も同じようにジョッキを煽れば、血中アルコール濃度が一気に高まり、顔の皮膚がカッと熱くなるのが自分でもわかる。

「あはは。名前ちゃん。相変わらず赤くなりやすーい」
「すぐ赤くなっちゃうの気にしてんだから、言わないでよ……」
「ええ?可愛くて最高じゃん」
「えー?全然良いことないよー」

乱数はあっという間に残り半分も流し込んで、気付けばタッチパネルに次の注文を入れている。私も乗り遅れないようすかさず手を伸ばし、ハイボールに決めた。「おお、ビールからのウィスキーちゃんぽんとは、やるねぇ〜」とちゃかす乱数も、しっかりハイボールを入れている。

「で?今日の惨敗はどんなカンジだったの?」
「そんな明るく聞かないでよ、人の失恋をさー」
「失恋ってまた大袈裟なぁ。ていうか、相手はあのジジイでしょ?その時点で超人生無駄にしてるし〜」
「他人事だからって……」

頬杖を付いて、乱数はうんうんと頷く。これは聞いてくれるポーズだと判断し、私は本日の惨敗について話し始める。
そもそも私は、小児科のしがない下っ端看護師だった。同じ病院内に、あの麻天狼の神宮寺寂雷がいるらしい、と噂で聞くことはあっても、会ったことはなかったし、顔を見たことすらなかった。むしろ、キャーキャー言ってるミーハーな看護師たちを冷たい目で見ていたくらいだったのだ。……しかし数ヶ月前のある日、私は外科への異動を命じられ、寂雷先生と対面することになったのだった。
それからは本当に速かった。いわゆる、一目惚れだ。自分が突っ走りやすい性格だということは自覚していたが、ここまでとは思っていなかった。『付き合って下さい』とか、『好きです』とか、『格好いいですね』とか、『結婚して下さい』とか、ありとあらゆる愛の言葉を伝えてみたが、寂雷先生は決まって、『応援、ありがとうございます』と微笑むだけだった。……そう、つまり全く相手にされていないのだ。

「それでさー、今日はちょっといつもと趣向を変えて、プレゼントをしてみたんだよ」
「プレゼント?」
「これまでは、プレゼントってあんまりしたことなくて。だって、相手はあの寂雷先生だよ?私なんかよりも確実に良い生活してるだろうし、私が何かあげるのも変だよねって思ってたから……」
「ああ〜。あのジジイ、成金趣味って顔してるしカンジ悪いもんねぇ〜」
「寂雷先生はぜんぜん成金趣味じゃないし慎ましやかですっ!」
「はい妄信〜」

乱数は意地悪く笑って、ハイボールをジュースみたいにぐいぐい飲んだ。顔が小さいのでジョッキが大きく見える。なんだコイツ、むかつくな。

「プレゼントって、何あげたの?」
「やっぱり、贈り物は値段よりも気持ちだよね!と思って、花束を贈ったの」
「うぇ〜。ジジイに似合わなーい。花束は受け取ってくれたわけ?」
「うん、一応。……次の瞬間、診察室の花瓶に飾られてました」
「アハハ、かわされてるね〜」

会話の切れ目に、無愛想な店員がやってきて、無言でビールのジョッキを2つどんと置いた。「え、頼んでな」「頼んでおいてあげたよ☆」「ってまたビールじゃん」と言い合う私たちを、店員はちらりとも見ずに去って行く。

「てかさ、たこわさ」
「はいほーい。あと茄子の一本漬けとぉ、カマンベール餅も入れていいよねー?」
「よろしくー」

ぴぴ、と手際よく注文を入れる乱数の手元を見つめながら、私は枝豆を数粒一気に口に放り込んだ。塩が利きすぎて、しょっぱい。手元のビールで流し込む。

「てか、寂雷のジジイなんかによくそんなに熱を上げられるよね。視力とか、頭とか、悪いんじゃない?」
「辛辣だなー」
「しかも、毎回かわされてるしさ」
「でもねぇ、かわすときの、『応援、いつもありがとうございますね』って言う、笑顔がさ。にこって!にこって、可愛いんだよー。あの、格好いい寂雷先生がだよ?!格好いいだけじゃないの。可愛いも併せ持ってるんだよ。ズルくない〜〜〜〜〜?!」
「はいはい」

乱数は最早呆れ顔で、でもにこにこ顔は崩さずに相づちを打ってくれる。良い友達を持ったもんだなぁ、と酔っ払って馬鹿になってきた頭で思った。乱数がこうやって、ちゃかし半分でも、聞いてくれるから、私はめげずに頑張っていられるのだ。看護師なんてブラックな仕事も、寂雷先生への恋路も。

「そんなに良いかねぇ、あんな化石みたいなジジイが」
「めちゃくちゃ良いよ。最高だよ。最高に格好いいんだよ。そして、優しい。優しいのに、格好いい。こんなすごいことありますか。ないですよ。こんな完璧な人間、この世に他にいますか。いないですよ」
「完璧な人間なんてどこにもいないと思うけどね〜」
「それがね、いるんだよ。なんと、シンジュクにいます。寂雷先生です」
「あは。夢見すぎ〜」

ジョッキを手に取り、一口、二口、口に含む。いつの間にかぬるくなっていて、不味い。ぬるいビールほど不味いものはない。無理矢理喉に流し込んで、タッチパネルでお冷やを探した。ちょっと、ハイペースで飲み過ぎた。頭がくらくらしてきている。

「乱数ってさー。いっつも話聞いてくれるけど。……寂雷先生とはすごく仲悪いんでしょ。どう思って聞いてるの?」
「え?!今更?!僕は、名前のこと、馬鹿だな〜って思いながら聞いてるよ」
「うわ、失礼な人だね」
「ええっ?寧ろ親切だと言って欲しいよ」

私はふてくされたふりをして、枝豆をまた数粒口に放り込む。しょっぱい。ビール、もうない。水、まだ来てない。だんだん頭がくらくらしてきた。学生バイトの店員達の元気いっぱいな『いらっしゃいませー』が店内を輪唱のように駆け巡り、一層世界がぐるぐると回る。

「あのさぁ、わかってる?僕が何で馬鹿みたいに馬鹿の名前の話を大人しく聞いてるのか」
「……ばかばかってあんまし言わないでよ……」
「だって。馬鹿じゃん。あの偽善者クソ寂雷にも無視されてるくらいなのに、めげないなんて、まるっきり、馬鹿じゃん」
「寂雷せんせーは、クソじゃないし、私はばかじゃないですぅ〜」
「呂律回ってないし。あんな、誰にでもいい顔してる寂雷なんかに傷つけられちゃってさ。そんなの馬鹿にしかできない芸当だよ。尊敬しちゃうね」
「……乱数、なんかおこってる……?」
「ええっ?!怒ってないよぉ!怒ってるわけなーいじゃーん!」

どんどんどん。たこわさ、なすの一本漬け、カマンベール餅、そしてお冷。無愛想な店員からひったくるようにして、とりあえずお冷を胃いっぱいに流し込んだ。冷たい水が、少しばかり思考もクリアにしてくれる。

「え、ていうか乱数、さっき、私が寂雷先生に傷つけられてる、って言った……?」
「……言ってないよ」
「えっもしかして、心配してくれてる?」
「……してないよぉ!」
「えっ、乱数、」
「だからぁ〜」

にこにこ、している乱数が、私には何故だか少し寂しそうに見えた。……いや、そんなわけないから、酔っぱらいの勘違いかもしれない。お冷、美味しい。たこわさ、ワサビ効きすぎ。

「……でも、ただただ傷ついていく名前を黙って見守っていられるほど、俺はお人好しじゃないんだよ」
「……乱数?」
「僕なら、名前のことそうやってたくさん傷つけたり、しないのになーって」

目を擦って、もう一度乱数を見る。何度見ても、いつもと同じ、にこにこ笑う乱数だ。おかしいな、今幻聴が聞こえた気がする。効きすぎたワサビのせいかもしれない。

「えっと、冗談……」
「まさかぁ」
「なーんちゃって!キャハ☆みたいな……」
「何それつまんなーい」

信じられない思いで、目の前の乱数を見る。何度も見る。何度見ても、いつもと同じ、にこにこ笑う、可愛くて、ちょっと意地悪で、面白くて、優しい、乱数だ。私はとりあえず、まだ残っていた水を全部口に流し込んだ。空になったジョッキを見て、乱数は流れるように自然にタッチパネルに注文を勝手に入れる。いや待て、焼酎かよ。焼酎はいらねぇ。

「待って待って待って、焼酎いらない!ウーロン茶にして!」
「ウーロンハイ濃いめ、りょーかい!」
「おいこら!」
「ええ?まだ飲み足りないの?欲張りさんだなぁ〜」
「それはお前なんだよ!!」

二人してタッチパネルを触るので、当然画面はわやくちゃになって、全然違うページに飛んじゃったりして。なんとかどさくさに紛れて焼酎をキャンセルして、ついでにお冷やを2ついれる。多分、乱数だって酔っている。

「……一番馬鹿なのは、俺だっつーの……」

だから、そんな言葉は聞こえないふりをして。私はたこわさを奥歯で噛み潰した。顔が異様に熱い気がするのは、多分、勿論、当然、お酒の所為だ。そういえば、今まで、全然考えてなかったけど、乱数って男の子だった。可愛くて、ちょっと意地悪で、面白くて、優しい、それに多分、格好いい。……あれ?もしかして、完璧じゃない?


2022/4/17
title by 誰花

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